創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(607)ぼくにとって、ビートルの広告は・・・(中)


 ビートルの広告にこだわっていた期間は、13年間ほどでしたろうか。実年齢でいうと30歳から43歳ほど。もっとも働き減りしない年代。


ただ、実際に年に春秋2度ずつ、定期便のようにDDBを訪問したのは、1967年から5,6年でした。いろいろなことがあり、DDBリサーチをうちきりました。


いま考えると、早合点だったと後悔ぎみですが、いまさらいってみてもはじまりません。
13年間に調べたことを、できるかぎり、こうした公けの場へ晒し、残し、いつでも覗くことができるようにしておくのが、人生の義務みたいなものかなと、愚痴るのみです。




私たちは、これを変えます。


さあ、私たちが最も力を入れて改良したところを、見てお確かめください。じっと。
あなたの眼のとどくかぎりのすべての箇所(そして、とどかないところもすべて)が、くり返し、くり返し、くり返し改良されています。
けれども、私たちは、理由もなしにはフォルクスワーゲンを変えません。そして、その理由というのは、ワーゲンをよりよくすることだけです。
改良するときには、新しい部品が古い年式のものにも使えるように心がけています。
ですから、VWのたくさんの部品は、ある年式のものが別の年式のものにも流用できる、ということがわかっていただけるでしょう。
このことが、VWのほうが、多くの国産車よりも部品が入手しやすいヒミツなのです。
そしてまた、VWのサービスがご存じのとおりによい理由も、そこです。


私たちは、これを変えません。


かぶと虫型についても、同じ原理があてはまります。
私たちは、ある年に、リアのウインドウを大きくして、後ろからくる車がよく見えるようにしました。昨年はテール・ライトを大きくして、後の車にあなたがよく見えるようにしました。
けれど、思いきった変更は何もなし。そして、どのフォルクスワーゲンのボディでも、いままでに売られたどのVWにも合います。
そして、もしかしてお気づきではないのではないかと思って申し上げるのですが、どのVWも、ほかのVWとよく似ているんです。
これは、車に関することの中では、最もすばらしいことであるかもしれません。ある年には流行って、ほかの年はダメということがないのですから。


C/W ボブ・レブンソン
A/D ヘルムート・クローン

LIFE誌 1963.02.15


This we change.


Now you can see for yourself where we make most of our changes. Way down deep.
Every part you can see (and every port you can't see) has been changed again and again and again.
But we never change the Volkswagen without a reason.
And the only reason is to make it even better.
When we do make a change, we try to make the new port fit older models, too.
So you'll find that many VW parts are interchangeable from one year to the next.
Which is why it's actually easier to get parts for a VW than for many domestic cars.


This we don't.


And why VW service is as good as it is.
The same principle holds good for the beetle shape.
We made the rear window bigger one year so you could see other people better. We made. the tail lights bigger last year so other people could see you better.
But nothing drastic. Any Volkswagen hood still fits any VW ever made. So does any fender.
And, in case you hadn't noticed, every VW still looks like every other VW.
Which may turn out to be the nicest thing of all about the car.
It doesn't go in one year and out the other.


C/W Bob Levenson
A/D Helmut Krone
"LIFE" 1963.02.15


きょうのは、ちょっと変わってるよ


それからね、広告というものはコンセプトの呈示のしあいだってこともわかりました。
ほら、子供のころ「かくれんぼするもの、この指にとまれ」「なわとびするもの、この指にとまれ」ってやったでしょう。
基本的にはあれだと思うのですね。


「なわとびするもの」の前に、「きょうのなわとびはちょっと変わってるよ」とつけるのが広告のクリエイティビティかもしれません。


ビートルの広告の場合でいいますとね、これはDDBのバーンバックックさんの言葉なんですが、


「私たちがフォルクスワーゲンは正直な車です」という言葉の上に十分なおカネを積むことができたなら、そのおカネの重みだけで大衆の心にその文句を焼きつけることができただろうと思います。
しかし、私たちにはそれだけの時間もおカネもありませんでした。
私たちは人びとをギョッとさせ、決して忘れられないようなやり方で私たちの利点にただちに気づかせなければなりませんでした。
これがクリエイティビティの真の機能です。
ということになりましょうか。


