創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-31 どうやって表現するかの自由

その一つとして、クリエイティブ部門とアカウント部門の関係があげられます。
それについて、パーカー夫人の講演会での発言が一つの示唆をしてくれます。
「数年前、バーンバックと(ネッド)ドイルの二人が共同で、クリエイティブ部門とアカウント部門両者の責任を規定した、有名なメモを出したことがあります。
それはアカウント部門の人間は、何をいうべきかを規定すべきであり、クリエイティブ側の人間は、それをどうやって表現するか完全な自由を持つべきだということを明らかにしたものでした。
アカウント部門とクリエイティブ部門の両者の意見が対立して、暗礁に乗りあげる場合も数多くあります。その場合、問題解決の道はただ一つあるだけです。―ビル・バーンバックに決断を仰ぎに行きます)(注・前出「クリエティビティ」)。
そこのところを、ディロン氏は次のように話してくれました。彼の言葉は、常にアメリカの広告業界の歴史的な発展の中にDDBを置いて話していますから、ある程度の客観性を持っています。
「多くの代理店では大っぴらに、あるいは巧妙なすり替えでクリエイティブ・ワークがアカウント・エグゼキュティブのいいなりになっています。これはアカウント・エグゼキュティブというのが金の根源であるクライアントと直接交渉しているのですから当然な話なのです。たとえば、アカウント・エグゼキュティブが、こんなのはクライアントじゃあ買ってくれないとかいったとしますと、クリエイティブ部門の人間は彼と議論したり、説得したりするなんてことは到底できないのです。というのは、アカウント・エグゼキュティブは経営陣に直属して特権というものを認められているからなのです。
ところがDDBでは、クライアントじゃあこんなのは買ってくれないだとか望まないといったようなことはめったに口にされません。そういったことが口にされる時は、広告の内容についての場合ではなく、マーケティング条件などといったクリエイティブな面とはなんら関係のない場合しかありません」。