創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(129)広告はアートである(1)ウィリアム・バーンバック

    (Mr.William Bernbach President, DDB

1961年AAAA(米広告代理店協会)年次総会でのスピーチ。

創業12年目にして、DDBの創造活動は高まりを見せており、広告人にとどまらず、この中心にいたビル・パーンバック氏は、アート派広告代理店群の先達として、コミュニケーション畑の有識者の注目を集めていた。DDBなどがアート派と呼ばれたのは、このスピーチのタイトルによっている。
もう一方には、サイエンス派と呼ばれた調査重視の、オグルビー&メイサー社が主導した広告代理店のグループがあった。
両者をあわせてその数は1960年代を通じて、25%に達するかどうかたといわれていた。75%はビジネス派と呼ばれ、クライアントのいうことを「はい、はい」と後生大事にきいている旧来型の広告代理店に分類された。
(スピーチは拙編・著『繁栄を確約する広告代理店DDB』(1966.10.1)より転載)



これは、有名なバンド・マスターであるカウント・ベイシーについてのエピソードです。ベイシーは、才腕のすぐれたなビジネス・マネジャーに恵まれていました。非常に聡明な仁で、気まぐれで有名なベイシーを扱うことにかけては、天才的ともいえるほどの人物でした。
しかし、破局はまもなくやってきました。さしも沈着なこのマネジャーも、ベイシーのあまりの無分別に堪忍袋の緒を切らしそうになっていました。ベイシーがすぐにも入用ななにかの資料が手もとになかった時、彼はヒステリックに叫ぶボスの声を聞きました。「クビだ!」この男はホッとしました。自由の身になったことを喜びながら、帽子をとりあげ、ドアの方へ歩みました。
ベイシーは頭から水を浴びたような気持ちで、たいへんなことを口ばしってしまったことを悟り、マネジャーの有用ぶりをいやというほど思い知ったのでした。
で、「どこへ行くの?」と聞きました。
「どこへって、なにをおっしゃるのですか。たったいま、クビだとおっしゃったばかりではないですか」
ベイシーばすばやく応じました。「そう、たしかにクビだといった。でも、ほんとうのクビじゃあないんだよ」
広告業界では、この2〜3年、だんだん使い方がルーズになってきているひとつの言葉があります。それだけでは別にたいしたことではありませんが、私が非常にまごづくのは、その言葉が正確につかわれていないからではなく、無責任に使われているからなのです。
その言葉は[クリエイティビティ]です。
この言葉は盲目的に崇拝されています。
あるいは、攻撃され、非難されています。
いい加減な人によって、故意に誤り伝えられています。
最大の被害は、この言葉が、善良で、正直で、節操の堅いビジネスマンやウーマンに誤解を与えていることです。
もし、私たちが[クリエイティビティ]という言葉を広告に関連させて考えて、共通の定義をもってこのミーティングを終えることができるならば、また私達みんながこの言葉の意味を正確に知ることができるならば、私たちの仕事に大いに貢献できるだけでなく、私たち自身にとっても大いに役に立つのです。
というのは、うまく使えば[クリエイティビティ]は、もっと経済的に、もっとたくさん売ることができるはずだからです。うまく使われた[クリエイティビティ]は、広告の効果を10倍にもします。
うまく使われた[クリエイティビティ]は、似たようなものがたくさんある中から、あなたの主張を目立たせ、受け入れさせ、信じさせ、説得力と迫力あるものにすることができます。
[クリエイティビティ]は、なにか曖昧模糊とした秘伝の芸術形式なのでしょうか。
そうではありません。
ビジネスマンが使用することのできるもっとも実用的なものなのです。
それでは始めからいきましょう。
あなたはなにか[クリエイティプ]なものを持たなくてはなりません。

主題とともに生きる

あなたはいつもあなたの主題といっしょにいなくてはなりません。それに浸り、没頭しなければなりません。いつもそれを心にもっていなくてはなりません。あなたがオーディエンス(メッセージの受け手)に伝えたいと思っていることを、一つの目的、一つのテーマに結晶させることができなくては、あなたは[クリエイティブ]になれません。
イマジネイションをやたらと走らせ、脈絡のない夢をみ、グラフィック・アクロバットや言葉の体操にふけるだけでは、[クリエイティブ]ではないからです。
くりかえして言いますが、そういったとりとめのない花火のようなものを指して[クリエイティビティ]は効果がないときめつける人は、言葉の真の意味に無責任であり、無知なのです。


