創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(590)30秒にかける知的ビジネス

借り机をしているオフィスが同じビル内で引越しをしたことは、書きました。
そのとき、机の抽き出しの奥から、切り抜きが出てきました。見ると、『週刊文春』誌上での当時のマスコミ寵児---大宅壮一さんとの連載対談のゲストとなったときのものでした。
タイトルが東急エイジェシンー主幹となっているので、1970〜71年のいつかの号に載ったものでした。
読んでみると、DDBが米国でおこした[広告革命]を、なんとか日本でも---といった気持ちから、招聘に応じた気配です。いまの若い方は、大宅さんをご存じないでしょうが、まあ、40年前の記録の一つとして、休日のお慰みに。


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30秒にかける知的ビジネス


「カネをかけたからいいものができるとは限りません。
カネでおどろかすのは、消費者の反感を買うこともある
と思います。そんなにカネを使うんだったらもっと安う
せいと。その点、アイディアはいくら使っても、いくら
突飛なものでも大衆が納得してくれると思いますネ」





大宅 ちかごろ、広告の世界にもずいぶんいろんな人が入ってきたですね。まえは、広告関係というと、職業のなかでもちょっと低いというような、若干コンプレックスみたいのがあったですね。


chuukyuu はい。士農工商代理店といいまして、広告代理店というのは、まぁランクづけでいえば、士農工商の下といった印象で。戦前は会社の門のあたりにも「犬と広告屋は入るべからず」なんて書いてあったものです。

大宅 どうも、いろんな職業やって、食いつめたヤツがなる最後の商売が広告とりか、でなきや保険の勧誘ときまっておった。


chuukyuu わたしが勤めているのは、日本で7番目ぐらいの広告代理店なんですけど、このあいだ新入社員を募集しましたら、わずか十何人とるのに、いろんな大学から400人ばかりきましてね、
学生たちの間にも、広告というのは、頭脳ワークだという認識が定着してきたのじゃないでしょうか。


大宅 頭で勝負する世界だし頭脳ゲームに勝てばそれだけの報酬がある。それから昔は、広告をだしたくない人のところへ行って、ムリに押し売り的にとってくる、なかば、恐かつ的要素があったですね。いまは、これあまりないでしょう。


chuukyuu いわゆる、チャンとした広告代理店ではないでしょうね。そりゃ、どこの世界でも上を見りゃ上があるし、下を見ればきりがありません。広告でも悪徳不動産会社の広告もありますから、そういうのを引き合いに出されると一言もないわけですけど、それはちゃんとしたビジネスじゃございませんから。


大宅 だから、いまの大学生でも、広告界に入ってみようという人が多いんだな。カネの集まるところには、人材も集まるということか(笑)。カネといえば、さいきんの広告は、えらいカネをかけてるという感じだな。


chuukyuu これはカネかけるから、いいもんができるというわけではございませんけど、やはり最低限のカネをかけなくちゃいけない。


大宅 最低限どころじゃない。最大限のカネをかけてる感じですね、テレビなど見とると。


chuukyuu そうですかねエ。しかし、チェがないときはカネ使わなくちゃしようがない。チエがあれば、カネ使わなくてもすむんですけど……。


大宅 あれ、1分あたり、どのくらいかかっているんですか。単位は30秒ですか。


chuukyuu 30秒か1分、あるいは15秒というのもございますけど、15秒も1分も製作費はほとんど変らないんです。動員される人間の数とか、そういうものは。60秒のカラーでコマーシャルをつくった場合、どんなに安くても200万円は準備しなきゃなりません。高いのは1億円まであります。




カネとチエでおどろかす



大宅 カネがかかってるナと、カネの点でもっておどろかすのと、発想でおどろかすのがあるね。


chuukyuu それはやっぱり、カネでおどろかすのは、消費者の反感を買うこともあると思いますね。そんだけカネ使うんだったら、もっと値下げしろとね。その点、アイディアなら、いくら使ってもいくら突飛なものをだしても、大衆が納得してくれると思います。


大宅 しかし、カネをいかにかけるかで競争しているようで、もう国内ではおどろかすタネがないので、ちかごろ、やたらに外国に持っていくな。外国を背景にすればいいと。


chuukyuu それも先生、理由がありましてね。なにも外国ヘムリしていっているのではなくて、夏の日焼けとか、水着とか、そういうものを撮る場合には、当然冬から春のあいだにプランして撮影しますから、日本ですと、九州の日南海岸まで行きましても太陽の色がちがうんです。明かるさがたりないんですヨ。


