創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(29) ロン・ローゼンフェルド氏のインタヴュー(3)

まず、ローゼンフェルド氏の肩書きを訂正します。『みごとなコピーライター』を上梓した時(1969)にはたしかにJ.W.トンプソン社の先任副社長兼クリエイティブ・スーパパイザーだったのです。
ところが、DDBドキュメント』を刊行した時(1970)の肩書きは、ハーパー・ローゼンフェルド・シローイッツ社の共同経営者とつけています。やっぱり、いちばん気の合うシローイッツ氏と会社を設立したのですね。
ただ、この1,2年後に、DDB2という会社もできているのです。何か、関係がありそうな…。しかし、まあ、37年も昔のことですから。
このブログで参考にしていただきたいのは、彼らがつくった広告と、それをつくらせた環境の探索ですからね。


DDBに入るまでと、入った時


chuukyuu「あなたがDDBに入社したのは?」


ロン「1958年です。25歳でした」

彼は、ボルチモアの高校で美術を学び、そこを卒業したばかりの16歳の時、ある地方の店の広告部へ入り、9カ月後にクビになるまで、オフィス・ボーイをやっていたのです。
次には、メイ広告代理店のプロダクション・マネジャーとして働き、ここでレイアウトとコピーの書き方を覚えました。
除隊後は、ボルチモアにある代理店でライターとなり、1年後にはフリーランス・ライターになっていました。
そして、ニューヨークで職を探しました。DDBとマイアミの代理店から声がかかったが、ニューヨークで働きたかったので、DDBを選んだと。


chuukyuu「そのころのDDBは?」


ロン「非常に小さくて、年間の扱い高が、1,200万ドルから1,400万ドルぐらいだったと思います」


chuukyuu「どんな試験でした?」


ロン「フィリス・ロビンソン夫人からいろいろ聞かれましたね。どんな仕事がしたいかとか、なぜDDBに入りたいかとか…。
それから、作品を見てくれました。それは、DDBがつくっているようなものではなかったけれど、ハンディキャップのある環境で努力している点を買ってくれました」


chuukyuuDDBで最初に担当したのは?」


ロン「マックス・ファクターです。いまはもう扱っていませんが、当時、ミス・ユニバースのコンテストがあって、盛大に広告をやっていたものです。
それからポラロイド、これをスティーブ・アレン・ショーで使いました。
さらに、ケムストランド・ナイロンなどを手がけました」
その後、ELALイスラエル航空、ラインゴールド・ビール、カルバート・エクストラ・ウィスキー、ソニー…など、数多くの商品を担当して成功させました。


>>(4)へ続く
>>ロン・ローゼンフェルド氏のインタヴュー(1)




【訳文】
ジャマイカの方言で歌われる
ソープオペラをお聞きにならなければ
無意味です。
ルイーズ・ベネット・コバーリーときたら
全く底知れぬプリマドンナです。


火曜日にジャマイカへお着きになったとします。ラジオを借りてください。そして、夜8時、同じように聴いている何千のジャマイカ人といっしょに「ルーとラニーのショー」にダイヤルを合わせてください。でも、何が起こるか分かろうとなさるなら、まず、ショックに耐えること。
ルー役のルイーズがこう歌いはしめたら…"Unoo bettah fiffe arks…" あなたは私たちのヒロインが、ならず者の亭主に乱暴される中で何をしようとしているか、はっきりおつかまえになると思いますよ。
まあ、そんなことは序の口です。ジャマイカの生活の中では、音楽とかお祭り騒ぎは日常茶飯事なんです(そしてあなたは笑死なさいます)。
同じ夜遅く、ホテルの桟橋がスケア・ザ・ジョン・カヌーたちに占拠されてしまうのをご覧になるでしよう。そのグロテスクな衣装や儀式のようなダンスは、アフリカとエリザベス朝英国の混合物です。火吹きが口から火焔を1メートル以も吹きだしたとき、あなたはきっと飛び上がって逃げ出してしまうでしょう(あなたにだって出来る手品ですがね。150度のジャマイカ・ラムを含めばいいだけです)。
西インド諸島のゴム採取女たちが、躰をじわじわと低いリンボーをくぐらせているのをご覧になるはずです。それからジェリコ王やカリプソ・カウボーイがあれこれ歌って踊るのをご覧になるでしょう。(略)


(改行で単語が切れるおそれがあるので、原文を若干加工して図版で掲示します。保管不良のシミはご容赦)

DDBのみごとなコピーライターたちとの単独インタヴュー(既掲出分)

デビッド・ライダー氏とのインタヴュー
(1) (2)

ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー
(1) (2) (3) (追補)

ロン・ローゼンフェルド氏とのインタビュー
(1) (2) (3) (4) (5) (了)

フィリス・ロビンソン夫人とのインタヴュー
(1) (2) (3) (4) (5) (6)

ジョン・ノブル氏とのインタヴュー
(1) (2) (3) (4) (了)