西尾忠久を偲ぶ会(5)
『西尾忠久を偲ぶ会』の展示内容、第5弾です。
「少年時代〜三洋電機」「広告」「世界の有名品」「ミステリー小説」に続く最後のブロックです。
『鬼平犯科帳』や江戸時代の文化に関する著書
※左下にある『江戸・老舗さんぽ』が行方不明になっています。会場の案内が悪かったため、ミステリー小説と一緒にお持ち帰りになったのかもしれません。西尾の書斎にあった大切な本です。ご存知の方いらっしゃいましたら、 cd-rom@cece.co.jp までご連絡ください。よろしくお願いいたします
江戸時代の文化については、20代の頃から興味を持っていたと生前話していました。今回見つかった古いノートには「昭和32年5月3日」と表紙に書いてありました。26歳のときのものです。
表題の「桑名古庵」は江戸時代前期、土佐に実在した医師でキリシタンと疑われ入獄され、その後獄死しています。右はその「桑名古庵」を題材にした小説の原稿。
昭和32年12月、開高健氏の谷沢永一氏宛ての書簡に、西尾が『新潮』に作品を持ち込むと言っていた、いう記述が残っていますが、この作品のことだったのかもしれません。掲載されたかどうかについてはわかりませんでした
史実から探る『鬼平犯科帳』
実在の人物である「鬼平」こと長谷川平蔵宣以を、資料などを元に調査・分析しました。それは池波正太郎氏の創作の経路を探索しながら、平蔵を生き生きとした魅力ある人物として改めて紹介しようと思ったからでした。
『寛政重修諸家譜』の大名や旗本別に分類したファイルや『江戸買物独案内』などを元にしたファイルの数々。
ひとりの旗本を調べるためにその上司にあたる旗本や大名の動きを調べたり、結婚相手の家を調べたりして、なぜその人がその時期にその役職に就いたのかを紐解いていました
『鬼平犯科帳』に登場する、人物、街並み、店などを丹念に調査し、政治的・文化的な事象を明らかにしていきました。作者(池波正太郎)が頭の中に描いたであろう江戸の街並みを具現化するため、『江戸名所図会』の塗り絵にも力を注ぎました。
長谷川雪旦の絵による『江戸名所図会』に色鉛筆や水彩で色を付けていました。700箇所近い絵柄すべてに彩色を施しました
2004年の12月に始めたブログ『「鬼平犯科帳」Who's Who』は、7年半もの間一日も休まず、亡くなる2週間前まで更新を続けました。
池波正太郎さんの死去により絶筆となった鬼平犯科帳「誘拐」の続きを完結させてブログを終わらせたいと言っていました。
亡くなる1ヶ月ほど前に、西尾自身がブログ『「鬼平犯科帳」Who's Who』を振り返り、紹介しています。こちらのページをご覧ください。
今回で、西尾忠久を偲ぶ会での展示物の紹介を終わります。
それぞれのブロック、まだまだ資料や原稿も多く、私自身理解していないことも多くあります。
広告から鬼平まで通して、西尾が興味を持っていたのは「人と人」との関係であり「人とモノ」の関係であったと思いました。
その時期に興味を持ったテーマに対して、素早く、そして深く調べ、自分の目と足を使って、自分なりの答えを見つけると、また新しいテーマに取り組んでいたのでしょう。
次回からは、ジャマイカ観光協会の広告シリーズの続きに戻りたいと思います。
今後とも『創造と環境』をよろしくお願いいたします。
文責:転法輪 篤