創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(544)Some Favorite Ads, till 1969 (2)


DDB NEWS』1969年6月号---20年前の1949年6月1日に、13人が寄って小さな広告代理店を起こしましたのです。

20年後、その代理店は、かつてない速さで成長していきました。この社の創造哲学に共鳴する企業が急激に増えたからです。その哲学とは「信じられ、一度見たら、忘れられない広告を創れ」でした。しかも、「アーティスティックに」。
もちろん、広告だから、それが売り上げに直結していることはいうまでもありません。

さて、20年たちました。キー・クリエイターたちが、上の「20周年記念号」に、効果が高かった自選作品を1人1点ずつあげて語ります---この連載は、昨日からはじまっています」。



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art director: Mr.LEN SIROWITZ



自選作品は「死が2人を引き裂くまで」です。
これをあげた理由(わけ)は、製品を販売する以上の意義があった作品の一つだからです。
自分がもっているデザインの力を、職業的な範疇を超えて発揮する機会が得られた広告の一つでもあります。
この広告が新聞に掲載された朝、ラジオで、ボブ・レブンソンのコピーが、一語一語、噛しめるように、ゆっくりと、読みあげられているのを聞きました。
広告が、そんなふうに、ニュースの解説番組に取り上げられるなんて、奇跡的なことなんです。


死が2人を引き裂くまで


C/W Mr.Bob Levenson

訳文←click


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さて、当のボブ・レブンソン氏の自選広告は、あろうことか、コピーもアートディレクティングも自分による、トム・マッキャンの靴の広告。ラフ・スケッチですが---。


Mr.Bob Levenson


DDBへ入社してすぐのことです。
Tom McAn社の靴の新聞広告を創らねばならなくなりました。
同社の販売は順調にいっていました。
そこて、すべてを自分でやってみたくなりました。
靴の絵を描き、マストを加えました。
帆も張りました。
見出しは、「売り出し sale」にひっかけました。
バーンバックさんに見せたところ、、即座に言われました。
「坊主、広告ビジネスをもっと勉強するか、あるいは退社するかだね」
いま思い出しても、悪夢をみたように冷や汗がでます。


C/W Bob Levenson
A/D Bob Levenson

chuukyuu注】どこかの国の広告界では、もじりの上手が、コピーの名手とおもわれている。


明日も、つづく。