(399)レン・シローイッツ先輩から「デザイン学生へ」
DDBの幹部アートディレクターだったシローイッツ氏から、「最近、ぼくはプラット・インスティチュート(ニューヨークの高名な単科美術大学)の学生のために、ぼくの作品展を開く機会を持ちました。これは、ぼくがその展示会に寄せたメッセージです」といって送られてきました。もちろん、30数年前のことです。ぼくより2歳若い氏はまだ健在で、マンハッタンのマンションに住んでいます。近く連絡を再開する予定(このブログのために、またも余計な時間を浪費することになりそう)。
「デザインは適切なところに置こう」
すぐれたデザインは、すぐれた広告におけるプレゼントであるはずであるが、それを君の生活の最大のものにしてしまってはいけない。アイデアはそっちのけで、デザインばかりに夢中になっているアートディレクターは、広告づくりのセンスをすっかり忘れてしまっている。
広告における最も大切な要素---人びとに行動させるもの、人びとのイマージネイションを捉えるもの、それはアイデアです。読み手を君の望むように動かすもの、君がたずさわっている製品のために彼のお金を使わせるもの---それは販売命題(セリング・プロポジション)です。
ぼくは、君がレイアウトやタイポグラフィ、フォトグラフィについて学ぶべきではないと言っているのではありません。それはやるべきです。その次にそれを君の心のうしろの方のファイルしてしまいなさい。それは道具にすぎないのです。
アイデアを思いつく---それこそが仕事におけるほんとうのチャレンジです。それこそがこの仕事の最も魅力的な部分なのです。
それができたら、そのページをデザインする用意をしなさい。しかし慎重におやりなさい。アイデアをこわしてはいけません。
展示されたDDB時代のシローイッツ氏の広告作品の2,3の例
レイニア・ビール
レイニアの醸造主任は、タフで頑固で、迷うことがなく、意見をまげず、屈服せず、御し難く、考えを翻すことのない、昔気質の強情っぱりです。私たちのビールがおいしいのは、そのためです。
よいプレッツェルには、塩がたっぷりきいてます。よいビールには、ほんの少しきいてます。
レイニアの昔風の醸造工程は、塩を一つまみ、水に加えます。よいコックならだれでも話すように、わずかに使った塩が、他の食材の味を抽きだすのです。
VWビートル
緑のフェンダーは'58年型のもの、
青いフードは'59年型のもの、
ページュのフェンダーは'64年型のもの、
ターコイズのドアは'62年型のもの、
VWの部品は何年型のものでも交換が可能です。
ベター・ヴイジョン・インスティチュート
これは点字です。「あなたはたった一組の目でずっとやってきたのです。年に1回やそこらは検査してやんなくちゃ」と書いてあります。ベター・ヴイジョン・インスティチュート
レオナルド・シローイッツ〈略歴)
1932年6月25日、ニューヨークのブルックリンで生まれた。以後33年間、ニューヨークに住み、現在は、ハドソン河を見せるマンハッタンのアパートに、夫人と2人の子供とともに暮している。DDB代理店のアート・スーパバイザーとして活躍中。プラット・インスティチュートで広告デザインを専攻し1953年に卒業。すぐに薬品関係の広告代理店LW・フロリッチに入社したが、6ヵ月いただけで徴兵。2年後除隊すると、NBC担当としてグレイ・アドバタイジング代理店に入社。1年半後にはCBSの故W・ゴールデンのもとで仕事をすることになった。
1957年、新しいテレビ局NTAのアート部門をまとめていく仕事についた。その仕事で、NY アート・ディレクターズ・クラブ、アメリカ・グラフィック・アート脇会、NYタイプ・ディレクターズ・クラブなどから数多くの賞を得た。
1959年、世界最高の代理店DDBに志願し、採用された。そして、ことしのNY.ADC第43回展では,「ベター・ビジョン協会」のキャンペーンで特別大賞を受賞。
1968年と70年には「The Number One Art Director in America」に選ばれ、1985年、NYADCから「名誉の殿堂入り」を指名されている。
1969年にDDBを退社し、ハーパー・ローゼンフェルド・シローイッツ社の共同経営者となった。
>>レン・シローイッツ氏のスピーチ
"My Graphic Concept"(1・2・3)「ベター・ヴィジョン協会の広告」 「フォルクスワーゲンの広告」 「ソニーの広告」 「モービルの広告(1・2・3・4・5・6)」 「SANE(核使用規制全国委員会)の広告」 「ラインゴールドビール・了」
NY ADC名誉の殿堂(上)(下)