創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(153)レン・シローイッツ氏のスピーチ(了)

当時---DDBクリエイティブ・マネージメント・スーパバイザー兼副社長
(1969年退社し、ハーパー・ローゼンフェルド・シローイッツ社の共同経営者)


"My Graphic Concept" Lecture by Leonard Sirowitz in Zurich 1967 Spring
1967年春、チューリッヒでの「マイ・グラフィック・コンセプト」と題するスピーチ。氏の快諾を得てDDBドキュメント』誠文堂新光社 ブレーンブックス 1970.11.10)に翻訳掲載したものの転載。

レン・シローイッツ氏のスピーチ (1)(2)(3)(4)(5)
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レクチャー 承前


次のことを申し上げて私の話を終わりたいと思います。
つまり今日、私のスヒーチを聞き、私の仕事を見、DDBの仕事を見た後に、 皆さんは会社へお帰りになる、そしてそこで、もし最良の仕事をするために必要とあらば、そこをひっくり返し、うら返してみることもためらうな、と申し上げたい。
私は私の会社を誇りに思い、私自身が広告業のあり方を変えたチームの一員であることを誇りにしています。
皆さんにお見せした最後のコマーシャル、ラインゴールド・ビールのためのものの中で彼らは言っています。
「どうしてだかわかりません。きっとなにかあるんでしょう」と。

ラインゴールド・ビールのTV−CM ギリシャ系米国人のパーティ


ギリシャ音楽---ハサピコは人生とはなにか語った土臭いギリシャのダンスです。
踊っている間に熱っぽいかわきをおぼえます。
このかわきいやすために飲まれるのが、ラインゴールドのエクストラ・ドライです。
スパルタよりもたくさんのギリシャ人が住むニューヨーク市では、どのビールよりもラインゴールドが飲まれています。
なぜギリシャ系米国人はラインゴールドの味が気に入っているのでしょう? 
私たちには分かりません。でもきっと何かあるんですよ。


DDBでは、私たちはなぜか、どうしてか、ということを知っているのです。
積極的かつ基本的な哲学を完全に体得することなしに、それを背景とした立派な仕事を成し遂げる、などということが起こりうるはずがないのです。
ご清聴を感謝します。



chuukyuu注:
この民族別シリーズは、トルコ系、イタリア系---とつづいて制作されました。
ラインゴールド・ビールは、ニューヨーク市でもっともたくさん飲まれていたビールです。

【参照】
『創造と環境』第2部 DDBの組織 02-17「ラインゴールド・ビールの事例


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