創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(543)Some Favorite Ads, till 1969 (1)

『DDB NEWS』1969年6月号---といえば、創立20周年記念号です。古参のキー・クリエイターたち10名に、編集部が「自選作品」を1点ずつあげさせていました。
まず、一昨日と昨日、ボブ・レブンソンの記事に添えた作品を、アートディレクターの側からの自選の辞を紹介します。


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ビル・トウビン

当時、エアラインの広告は、どれもこれもなんの工夫もなく、ただ、飛行機の写真を見せているだけの面白味もなかったときに、この広告を創りました。

そうそう、エアラインが新聞1ベージ広告をうつというのも破天荒な試みでした。
しかも、海に不時着でもしたら助からないと恐怖心を誘うことを恐れてでしょう、海の写真はタブーでした。
そこへ、この小さなエアラインがザブンとばかりに海の写真を使いました(駄ジャレご容赦)。
人間って、センセイションが好きなんですよ。EL ALイスラエル航空の名は、一夜にして覚えられました。



12月23日を期して、大西洋が20%縮みます。


訳文クリック


C/W MR.Bill Bernbach



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シド・マイヤーズ氏


「息子はねえ、パイロットなんですよ」は、創ったことにより、とても多くのの喜びを私に与えてくれた紙面広告です。
ボブ・レブンソンといっしょに、EL ALイスラエル航空の仕事をしたのは、ほんの6ヶ月間でしたが---。エアラインに人格を与えようと、私たちはこのコンセプトを思いついたのです。
それまでのエアラインの広告ときたら、機内食がどうの、いまなら割安だのといったことを書きたてていました。
EL ALが他の航空会社と確然と違っていた唯一の点は、ユダヤ人のエアラインであるということでした。「息子はねえ、パイロットなんですよ」は、El Alで飛ぶと、温かい雰囲気が得られるという点にしぼったのです。
スタッフの能力ついては、退屈に感じない程度にとどめました。
母親の息子自慢は、万国で大目にみてもらえますからね。
この広告を出稿するときに抵抗はなかったかって? なかったといっては、うそになるでしょうね。
でもね、私たちは、時が解決するって感じていました。
正しく、そのとおりに、なりました。
広告が掲載されて1週間後には、アラン・シャーマン注:ユダヤの「息子はねえ、ロック・シンガーなんですよ」が発表されたし、その後は、もう、ポスターやら広告やらレコードやら車のバンパー・ステッカーやらに「息子はねえ、何なになんですよ」のラッシュ。
世界中から、「息子はねえ、パイロットなんですよ」の広告の清刷りをほしいって、もう、無数の請求が殺到しました。


なんてこった!


chuukyuu注】シド・マイヤー氏は、民主党の大統領候補のキャンペーンを手がけて圧勝したアートディレクターとして有名。ただし、成功後、「わが社が手がけた唯一の不良製品があれ」と。つまり、ジョンソンはタマではなかったと反省。以後、選挙は個人の資格で---と変えた。


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C/W Mr.Bob Levenson