(451)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第7回)
昨日のつづき---
『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』(下)
"THE BEAST OF MONSIEUR RACINE"
パリの科学アカデミーからは速達で返事がきました。
珍獣ともども、直ちにパリヘ出頭されたし……とありました。
在野の研究者の発見を認めたがらないのは、いずこの学会も同じです。
実物を拝見しようというわけです。
パリ上京に備えて、ムッシュウは、珍獣用のオリをつくりました。
その費用は、フランス政府が支払うことになっていたのです。
もちろん、パリまでの旅費、運賃および駅弁などの諸がかり一切も政府もち……ということでした。
駅弁といっても、ハムをはさんだ棒パンにカフェオレを添えた程度のものですが……。
退職税務官吏のムッシュウとしますと、そういうふうに国民の税金が使われることには、若干の良心の痛みを感じたことでしょう。
国民がどんな思いをして税金を納めているか、知らんぷりを装ってはいても、いやというほど知っていましたから。
なにしろ、税務署員とはいっても、りっぱな天下り先のある本庁の上級職ではなく、現場で納税者に接する下級職でしたからね。
とにかく、村の駅から列車に乗り込みました。
ムッシュウ・ラシーヌと珍獣のパリ到着ときたら、たいへんなものでした。
パリ市長と軍楽隊が、パリ東駅まで出迎えました。
ハリには四つの鉄道駅があることはご存じですね。
パリ東駅はそのひとつです。
60数年前、このパリ東駅から、東部戦線へ送られるフランス兵士たちが出陣しました。
バンザーイ。バンザーイ。いえ、このバンザイは、ムッシュウと珍獣を迎えた記者やカメラマン、そしてパリ市民のうちでもヤジ馬根性の強い人たちの声です。
ホテルに入ったムッシュウに、なんとかしてコネをつけようとしたのは、テレビのレポーターやサーカスの経営者、私営動物園々長、もの好きなおカネ持ちなどでした。
日本の特派員? ええ、ムッシュウ浜村だか磯町だかという、まゆの濃いフランス語の堪能なテレビ局の駐在員も接触してきたといいますよ。
くつ下のごとくたれさがった耳、もじやもじや髪にかくれた細い目、定年チンポコのごとく不恰好な鼻をした前代未聞の珍獣を連れて、ムッシュウ・ラシーヌは功成り名とげた老人会員ばかりで構成されている科学アカデミーの会員たちが待ちかまえる円形劇場へ出頭しました。
グリニッチ時間の10時、舞台への戸が開き、ダーク・スーツをしっかりと着こんだ退職税務官吏のムッシューは友人(?)でもありペットでもある珍獣を伴って舞台へ現れました。
「ああ」「おお」と歓声があがり、満場は万来の拍手。
中には、定年チンポコの鼻をもった珍獣をひと目みた瞬間に「あーら」とばかりに卒倒・気絶した美女も出たといいます。
演台に立ったムッシュウは、鼻めがねをずりあげていいました。
「ムッシュウ・エ・ムダーム、そして名誉ある科学アカデミーの会員諸士……」
その時です、信じられないことが起きたのは。
それまで、ずっーと、おとなしくしていた珍獣が、なんと、人間の声でクスクスと笑いだしたのです。
体をゆすり、ころげ回り、ついにはわれとわが身をひきさいてしまいました。
その皮とボロ布の中から現れたのは、なんと、2人の子どもでした。
−−−観衆は驚きのあまり、口もきけず、ただ呆然。
あとは大騒ぎになりました。
その整理にパリ警察の警官が招集されたほどです。
この珍事はテレビ中継されていました。
テレビでこれを見た群衆は待ってましたとばかりに、つまり、フランス革命あるいはフランシーヌの場合の時の暴動にならって、バスをひっくり返して火をつけたりしてデモったのです。
なんのために? 不手際を演じたロートルぞろいのパリ科学アカデミーの解散を求めて……。
群集の興奮にもかかわらず、ムッシュウ・ラシーヌは冷静・沈着そのもの、珍獣のぬいぐるみの中から現れた2人の子どもの賢さと勇気をたたえ、そして2人にパリ見物をさせたのです。
2人の子どもは、林をへだてた隣り村の住人でした。
さすがに帰りの汽車賃までは、政府も面倒をみてくれませんでした。
しかし、退職税務官吏のムッシュウは、それを当然の処置と了解して自費で2人の子どもをロジェラッハ、あるいはロレハまで連れ帰ったのです。
ムッシュウは、いそいそと2人の若い友人にその実をわかち与えたといいます。
フランスだかトルコだかの諺にこういうのがあります。
「珍獣が出現するのは良き世の徴し。鳳凰しかり、騏麟もしかり」あれ、中国の諺でしたっけ?