でも、まあ、これはキレイゴトでしてね。
当初のアートディレクター・・・ヘルムート・クローンは全然、別の説明をしています。


「人間というものが、どれぐらい誤りを犯せるものかを、また、私がどれほど誤りに陥りやすい人間であるかを明らかにするために、私はビートルのキャンペーンに立ち向かったのです。
私は、あのみにくい小さな車をできるかぎりアメリカ的に、それもできるだけ早くそうすることだと思いました。ダイナ・ショアもどきにやろうって考えていました。
彼女がよく歌っていたのはどんな歌でしたっけ? 『シボレーに乗ってアメリカを見よう』・・・私は、VWに乗ってアメリカを見よう』とやりたかったのです。
車の回りにモデルたちを配して、テレビで派手にね」


だから、1959年に『ライフ』にだした「VWは変わるでしょうか?」とそれにつづく2本の広告をつくった時、クローンは、間違った広告をつくってしまったと感じていたというのですね。


では、なぜ間違いと思いつつもその広告を出してしまったか・・・そこのところがいちばん知りたいところですが、 クローンは語っていないのです。
ぼくの想像ですが、ダイナ・ショア式の広告に対して、バーンバックさんがダメをだしたのだと思います。
バーンバックさんの心の中には、一つのイメージができあがっていたのかもしれません。
いや、それは確固としたものではなくて、「きょうのなわとびはちょっと変わってるよ」ぐらいのものだったのではないでしょうかねえ。


それというのも、ビートルの広告の文体となっている[主語・動詞・目的語]という短文の積み重ねにしても、クローンが女流詩人のガードルードスタインの詩を真似てやったものだといいますからね。


この[主語・動詞・目的語]という短文の積み重ねについては、一時、ビートルの広告を真似た日本のコピーライターたちも、さすがに真似しきれませんでしたね。
彼らがやったのは、逆説風のいい方と、ちょっとひねった口調だけだったように思います。


ぼくは、相当長期間,[主語・動詞・目的語]式短文から逃がれられませんでした。
広告業界の雑誌ではなく一般の婦人誌とかなんとかに文章をのせてもらうようになって、やっと脱することができました。



改良至難な形だってあるんです。


雌鶏にきくまでもありませんよ。
タマゴ以上に横能的な形をデザインすることはできません。
そこで、私たちも、フォルクスワーゲン・セダンを、そっくりタマゴに似せてつくったのです。
でも、私たちがそれで満足したなんて、早のみこみしないでください。
(実際の話、フォルクスワーゲンは、3,000回近くも変えられているのです)。
ところが、さすがに、その基本的なデザインを変えることはできませんでした。
タマゴのように、それは、中味に対する、完ぺきなパッケージであるからです。
そこで、私たちは、努力を内部に注ぎました。
ガソリン消費はそのままで力を上げること。ロー・ギアをシンクロメッシュにすること。ヒーターを改良することなどです。
その結果、私たちのバッケージは、おとな4人とその荷物を運ぶのにレギュラー・ガソリンでリッターあたり13km走り、タイヤは64,000kmも保つようになりました。
もちろん、私たちは外観も少し変えました。
たとえば、プッシュ・ボタン式のドア把手がそうです。
タマゴ以上といえますね。


C/W 不明
A/D 不明
紹介もれ
"The NEWYORLER" 1963.04.13



Some shapes are hard to improve on.


Ask any hen.
You just can't design a more functional shape for an egg.
And we figure the same is true of the Volkswagen Sedan.
Don't think we haven't tried.
(As a matter of fact, the Volkswagen's been changed nearly 3,000 times.)
But we can't improve our basic design.
Like the egg, it's the right kind of package for what goes inside.
So that's where most of our energy goes.
To get more power without using more gas. To put synchromesh on first gear. To improve the heater. That kind of thing.
As a result, our package carries four adults, and their luggage, at about 32 miles to a gallon of regular gas and 40,000 miles to a set of tires.
We've made a few external changes, of course. Such as push-button doorknobs.
Which is one up on the egg.