大宅 カネでもっておどろかすっていうのは、おどろかす方面で、いちばん初歩ともいえるね。トリックではなくて、たとえば高いところから車を落して、衝突したときの現場と同じようなものを再現する。

chuukyuu注】大宅さんが例に出したのは、このCM



アナウンサー】このデモンストレーションはモービルの実験です。


私たちは、10階建てのビルの屋上に車を運び上げ、そこから落としてスーパーポイントをつかもうとしているのです。
時速100kmで車を走らせ、何かにぶつかった状態は、このように車を落としたのとまったく同じなのです。
(嘆き悲しむ人びと)。
スピードを出して車を運転する時、こういうことも起こりうるということを思い出してください。
時速100kmで走る場合、停止するためには100m必要です。
ですら100mあれば事故は防げます。でなければ-----ご覧のとおりです。
私たちの仕事はガソリンとオイルを売ることです。ただ、私たちが望むのは、常に必要な停止距離をもっていてほしいということです。
Mobil 私たちは、あなたに生きていていただきたいのです。


chuukyuu モービルですね。あれは、モービル石油が社会に対して安全運転を呼びかけたわけです。モービルの重役たちが広告代理店に、『絶対に商品を売ろうと思ってくれるな、企業の良心を売ってもらえばいいんだ』といったそうです。ところがあの広告がでると一週間に一万通もの投書がきた。よそのガソリンよして、君ンとこのガソリン買ってやるから、早く君ンとこのクレジット・カード送れという手紙が殺到したそうです。


chuukyuu注】モービルのー安全運転キャンペーンの片鱗は、
http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/20091109/1257707867




いやア、秦野さんにはまいったネ 




大宅 そのガソリンの方が安全度が高いんですか。


chuukyuu ただ、そのときは、交通事故防止をCMで訴えたわけです。ビルの上から落っことしたのは、時速100kmでぶつかると、これだけの衝撃がありますよとPRして見せたわけです。


大宅 一種の教育というか、教育宣伝だな。


chuukyuu ええ。これからの広告の方向っていうのは、'70年代っていうとちょっと調子がよすぎますけど、こういうた面が非常に強くなってくると思いますよ。


大宅 それから、社会悪を摘発するとか、誰もが心の中で思っていることをうまく引きだすとか……。だから、広告というのは同時に、社会的正義の代弁みたいな面をもつわけですね。


chuukyuu まあ、軽っぽい面も若干ありますけどね。


大宅 それを逆に、広告に利用しようというわけだな(笑)。あなたも広告のウソについて本を書いておられるが、世間も広告っていうのは、ウソがはいってることがあたり前だと考えている。


chuukyuu ……そうですかねエ。


大宅 今日の社会には、公然と行なわれるウソというか、許されるウソって相当たくさんあるね。たとえば、書物の批評とか、書物についている腰巻きという推薦文、あれほとんど全部ウソだな。


chuukyuuでもね、先生。そういうものをすべてウソというふうに呼ぶか、あるいはお世辞と呼ぶかでそうとうちがってくると思うんです。


大宅 それが営利につながってくることによるわけだ。


chuukyuu 推薦文でなくても、こんどの秦野前警視総監、ずいぶん男らしいとおほめになりましたね。お書きになった翌週には早くも……。


大宅 ああいうこと、裏のタネがわかっちゃってねエ。


chuukyuu でも、先生はあのときマジメに週刊誌のコラムでお書きになったわけでしょう。ところが、一週間たってみたら君子豹変しそうだった。


大宅 あれもひとつの演出だったということになる。


chuukyuu しかし、先生、まんまと---


大宅 ひっかかった。


chuukyuu お先棒かついだという結果になりますね。そういうことわれわれの世界でもあるんですよ。


大宅 広告も質的にだんだん変わってきてることは事実として、頼まれればどんな広告でもするというしきたりがあるみたいですね。


chuukyuu そんなことございません。いまではその商品が売れるか、売れないかというテストもできますし、この商品は売れないからやめた方がいいというサジェションする機能もありますし、十把ひとからげにはいきませんよ。


大宅 しかし、広告代理店が商品を選別してるの、あまりないね、ぼくの聞いたところでは。


chuukyuu ほんとに消費者意識というものが高まっていますから、おいおいそういう方向に進んでいくと思いますよ、選別する方向に。現にアメリカのすぐれた広告代理店では、悪い商品を扱うと自分の会社のキズになるから絶対にあつかわないときびしくコントロールしているところがずいぶんあります。


大宅 広告会社が損しないための安全弁はあるかもしれんが、この企業はインチキであやしいと危険を感じたとき、前もってブレーキをかける、その商品の広告をやめるという安全弁が広告業界にあるかというと、疑わしいナ。


chuukyuu いや、そんなことはございませんよ。




あッとおどろくタメゴロー」論




大宅 広告界の過当競争って、ぼくも若干知っとるけど、すごいもんだからね。


chuukyuu そういう面もあるでしょうね。しかし、文筆業者のなかにもヘンなのいますでしょう。ヘンなの取りあげていってりゃ、いくらでも叩くネタはありますけど、そればっかりじゃございませんですね。


