創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-34 クライアントと戦うアカウント部

ニューヨーク・タイムズ(1958年4月4日付)は、バーンバック氏が語ったところによるものとして、DDBは、クリエイティブ部門の人間が、日常業務面では、クライアントと接触しないようにしていると紹介しています。


「クライアントとのつらい戦いをするのは、アカウント・エグゼクティブの義務だと思います」「アカウント部の人たちは、クリエイティブ部門の人たちよりも、それを処理する術をうんと身につけているのですからね」と、DDBにおいても、クライアントとの間にやりとりがあることを暗示しています。パーカー夫人は電通でこう話したのですが…。


「クライアントの言い分をどこまで認めるかです。『どうもキャンペーンが僕にはピントこないよ』ということができるのでしょうか?実際には、このようなことは、あなた方がお考えになるほど起こるものではありません。というのは、わが社のクライアントは──DDBを自分たちの広告代理店として特に選んで採用したという理由から──私たちの仕事に大変同情的だからです」(注:前出「クリエイティビティ」)。


バーンバック氏は言葉を続けて、クリエイティブ部門の人間をクライアントと接触させない理由として、
「クライアントとの戦いに臨むと、多くのクリエイティブ部門の人たちは、あまりにも感情的になってしまって、批評を素直に受け入れることがむずかしくなってしまうのです。私たちは、彼らが活動意欲をなくしてしまって、自由に創造的に考える能力をも失ってしまうことを恐れるのです」


VW担当のファイン氏が話してくれたことですが、13人のアカウント・エグゼクティブがVWのために働いており、その中の4人がアメリVW社に務めていて、「1958年1月から8月までの間に、186回クライアントとの会議を持っています。土・日を除くと166日しかないはずですから、1日1回以上も会議を持っているわけです」ということでした。


このファイン氏の発言からでも知られるように、いろんな情報を得、意志を確かめ、問題を探り出すために、アカウント部は精力的に働き、選ばれた情報と問題だけをクリエイティブ部門に持ち込んでいることがわかります。
そして、クリエイティブ部門とアカウント部は、相互の尊敬の上に立って共に仕事をしているのです。