創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(603)DDB20周年にバーンバックさん、DDBの環境を語る(つなぎ編)


今日から3日間連続で、DDBの創業20周年、25周年、30周年にあたる6月号の『DDBニュース』に載ったバーンバックさんのインタビューを連載します。

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バーンバックさん、DDBの環境を語る


3年以上も前、このブログの始めたころに、2日間にわけて紹介しましたが、アクセスなさる人も新しく大幅に増えています。
あらためて、1回にまとめて再録したほうがいいと考えました(6月1日の企画だったかな、大誤算!) 。
記事は、『DDBニュース』1969年6月号(DDBの創業は1949年6月1日)に掲載されたもので、インタヴューアーは同誌編集長のサンドラ・カール夫人。同誌および同夫人の許諾を得て、拙編『DDBドキュメント』(ブレーンブックス 1970.11.10)に収録したものの転載です。


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DDBの20年来の広告哲学


 DDBの成功以後、〔クリエイティブ・エージェンシー〕と称して、2人あるいはそれ以上のクリエイティブ分野出身の人物をトップに据えた広告代理店が創業していますね。20年前にあなたが同じようなふうに創業さなっていたら、どうなっていたでしょうね?


バーンバック「私の場合は、私がうまく処理できない分野のことを受け持ってくれたパートナーがいたおかげで、とても得をしてきました。
もし、私自身が経営していたり、クリエイティブ分野の人と組んでいたら、この広告代理店はきっと破産していたでしょうね……クリエイティブ面では成功を収めていたとしても、破産していたとおもいますよ。
マックスウェル・デーンとネッド・ドイルが財政面をしっかり見てくれました。
この2人が一致協力してくれ、そして私たちのクリエイティブな仕事ぶりを効果的にしてくれたのです。
私が制作という仕事そのものに専念できたこと、そして2人のパートナーが、広告というものに対する私の目的を自由に追求させてくれたことを、私はいつも幸運と思ってきました。


私は異常視されることなく広告哲学を発展させることができましたし、かなりの純粋性と効果を発揮させることができました。


 その哲学が、この20年間、変わることなく続いたとおっしゃるのですか?


バーンバック「そうです。
この哲学はいささかも変わっていません。
この哲学を充足するテクニックは変わりましたがね。
生きている時代なりのイディオムに応じて仕事をしなければなりませんからね。


 では、その哲学なるものを要約していただけますか?


バーンバック「それは、じつに簡単明解なことです。
二つの部分から成っておりましてね。
第一は、売ろうとしている商品について、いわなければならない重要なことを発見すること…です。
その商品が、競争商品に立ち向かえるだけの優秀性、あるいは相違点を真剣に追求すること…です。
それがない場合には、クライアントと相談してそれをつくるのです。
私たちは、何度もそうやってきました。
偉大なコピーライターの一人がこういっていますね。


「いうべきことがあったら、よりよいことがいえる」


そして、私たちは、常にいうべきことを捜し求めます。
私たちが創業した当時は、いうべきことを見つけたら、それで仕事は終わったと考える代理店がほとんどでしたが、私たちの信念はそうではなくて、その段階だと、仕事は始まったばかりだとしかいえないと考えていたのです。


そこで、私たちの広告哲学の第二の部分はこうなります。
いうべきよりよいことを発見したら、それが記憶され、行動を起こさせるように、覚えやすく、芸術的で、説得力のある言い方をしなければならない…ということ。


私たちは、それを独創的で、新鮮で、想像力を豊かに表現する方法を捜し求めます。
前にも使われたような言い方をしたのでは、せっかくの衝撃力を台なしにしてしまうことになります。


私たちは、このような哲学を持って会社を創設したのです。それは哲学というよりも、強い確信でした。
ですから、広告には規律ある芸術的手腕の完全な意味づけをやったのはDDBだと私は断言できます。


もちろん、芸術的手腕なるものは、非常に測りにくいものです。手に触れて感知することのできないものです。


しかし私たちは、この測りにくく感知しにくいものを使って、クライアントのお金に最高の衝撃力を与えること……すなわちアイデアで売るといった、得心の行く仕事をしてきました。


たぶん、現代では、それは前にも増してずっと感知しやすく、測りやすいものになってきています。
スターチ社の調査として発表された1968年の最もよく読まれた広告400選を見ると、DDBのものがどの代理店がつくったものよりも多く、そしてより多くの商品カテゴリーで選ばれている……ということを訴えた自社広告を、いま、準備しています。


これは、賞のことをいっているのではなく、それらが1968年にもっともよく読まれた広告であるということを主張した広告です。
メッセージを消費者に記憶させることのできるこの芸術的手腕以上に、実用的なものがほかにありましょうかね」

環境が人材を育てる


 DDBのコピーライター、あるいはアートディレクターでも、ひとたびほかの代理店へ移ってしまったら、もうDDBのコピーライターでもアートディレクターでもないとおっしゃったことがありますが、もっと詳しくお話しくださいますか?