大宅 だんだん、広告が正常な企業に変わりつつある。


chuukyuu それはやっぱり社会が……、社会という言葉で還元しちゃいけませんけど、識者はどこにでもいるわけですから、あの広告会社はおかしいじゃないかということになれば、その会社は滅びると思いますね。いつかバレますもの。


大宅 しかし、いつかバレる、それまでに、たくさんの大衆が迷惑する、それが問題なんだ。悪い面、社会に害毒を流すとか、国家に非常に不利な面がでてきたときに、広告業者はまったく表面にでてこない。責任も負わない。


chuukyuu ウーン。


大宅 この広告は誰があつかって、誰の責任でしたかっていうことは、あんまり世間にわからないですね。


chuukyuu いまの広告あつかいのマージンが15パーセントというのはそういう危険負担です。けれども、調査機能を自社でまかなうに足るだけのマージンじゃないですね。


大宅 15パーセントでも手数料もらって、極端なときには、サギ、どろぼうの片棒をかうぐ場合もありうるわけだな。


chuukyuu 不用意な場合にはですね。先生、非常に悪い例ばかりあげられるんでこまるんですけど。やはり生きのこるということは、それ相応に正しいことをちゃんとしてなきゃだめだと思いますよ。


大宅 しかしまぁなンですね。ぼくもそばから見ておって。やっぱりぼくも若けりや広告屋さんになったかもしれない。ということは、ゲームとして、人間の頭を、大衆の頭を操作するということはおもしろい。大衆をまずおどろかすことが先決で、おどろかしておいて、注目させる。つまりエサをなげて、とにかく食いつかせてつりあげるンだ。


chuukyuu どうも先生の広告理論は大正時代の広告理論で……。


大宅 「あッとおどろくタメゴロー」とか「ハッパフミフミ」って、なにをいうんだかわからない。


西尾 あれは、だから、古いタイプの広告だと思うんですよ。


大宅 あれがテレビ界を風びしたものね。大衆はそれほどバカなんだな。


chuukyuu いや、先生、それおかしいや。アメリカでも、いま問題になっているし、日本でもおそらく問題になる。これは広告のクオリビリティといいますか、信頼性、このことが非常にマジメに考えられているわけです。ほんとに広告が信頼されるかということでみんな頭を悩ましているわけです。




いちばん小さい恥部を露出する




大宅 いい悪いは別として、とにかくつかまえることが先決問題だということですな。ちかごろ、テレビに股だか、オッパイだかわからないようなの、ずいぶんでてますね。あれなんて、まず注意をひく、これは股か、オッバイかということで人間が緊張するわけだ。ぼくも、それでずいぶん緊張してるから。


chuukyuu 西尾 そういう点はまだレベルが低いところだと思いますね。


大宅 それから逆に、信頼感をもたせるというか、いままで氾濫してる悪徳広告の逆をいくような手ロもずいぶんでて来たですナ。自分の方から恥部を露出する。しかし、その恥部はおおきい恥部じゃない。いちばん小さい恥部を露出してみせる。そうすると、非常に良心的にみえるというひとつの手もある。


chuukyuu 先生が広告会社に入られると、いちばん悪い広告会社の社員になられますね、悪質な(笑)。


大宅 たとえば、お尻にアザがあるとアザをわざわざ見せる。すぐはわからないアザをみせて、その男がまえに淋病やったというようなことは隠しちゃうんだな。
自分のアザを公然と人にみせると、こいつはまさか淋病なんかやっておらんだろうと、世間が思うわけだな。




このゲスト紹介文は、『週刊文春』側によるものです。


「広告業というと広告主の代弁者みたいに見られていますが、大衆の気持を汲みあげてそれを広告主につたえる。たえず消費者の方に顔をむけ、本当のことを力強くいう、これが広告業ですよ」
昭和5年鳥取生れ。関大卒業後、三洋電機→日本デザインセンター、アド・エンジニアーズ社長を経て、東急エージェンシー取締役主幹。
非常な聞き上手で、広告界に新思想をふきこむ人として知られるが「直感と芸術的感覚にすぐれた人の手から生まれる広告が、新鮮で説得力をもつ〕とする芸術派広告人の旗手でもある。
三洋電機時代、フランキー堺主演の「私は貝になりたい」を当時としては画期的な、ノン・コマーシャルで放映し話題となった。


主な著書に、「ボルボ」「フォルクスワーゲンの広告キャンペーン」などがある。