創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](824)総索引リスト(13)

 

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バーンバックさん、DDBの環境を語る」での名言を拾う


[:DDB社内報『DDBニュース』1969年7月号に掲載された同誌編集長サンドラ・カール夫人とのインタヴューを、許可を得て『DDBドキュメント』(誠文堂新光社 1970.11.10)へ翻訳収録したものです。


]バーンバック「私の場合は、私がうまく処理できない分野のことを受け持ってくれたパートナーがいたおかげで、とても得をしてきました。
もし、私自身が経営していたり、クリエイティブ分野の人と組んでいたら、この広告代理店はきっと破産していたでしょうね…クリエイティブ面では成功を収めていたとしても、破産していたとおもいますよ。
マックスウェル・デーンとネッド・ドイルが財政面をしっかり見てくれました。
この2人が一致協力してくれ、そして私たちのクリエイティブな仕事ぶりを効果的にしてくれたのです。
私が制作という仕事そのものに専念できたことそして2人のパートナーが、広告というものに対する私の目的を自由に追求させてくれたことを、私はいつも幸運と思ってきました。
私は異常視されることなく広告哲学を発展させることができましたし、かなりの純粋性と効果を発揮させることができました」


「その哲学が、この20年間、変わることなく続いたとおっしゃるのですか?」


バーンバック「そうです。
この哲学はいささかも変わっていません。この哲学を充足するテクニックは変わりましたがね。
生きている時代なりのイディオムに応じて仕事をしなければなりませんからね」


「それは、二つの部分から成っておりましてね。
第一は、売ろうとしている商品についていわなければならない重要なことを発見すること…です。
その商品が、競争商品に立ち向かえるだけの優秀性、あるいは相違点を真剣に追求すること…です。
それがない場合には、クライアントと相談してそれをつくるのです。私たちは、何度もそうやってきました。
偉大なコピーライターの一人がこういっていますね。


「いうべきことがあったら、よりよいことがいえる」

そして、私たちは、常にいうべきことを捜し求めます。私たちが創業した当時は、いうべきことを見つけたら、それで仕事は終わったと考える代理店がほとんどでしたが、私たちの信念はそうではなくて、その段階だと、仕事は始まったばかりだとしかいえないと考えていたのです。


そこで、私たちの広告哲学の第二の部分はこうなります。
いうべきよりよいことを発見したら、それが記憶され、行動を起こさせるように、覚えやすく、芸術的で、説得力のある言い方をしなければならない…ということ。


私たちは、それを独創的で、新鮮で、想像力を豊かに表現する方法を捜し求めます。
前にも使われたような言い方をしたのでは、せっかくの衝撃力を台なしにしてしまうことになります。


私たちは、このような哲学を持って会社を創設したのです。
それは哲学というよりも、強い確信でした。ですから、広告には規律ある芸術的手腕の完全な意味づけをやったのはDDBだと私は断言できます。


もちろん、芸術的手腕なるものは、非常に測りにくいものです。手に触れて感知することのできないものです。


しかし私たちは、この測りにくく感知しにくいものを使って、クライアントのお金に最高の衝撃力を与えること…すなわちアイデアで売るといった、得心の行く仕事をしてきました。


たぶん、現代では、それは前にも増してずつと感知しやすく、測りやすいものになってきています。
スターチ社の調査として発表された1968年の最もよく読まれた広告400選を見ると、DDBのものがどの代理店がつくったものよりも多く、そしてより多くの商品カテゴリーで選ばれている…ということを訴えた自社広告を、いま、準備しています。


これは、賞のことをいっているのではなく、それらが1968年にもっともよく読まれた広告であるということを主張した広告です。メッセージを消費者に記憶させることのできるこの芸術的手腕以上に、実用的なものがほかにありましょうかね」

環境が人材を育てる


「DDBのコピーライター、あるいはアートディレクターでも、ひとたびほかの代理店へ移ってしまったら、もうDDBのコピーライターでもアートディレクターでもないとおっしゃったことがありますが---」


バーンバック「それは明白なことでしてね。
花をほかの土壌に植え替えたとしたら、同じようには育たないというのと同じです。
その人の仕事というものは、彼があるがまま、そして彼が置かれた環境を反映したものです。
私たちの環境はほかの環境とは異なります。いろんな要素が含まれていますからね。


たとえば、上層部とクリエイティブ部門の人たちとの関係、彼らの仕事をクライアントに提示する方法、私がクライアントに私たちの創造哲学を理解してもらい、受け入れやすくすること、クリエイティブ部門の人たちと私との個人的な関係、彼らが自分の優秀な才能を効果的に発揮できるように鍛えること…などです。


彼らが移ったほかの代理店にも同じようにすぐれたものがあるかもしれませんが、それもDDBで得たものと全く同じというわけにはいきません。
ほかのところへ移ると、いままでよりうまくなくなるというつもりはありませんが、ここと同じようであるともいえません。
たとえば、その代理店がクライアントとの関係において、私たちが持っているのと違う見解を持っていたとしたら、私たちがDDBのコピーライターとの間に持っているのと同じ関係を持つことはできません。


私たちは、コピーライターがコピーライターであるがゆえに正しいのだとはいいません。


私たちは、クリエイティブ部門の人たちが正しい時に彼らをバックアップし、彼らが間違っていると思えるような場合は、そのことについて彼らと議論を戦わすようにしているのです。
そして、DDBが今日のこの業界でもっとも多くの優秀なクリエイティブ畑の人材を送り出していることから見ても、私たちのクリエイティブな人材養成法がもっともよいものに違いありません。