バーンバック それは明白なことでしてね。花をほかの土壌に植え替えたとしたら、同じようには育たないというのと同じです。
その人の仕事というものは、彼があるがまま、そして彼が置かれた環境を反映したものです。
私たちの環境はほかの環境とは異なります。
いろんな要素が含まれていますからね。


たとえば、上層部とクリエイティブ部門の人たちとの関係、彼らの仕事をクライアントに提示する方法、私がクライアントに私たちの創造哲学を理解してもらい、受け入れやすくすること、クリエイティブ部門の人たちと私との個人的な関係、彼らが自分の優秀な才能を効果的に発揮できるように鍛えること……などです。


彼らが移ったほかの代理店にも同じようにすぐれたものがあるかもしれませんが、それもDDBで得たものと全く同じというわけにはいきません。
ほかのところへ移ると、いままでよりうまくなくなるというつもりはありませんが、ここと同じようであるともいえません。
たとえば、その代理店がクライアントとの関係において、私たちが持っているのと違う見解を持っていたとしたら、私たちがDDBのコピーライターとの間に持っているのと同じ関係を持つことはできません。


私たちは、コピーライターがコピーライターであるがゆえに正しいのだとはいいません。


私たちは、クリエイティブ部門の人たちが正しい時に彼らをバック・アップし、彼らが間違っていると思えるような場合は、そのことについて彼らと議論を戦わすようにしているのです。
そして、DDBが今日のこの業界でもっとも多くの優秀なクリエイティブ畑の人材を送り出していることから見ても、私たちのクリエイティブな人材養成法がもっともよいものに違いありません。

才能の開花の瞬間を見る喜び


 クリエイティビティでは、DDBが得ているような成長をずっと続けさすことはできない……と予言したカサンドラ(偽預言者)たちがずいぶんいましたね。


バーンバック「それは規模の問題ではないのでしてね。
もちろん、大きくなるにつれて困難にはなってきます。
というのは、従業員の回りで起きることは、マネジメントと彼らとの関係の結果によるものであって、従業員の数が多くなればなるほど、自然に彼らとの個人的な関係を持つことがむずかしくなってきますからね。それは当然なことでしょう。


しかし、適切な人間がそこにおり、マネジメントが従業員とその仕事の質とに深い関心を寄せ続けること、それこそが問題なのであって、規模には関係ありません。


今年の賞を参照していただけばわかりますが、DDBはアンディでも最多の賞を受けていますし、AIGAでもナンバー・ワン、そしてスターチ社の調査でもナンバー・ワンなのです。
創業から20年を経ているのに、これは驚異的なことです。
そこでもじっていえば、『何かきっとあるんですよ』(注:DDBがつくったラインコールド・ビールの名文句「ニューヨークでナンバー・ワンの売れ行き。どうしてなのかわかりません。何かきっとあるんですよ」のもじり


 若い人材の在庫が尽きてしまったとお感じになったことはありませんか?


バーンバック そんなことはありませんよ。
現在でも私たちの代理店にはクリエイティブ分野の巨人が数人いますが、彼らとて最初は巨人ではなかったのです。
そうなるまでには、1年、あるいはそれ以上の歳月を要した人も中にはいます。


しかし、そういう芽がその人の中にあり(私たちは、そういう人びとを入念に選び抜いています)、そして彼らが私たちの見解で保護され、働き、磨かれているうちに、そうなっていくのです。
ある日突然(まさしくある日突然という形容がぴったりなほど)、巨人となるのです。 それを見るのは、私にとっても、とてもスリリングな経験です。


