創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(646)プリスティーンの広告 マリー・クァントに訊く(1)


39年前の1971年3月1日、22冊目にあたる『売る』(日本経済新聞社)を上梓しました。
日本ダイナース・クラブの会員誌『シグネチャー』に1年半にわたっての連載に手を入れてまとめたものでした。
同誌の読者は、アッパー・ミドル階層の人や家庭が主流だったので、社会の変化の予兆を『売る』ことにしました。
39年後のいまでは、普通になっているものです。
これは、その最終の1項目--- 



ウーマンズ・リブを売る


現代女性の望み……性的人間


ニューヨークを訪ねるたびに、ぼくはパーカー夫妻の世話になる。
パーカー氏はべル電話会社に勤める電子工学の技師。パーカー夫人のほうは、DDB広告代理店の副社長兼コピー・スーパバイザーである。
1970年の旅行で、数日間パーカー家に滞在させてもらった。
夜、お茶を飲みながらパーカー夫人と広告の話をするのは実に楽しい時間である。
ある夜、1点の広告をとり出したパーカー夫人が、
「読んでごらんなさい」



マリー・クァントとのインタヴューを載せたプリスティーンの見開き広告


スプレー式の女性自身の消臭剤〔プリスティーン〕の広告であった。
外貨獲得の功績でエリザベス女王から「英国勲功賞」をもらったミニ・スカートのデザイナー、マリー・クァントとのインタヴューを新聞見開き2ページで取り扱ったものであった。


(注) 塩浜方美氏は『ファッション産業』(日経新書)でマリー・クアントを評して、デザイナーというよりはマーチャンダイザーの能力がすぐれていると書いた。『彼女の店は61年3億5,000万円の売れ行きだったものが、65年には40億円に達したという。英王室でもマーガレット王女やアン王女が彼女の店へ直接出かけてドレスを買う。ここに現代のファッション・マーチャンダイジングの最大の特徴がある。つまりマーガレット王女が着るというようにファッションが変わったのである。しかもその決め手ともいうべきシルエットそのものも、組み合わせという形に移行してきている。この新しい流行構造を的確につかむ能力こそが、今日のマーチャンダイジング能力なのである。マリー・クァントは次のようにいっている。『まわりの人がこれまでの服装にもの足りなさを感じ出す直前にその空気を察する』 (『マリー・クァント自伝』藤原美智子訳)」


「ファッション解放のパイオニアとして、何か発言を……」
クァント「自分がパイオニアだなんて思ってはいません。
ただ過去・現在を通じてやっていることは、女性が欲するものに共感し、解釈することだけです。
ある意味で、ファッションは、社会の変化を予言します。
女性は、そうありたいと思うように着はじめましたし、そうすることで彼女たちに勇気と個性をもたらしています」


「今日の女性は、どんな個性を望んでいますか?」
クァント「性的人間としての……です。彼女は、つつましく隠すのをやめ、性を強調します。
今日、女性は洋服を着て性を強調するわけですから、はるかに道徳的といえます。
はるかに正直です。
過去の彼女のやり方は、ひどいものでした。夫と性を取り引きしていたのです。
結婚と経済的な安定のために、夫へ愛を売るというようなひどい方法で、自分の夫を利用したわけです」


下着が上着になってくる時代


ご年配の読者の方や、すっかり安定した生活を送っている方からは、「ナンテヒドイコトヲ……!」という声があがりそうなインタビューだ。
たしかに、過激な思想である。


しかし、これが広告に引用されている文章である点をお忘れなく。(ポートレイト=パーカー夫人)


そして、こうした考え方に数分間つきあうことも、時代の変化を理解しゼネレイション・ギャップを埋める一つの手がかりになるのだから……。


「性的になるために、私たちはどのように着ればよいのですか? もっと肌を見せる?」
クァント「今日の女性は、自分の体に誇りを持っています。食餌療法を知っていますからね。
体型を整えて着る必要なんかないのです。
彼女自身が型なのです。
そういうわけですから、自分を満足させる種類の洋服を欲します。
『私は、私の体を楽しんでいます。私は性的です。私は人生を楽しんでいます』
といっているかのように着ます。


「そうなると、下着はどうなるのですか?」
クアント「着るとも着ないともいえます。
下着が上着になってきています。
私たちは見られるために下着を着るのです。
たとえば、パンティーストッキングがそうでしょう? チュニックは太ももを見せるために、両脇がスリットしてあります。それがファッションの一部になってきているのです。


パーカー夫人に「この広告をつくったのは?」とたずねた。
「私よ。インタヴューも、私がロンドンに飛んでやってきたのよ」
マリー・クァントは現在(1970)、1年のうちの半分近くを彼女の製品の主要マーケットであるニューヨークヘ滞在して過ごしているということであるが、ちょうどこのインタビューの時期はロンドンにいたのであろう。


一方のパーカー夫人は、すでに40歳を越している女性である。年収入も数万ドルあり、ハドソン河が眼下に望めるマンハッタンの高級アパートに住んでいる。
来客用のバス・ルームとベッド・ルームつきということで、その生活ぶりをご想像いただきたい。 
その彼女がこの広告を企画し、テープレコーダーを持って取材に行っている。


「それでは、下着は体型を整えるためではなく、美しさのために着るとおっしゃるのですね?」
クァント「現在女性は、望みの体型になれるのです。
人間は環境を支配できますから、寒さを防ぐためには洋服を着ません。
そして、私たちは謙虚ではないのです。
つまり、洋服を着たり、体を飾ることは、裸以上にエロティックで装飾的であるわけです」


「私たちが全裸を目標にしていると思いこんでいる人たちもいるようですが……」
クァント「そうではありません。より薄着を、より顕示的な洋服を目ざしているのです。
ということは、女性が、いままでになく美しくなっているからです。
彼女たちは、自分が望んだどんな体型にもなれるからです。蝶の羽のような半透明の服を着て、ボディー・メークアップをシースルーさせたり、体に飾った宝石をちらつかせたりすることもできます。
全裸は刺激的ではありませんから、全裸には絶対になりません」


「年相応のファッションというのはどうなりますか? 50歳の女性が、20歳女性の着るものを着てもいいのですか?」
クァント「その時代に生きていることを楽しむためには、その時のファッションを取り入れればよいわけです。自分の感覚を喜ばせるものを取り入れるわけです。体の不完全なところは人目から隠し、完ぺきな部分を見せるのです。
老婦人の足のほうが、若い女性の足よりも美しいことだってありますからね。
ファッションは年代とは関係ないと思います。
生き生きとしているかとか、好きだとかには関係がありますが」


「モノ・セックスについては、どうお考えですか?」
クァント「不幸な言葉です。病名みたいにきこえますね。
ほんとうの意味は、驚くべきことなのです。
似たものを着るのは、まず最初に、男と女が好きあっていることの現われなのです。
それぞれがそれぞれの洋服を借りあったり盗んだりするのは、互いに同情しあっているからなのです」


明日につづくクリック




参考】パーカー夫人の電通(東京)での講演『DDBのクリエイティビティの秘密』←クリック
1966年10月15日