ゴッホの手紙でも調べりゃよかった


かぶと虫の広告からぼくが学んだものは、まだあります。
それは、消費者の知性を尊重するということです。


フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社刊 初版1963年6月15日。第6版1968年7月25日) を上梓して以来いわれつづけたことは、ビートルの広告流のユーモアが一般大衆に理解されるかね? という言葉だったんですね。
ぼくは黙っていました。
なぜかというと、ビートルに乗っている人びとは、若くて、生活程度、教育程度がふつうのアメリカ車のオーナーよりも高い、などということをしたり顔で説明したくなかったからです。
当然でしょう、ぼくはビートルのセールスマンでもなかったのだし、ましてや、DDBの人間でもなかったのですから。


ぼくだけの教科書にしておけばよかったのです。


そうですね、教科書・・・というのは、うまくいいあてた言葉かもしれませんね。
座右の書・・・なんてほどのものではないし・・・。


卒業してしまえば、本棚の片隅に押しやられる存在ですものね、教科書って。
ただ、ぼくの場合は、留年につぐ留年で、ずいぶん長いあいだ、教科書の役目を果たしてくれました。


ところで、いまの若いコピーライターにとって、教科書になるような広告・・・というと、さて、なにがありましょうねえ?
ないんじゃないですか。
これは、幸せなことか、不幸なことか。


冒頭にいった「浪費」のことを話せ」とおっしゃるので?
もう話したと思いますがねえ。
ほら、何回もニューヨークへ 出かけて行ったといいましたでしょう、飛行機代だってバカになりませんよ、都合、7回も行ったのですからね。


いや、ほんとうは、そういう意味で「浪費」という言葉を使ったのではありません。
そうではないのです。


いいですか、ぼくは10年ちかく(この編集時)もビートルの広告にこだわりつづけてきたのです。
10年間もですよ。
10年間も、ほかのことに労力を使ってごらんなさい。
たとえばゴッホの手紙を検討するとか、ジョサイア・ウェジウッドの年代記を調べるとか、フランスの美術
様式を研究するとか・・・博士論文の一つもできているかもしれないではありませんか。


ところが、ビートルの広告だと、いけませんなあ。
アメリカ国内で、トヨタニッサンがビートルの販売量を追いぬいた・・・なんて事実だけで、あの広告はもうダメだってことになってしまうんですからね。


それでいいのかもしれませんなあ。
時代の変化ってものですからね。


でもれそれじゃあ、 トヨタニッサンアメリカでの広告が教科書になるかというと、それはどんなものでしょう?
ぼくはそっちのほうに詳しくはないのでなんともいえないのですが・・・。




米国製


ミシガン州のグランド・ラビッズのG.ラングという人が、暇をみてはスペア部品を使って、 このフォルクスワーゲンをつくりあげました。
たいへんよく走ります。
が、そんなにしょっちゅうは走りません。
ラングさんは、私たちの訓練学校の一つでVWの機構を教えるのに、これを使っているからです。
バラバラにしては、また組み立てるのです。幾度も、幾度も。
こういう教育方法で辛苦を経ますから、私たちの機構はすごくシャープになるのです。
(私たちのサービスも同様にね)
もちろん、私たちの車が、ほかの車よりもずっと簡単に勉強できるということは認めますよ。
それというのも、私たちが毎年思い切ったチェンジをしないようにしているからです。
改良したとしても、ちゃんとした理由があってのうえです。
この方針だと、もう一つ利点があります。
VWの大抵の部品はどの年代のものでも交換がきき、しかも、すぐ入手できるということです。
こいつは、じつに気分のいいものですよ。
VWをあなたが組み立てるにしても、既製品をお買いになるにしても---です。


C/W
A/D
紹介もれ
"The NEWYORKER" 1963.12.14



Made in U.S.A.


George H.lang, of Grand Rapids, Mich., mode this Volkswagen out of spare parts in his spare time.
The car runs very well.
But not often,
Mr. lang uses it to teach VW mechanics of One of our training schools.
They tear it to pieces and put it together again. And again. And again.
After suffering this kind of education, our mechanics get to be pretty sharp.
(So does our service.)
Of course, we admit that our car is easier to learn about than most.
Because we don't make drastic changes every year. And because the changes we do make, make sense.
This policy has another advantage:
Since most VW parts are interchangeable from year to year, you can easily get parts for any Volkswagen.
You'll find this comforting.
If you're building your own VW.


C/W
A/D
"The NEWYORKER" 1963.12.14