アートディレクターが、そのコツをつかむのは、彼が、彼の広告が見映えがするかどうかなどと思いめぐらすのをやめて、それが広告としてどのようにすぐれているか、どのように得心の行くものがあるか、どのように説得力のあるものかという目で、コピーなりグラフィックなりを見るようになったときだと思います。
時がどんどん流れ、1年を過ぎ……あるいはもっと過ぎて行くうちに、ある日キャンペーンをやっていて、彼が熟してきたのを見て、オーケー、やっと到達した、そこだよ……というのです。


こういうふうになれる人の割合は、ほかの代理店がもうすでに出来上がった人びとを求めているのに、私たちはわざわざ若い人を採り、養成するそのやり方が正しいと感じているぐらいですから、私たちにいわせれば、はるかに高いといえます」

DDBが売ってきたのは…


 最近、英国の広告業界誌に、英国のある広告人が、米国の数多くの代理店を歴訪したけれど、DDB以外には個性のあるところはなかった、と書いていました。
その人によると、あなたがDDB内をぶらぶら歩いていて無作為に人びとに話しかけているのを見ると、まるで一人の人間が話しているように見えるというのです。
バーンバックは、彼の部下を洗脳してしまったので、彼らは一つの言葉で話している』といってます。これについてのご意見は?


バーンバック その『洗脳』という言葉は、明らかに間違っています。
だれにもかれにも、自分がしてほしいと思うようにさせるなんてことは恐ろしいことです。 人間にはそれぞれ独特の才能があるはずです。


DDBの中で、とてつもないユーモアのセンスを生得的に持っているアートディレクターもいます。また、人間に対して非常に暖かみと哀れみを覚えており、それが彼の仕事にもよく現れている人もいます。
そうかと思うと、ほとんど数学的といえるほどの明快さと鋭さ、強さを持った人もいます。


私がクリエイティブ部門の人びとに望むことは、彼のものである(私のでなく、彼の)才能を取り上げ、そしてほんとうに人間好きで人を尊敬できるなら、彼ら自身の(私のでなく、彼らの)イメージを尊重し、天性の才能をできるかぎり効果的に発揮するように鋭く訓練してゆくことです。


ですから、DDBの仕事にはこのようにヴァラエティがあるのです。
スターチ社の調査に見られるように、私たちの広告がどの商品カテゴリーにも顔を出しているのもそのためです。
私たちはお高くとまった広告だけとか、コピーの短い広告だけとか、コピーの長い広告だけとかいった、一つのスタイルの広告をやっていません。
DDBの広告をつくり出しているのは何かと聞かれても、私たちには特定の公式はないのです。


私たちは公式など全く持ち合わせておりません。
私たちの広告に見られる公分母はただ一つ、どの広告にも新鮮なアイデアがあるということだけです。
私たちは、ストーリーを新鮮で独創的な方法で表現します。
新鮮ということでしたら、いろいろな方向でできるはずです。
私たちは、だれにもルールを当てはめません。
ただ、自然に浮かんできたものを、効果的にやってもらいたいだけです。
だから、彼らは自分たち自身のやり方でやっています。
もちろん、効きめがあるようにと鋭く訓練されたやり方でやっているのですが……。


 この分野で伝説的な人物になることについて……


バーンバック 困ったな……


 いいです。それでは、この代理店がそうなることに対しては?


バーンバック もちろん、私たちが最高の頂に登りつめることができた代理店をつくり、それがビジネスとしてもクリエイティブな面からもこのような成功をもたらしたという感じは、とてもいいものです。
私たちは、この代理店の個性を変えようとしたことは一度もありません。


最初から、私および私のパートナーは、代理店の重要な機能は、偉大な広告をつくることであり、その他の機能は、これを助けるものであるという見解に立ってこの代理店をいつも売ろうという点で、意見が一致していました。


DDBには、この業界最高のメディア部門、マーケティング部門、リサーチ部門があります。
でも、私たちは一度もそれらを売ろうと思ったことはありません。


私たちは、よい広告をつくる能力だけを売ることに専念してきました。
よりよいメディア、マーケティングマーチャンダイジング、リサーチ部門があったお蔭で、より高いクリエイティブな仕事をすることができました。
クリエイティブ部門の人たちが、そのお陰で訓練されたのです。
クリエイティブ部門の人たちが、健全なアイデアへと飛躍するのに必要なインフォメーションと知識を、それらの部門が提供してくれるのです」(了)


明日は、25周年に語られた才能の発見と育成