創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-27 才能が豊かでも環境が悪ければ…

この点について、ソニーやジャマイカ観光局を担当し、幹部コピーライターであったローゼンフェルド氏に会って尋ねてみました。
chuukyuu「今日のアメリカにおいて、才能豊かなコピーライターであれば、どんな代理店で働いても、よいコピーが書けると思いますか? 
あるいは、働く代理店によると、思いますか?」
ローゼンフェルド「働く代理店によって、大きく左右されると、私は思いますね。
私の知っている非常に才能のあるコピーラーターの1人は、ある代理店で、よい仕事が与えられなくて苦しんでいます。
その代理店の経営者が、よい仕事ということに対しての価値基準を持っていないからです。
そして、その経営者には、よい作品を売り込む能力が欠けているからです。
だから、そこでは、全然違うものがライターに要求されるわけです。
逆の例も私は知っています。
そのライターは、その代理店ではあまりよい仕事をしなかったのですが、代理店を移ったら、とたんによい仕事をし始めたのです。
そのライターに向いていない仕事をさせることで、非常に損をしている代理店が多いでしょうね」
同じ質問を幹部コピーライターのリー氏にもしてみました。
彼は語気を強めて、次のように答えました。
「これはもう、そのとおりでしてね。
たとえば、DDBにいたコピーライターとかアートディレクターが、よい条件でほかの代理店に引き抜かれて行った場合、DDBと同じ雰囲気を与える…クリエイティビティには干渉しない…クリエイティブなものを薄めるようなことはしない…と約束されて行くわけですが、実際は、違うんですね。
ですから、一度DDBをやめても、またもどってくるという例が多いんですよ」