[クリエイティブ]な人は、イマジネイションにフックをつけます。[クリエイティブ]な人は、すべての考え、すべてのアイデア、書くすべての言葉、描くすべての線、彼のとるすべての写真のあらゆる光と陰を、より生き生きと、より信じられるように、オーディエンスに伝えようと決めたオリジナルなテーマや製品の利点を、より説得力のあるものにするために、イマジネイションをコントロールします。


もちろん、セリング・プロポジション(販売命題)も大切です。すべてのことはそれを捜しだすために行われるべきです。しかしセリング・プロポジションが非常に革命的だというのはどういうことなのでしょうか。これは広告産業の発明ではないのです! あらゆる分野のすべての人、法律家、科学者、歴史家、作家、そうです、画家や詩人も、あなたに買わせようといつも説得に努力しているセリング・プロポジションを持っているのです。しかしこれらの分野の大物たちは、セリング・プロポジションを持つということと、実際に売るということはまったく別のものであるということを知っています。
ある会社がひとたびセリング・プロポジションを決めて、現にそれが展開されている---私たちが[クリエイティビティ]を必要とするのは、まさにここなのです。セリング・プロポジションを、才能の魔術で人びとにそれを見させ覚えさせるような、想像力に富む個性的な名工が必要だというのは、まさにここなのです。
そうでないと効果が弱く、不経済です。そうですね、[クリエイティビティ]でなく、言葉や写真の技巧で飾ろうとするのは、旧式の自動車のボディにすごいエンジンをつけたようなものです。自動車業界は、それがどんなにひどい間違いであるかを知っています。
しかし、この教訓を広告に結びつけるということは、まだどの産業も知らないようです。私は、いろいろなものを倹約し、[クリエイティビティ]をもっとも効果的に、いわゆる組織のプラクティカル局面に注入技術を進歩させることに、できるかぎりの努力と思考を注ぎこむように仕事を押しすすめています。
注目を引くのに、広告以上に効果的なものがあるでしょうか。オーディエンスを行動に駆り立てるほど感動的に書かれ、描かれたメッセージ以上にプラクティカルなものがあるでしょうか。
もちろん、売る時期も大切です。非常に大切です。しかし、それだけではありません。
私は、広告が一つの科学であり、必要な正しい方程式を使えば必ず成功することができる、と主張する俗流科学主義者たちの犠牲になるなと警告したいのです。よい広告にとって、いちばん大事な質を求めるために、その方程式を見つける努力をされてはいかがでしょうか。
この点を説明するには、私の知っている一人の紳士のことをお話しするのがいちばんよいと考えます。
彼はごく普通の知性の持ち主です。私は、いろいろな集まりや会合で、彼よりも知的にはるかにすれている人……外交官、ジャーナリスト、著名なビジネスマンなどといっしょの彼を見たことがあります。そういったどの会合でも、この紳士は目立つのです。彼はいつも主役なのです。私は日ごろからそれを不思議に思っていましたが、いま、その理由がわかりました。彼は非常に生き生きと活気にあふれているのです。すぐ、誰の目にもつくのです。彼はまわりにいる人みんなに発散するすばらしいエネルギーを持っているのです。
ロマン・ロランは『ジャン・クリストフ』の中でこう指摘しています---ひ弱で消極的な男の言葉は全く顧りみられないが、同じ言葉でも、健康で活気にあふれた精力的な人が話せば世界を動かす---と。
この、なんとも定義できないような特質を求める方程式を発見しようとなさってはいかがでしょうか。広告のクリエイターから発し、オーディエンスに達してしまう、そんな火花を求める方程式を見つけてごらんになりませんか。呼び方はどうでもいいけれど、「聞いてください、見てください、私は生きているのです」と、バイタリティ、エネルギー、そんな電流を流しているような電気、こんなものを求める方程式を見つけてみようではありませんか。
つづく