創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](647)プリスティーンの広告 マリー・クァントに訊く(2)

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この草文を書いたのは、40年以上も前です。「悲劇を売る」とか「不恰好を売る」などという反常識に思える言葉を項目にすえています。


もちろん、主題の中には、この40年間に世間常識化してしまったものもあれば、依然として過激思想視されているものもあります。常識化したものの一つが性の周辺情報の規制のゆるみです。
ネットのなかでは、秘画が部分ぼかしをしないで掲示されています。


プリスティーンがVaginaという綴りのまま広告コピーにのせているのも、40年前---という時代をかんがえると、革新的な決断てあったといえましょう。



ウーマンズ・リブを利用


「ずいぶん長いインタビューを引用していますね。しかもそれは商品とはまるで関係ないみたいな話で……」
パーカー夫人は答えた。
「そうなのよ。化粧品なんて中味は似たり寄ったりでしょ。違うのは商品名とラペルと容器とデザインだけ。そんなものをとり立てていってみたところで消費者には関係ないことよ。


だから、いまアメリカの女性がいちばん関心をもっているウーマンズ・リブをテーマにしてみたのよ」


たしかに、この年(1970)の春ニューヨークで会った婦人記者やモデルたちのほとんどが「ウーマンズ・リブ」という言葉を口にした。
働く女性、働く主婦がふえてきて、いろんな社会問題が表面化してきているのであろう。
賃金格差や社会モラル(妊娠中絶)にまで改造が及んでいる。


(注)ウーマンズ・リブの理論的指導者ケイト・ミレットの『性の政治学』(戸田奈津子訳)によると、「米国労働省がまとめた1966年度平均収入の統計によると、白人男性は6,704ドル、白人以外の男性4,277ドル、白人女性3,991ドル、白人以外の女性2,816ドル」ということで約60%の格差があることを指摘している。


アメリカにおけるウーマンズ・リブ運動は、1968年に発生した。
ベトナム戦争の急進的学生運動そのもののなかにも一般社会と同じ女性抑圧の形が残っていることに気づいた女子学生たちの自己主張から始まった。すなわち、学生闘争においても男性はつねにスポークスマンであり決定者であったのに反して、女性は補助的役割しか与えられなかったことから、目ざめた女性の集団が独立した運動を始めたのである。


その年にアトランティック市で行なわれたミス・アメリカ・コンテストの会場を襲い、舞台にあがってブラジャーを焼き、身体的条件で女性の価値を決めることと美の基準を白人の代表におく人種的偏見に反対してニュースとなった。
ブラジャーを焼いたのは、女性を規格サイズにはめて評価する商業主義への反発である。
いわゆるノー・ブラ運動はこうして起こった。
過激な女性のなかには勤務先でノー・ブラ日を提唱して解雇された者さえ現われた。
しかし、ノー・ブラ主義は不謹慎な男性たちに好色的に受けとられ、「彼女はつけているか、いないか」といった賭博行為の流行さえもたらしたという。


一方、ノー・ブラの伝播をおそれたブラジャー業者は、「男性がデザインした過去のブラジャーはあなたを束縛するだけです。当社は、つけていない感じの新製品を開発しました」と訴えて、ソフト・タッチ型の市場を創造し、2億5,000万ドル(9,000億円)を1969年に記録したという。
そういう意味でいえば、このプリスティーンの「ウーマンズ・ニュー・フリーダム」という訴えかけは、リブ運動の敏捷な商業的利用といえる。




パリの支配からの解放


「長めの服が流行しはじめていますが、ミニ・スカートのあなたとしては、どうお感じですか?」
クァント「私はいつでもルールを嫌ってきていますし、たとえ自分が考案してしまったものでも嫌うと思います。
今日、たくさんのスタイルが流行しています。
女性は、それらのすべてを自由に着こなします。
パリの支配はうけません。
パリのオートクチュールのそれは、俗世間から離れて、性感覚のない生活を送れ! と全世界の女性に押しつけるやり方ですから。
いまや、ルールはすべてなくなりました。長目のスタイルだって、役に立ちます。
精神と外面との区別はなくなったのです」


「かつては、服装によってその人の経済的、社会的階層を表わすことができましたが、その傾向はなくなってきていますか?」
クァント「それは、女性が男性から独立して生きてゆくことの現われの一つです。
かつて女性は、妻としての要素を飾り立てました。
夫が弁護士であれば、弁護士の妻として洋服を着ます。というのは、彼女の洋服は夫に買ってもらったものだからです。
そして結婚前には、彼女は父親に買ってもらっていたので、父親のかわいらしい娘としての洋服を着ました。
彼女が経済的に自由になれば、自分自身を楽しませるもの、つまり自分自身であるために洋服を着るのです」


「金銭が彼女たちのものになるとしても、それでもなお、金持ちと貧乏人は存在すると思います。
あなたのお考えでは、高価な洋服と安いものの差は無くなっていると思いますか?」
クァント「無くなっています。
もう一度申し上げますが、私たちはうんと道徳的なのです。
金持ちと貧乏人の間にある不公平に対して、たいへん気がかりです。
そんなわけですから、ゴテゴテ飾り立てて富をみせびらかすのを、快しとしません」


「つまり、地位の象徴としての洋服は過去のもの……ですね。また、暖房用でも謙虚さのためのものでもない。まさに、装飾用としてのみある……とおっしゃるわけですね」
クァント「装飾として、刺激的なものとして、そして『私を見て』という合図として存在します。『よく、私を見て!』と」


さて、こういったふうに、広告の中に社会思潮をとり入れているプリスティーンという商品は、どんな商品なのであろうか? ちょっと書くのもはばかられるが、広告文を引用すると、


「自分自身の新しい自由の扱い方を知るということは、自分自身を一日中、一晩中、完全に女らしく保つ方法を知るということも含んでいます。かすかではあるがやっかいなVaginaの臭いからも自由になることを知ること……」


Vaginaというような直接的な単語が広告に現われたのはつい最近のことで、このプリスティーンが最初である。
「女であるための臭い」などと書いた時期もあったが、消費者のほうがそれと気づかなかったので、はっきり明記したのだという。
そのほうを消費者も支持したということだ。


しかし、こうした商品の登場も前章で解説した働く女性の増加に関係がある。
「性」の制約を越え、男性に伍して活躍しようとすれば、当然「女であるための臭い」は邪魔になるという発想から生まれたボディ製品であることは間違いない。


明日に、つづく。


パーカー夫人による、乳がん早期発見をすすめるテレビ・コマーシャル(公共広告なので無償参加)

アナウンスは、女性ががシャワーのついでに乳房にさわり、異常を発見することは、みだらな行為でもなんでもない---と、自己簡易検診をすすめる。




参考】パーカー夫人の電通(東京)での講演『DDBのクリエイティビティの秘密』←クリック
1966年10月15日