創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(446)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第2回)


30年ほど前に、NHK−FMで深夜に放送したスクリプトの中から、トミ・アンゲラーの創作童話についてのおしゃべりをアレンジして本にしたものです。
絵は、トミの了解のもとにモノクロで収録しましたが、ここではせっかくなのでカラーで。
トミの絵本は、ふしぎなことに子どもだけでなく、いい大人も、惑(ひ)きこまれてしまうんですね。ね---?


『クリクター』(上)


幼年時代から、芸術家の天分が輝きはじめるものかどうか、芸術家として育だなかった私にはわかりません。


バッハ家では、16世紀から19世紀にかけて一族のうち40人以上が音楽家として名をなしたといわれています。


シューベルトとなるとどうでしょう? 19世紀のドイツを代表するこの音楽家の父親についての詳しいことはわかっていません。


ビートルズのメンバーの中の、たとえばポール・マッカートニーの父親の職業はなんでしたっけ? このおやじさんもポールに天才教育をほどこしはしませんでしたね?

 
東フランスのストラスブールという、古いカテドラルがある町にトミ・アンゲラーの母親のアリスを訪ねたことがありました。
ところが彼女は、息子のトミに芸術家教育をほどこした、と主張したのです。
もっとも、教師はお手伝いのマドレーヌという娘だったそうですが……。


マドレーヌの教育ぶりを、アリスはこう話してくれました。
マドレーヌは気がきいた娘で、「早くお歩きなさい、トミ。かたつむりに追い抜かれないように」といった表現方法でものがいえました。


「早くお歩きなさい、かたつむりに追い抜かれないように」といういい方と、「早く歩かないと、人さらいにさらわれてサーカスに売られてしまうわよ」というおどし文句で育てられた幼児の差は歴然です。
あるいは「早く歩かないと、パパみたいに一生ウダツがあがらない男になるわよ」でもいいでしょう。


「かたつむりに追い抜かれないように……」と空想力を刺激されるような言葉で育ったトミは、世界有数のイラストレイター兼童話作家として大成します。


ストラスブールの町はずれの閑静な住宅地域の木立の中にあったトミの生家は3階建てでした。
トミの姉たちもすでに嫁いでこの家を出ていましたし、トミ自身はニューヨークに住みついていたから、母親アリスは、この家の3階でひとりっきりでひっそりと暮らしていました。
1階と2階を貸して……。


この、ひとり暮らしの母親アリスそっくりの女性が登場するのが、トミの創作童話『へびのクリクター』(文化出版局 中野完二訳)です。



こんな物語です。




昔むかし、フランスのある小さな町に、ルイーズ・バドというおばあさんが住んでいました。


おばあさんには、アフリカで爬虫類を研究している息子がいました。


ある朝、郵便屋さんが、ドーナツ型の変てこな小包みを届けてきました。


おばあさんは開けるなり、キャーッと悲鳴をあげました。
入っていたのは、蛇だったのです。


「昔むかし」というのは、古今東西にわたる童話の決まり文句なのでしょうが、トミが描いている町の風景画を見ますと、フォードのT型車みたいな自動車がありますから、それほど昔というのでもないみたいです。


しかし、この絵本童話を読む年齢の子供だちからすれば、T型フォードが走っていた1920年代というのは、はるか昔なのかもしれませんね。


ゴシック調のカテドラルが広場の向うにデンと描かれ、その右隣りがペンション風の小さなホテル。道はその横を奥へとつづいています。


ヨーロッパのどこにでもありそうな美しくて静かな町のようでもあり、東フランスのストラスブールのオールドータウンのようでもあります。


トミが生まれた町……ストラスブールは、ある時はドイツ領となってシュトラスブルク
呼ばれ、またフランス領にかえってストラスブールと発音されるのをくり返した町です。


戦争のたびにとったりとられたりで、町は相当に痛めつけられたと想像しがちですが、実はそうではありません。

ドイツ側はドイツ側で「どうだ、ドイツ領になったほうがいい生活ができるだろう?」と自慢したがったそうで、一方のフランス側も「ノン。ノン。フランス領であるほうが豊かに暮らせるだろう?」と善政を心がけたのです。
大阪弁でいうところの「ええかっこしい」をドイツもフランスも演じたわけです。

町並みが美しく保存されたとしても、子供は学校でフランス語を教えられているのに、家で両親と話すのはドイツ話と、住民は困惑が絶えなかったのです。


フランス語、ドイツ語のほかにアルザス語というのもあったのです。
しかし、学校でアルザス語をしゃべった生徒は教師から罰をうけたといいます。


さて、トミの創作童話『クリクター』……ひとり暮らしのバドおばあさんの許に、アフリカで爬虫類の研究をしている息子から、おばあさんの誕生日お祝いの小包が届いたのでしたね。

それはまるで、フラフープが10本も入っているみたいな小包みでした。

しかし、中に入っていたのは、蛇でした……。

おばあさんはどうしたと思います?
 

論理的なことでは定評のあるフランス人でもありましたからね、落ち着いて箱のふたをしめると、最大級のおしゃれをし、いきなサック……つまり手提袋ですね……を持ち、中ヒールの靴をはいて動物園へ出かけました。
毒蛇かどうかを確かめるためです。


トミの母親のアリスで、いちばん驚いたのは、トミが生まれてからこの町を出ていくまでの20年間近くのいたずら書きの紙っきれからノートの切れっぱしにいたるまで、そっHり保存されていただけではなく、そのひとつひとつに通し番号がうたれて整理してあったこと。
ボール箱に3杯もありました。


トミがやったのでしょうか? 
いいえ、母親のアリスがしたことです。彼女は、トミが生まれた時から彼の天分を信じて疑わなかったのです。
2歳のトミがクレヨンで奇妙な絵を描くと、それを宝物でもあるかのように大切にしまいこんだのです。


トミの幼少年時代のいたずら書きの量の多さに驚いている私に向かって、母親のアリスはいいました。
「トミは、決して退屈することのない子供でした」


幼年時代のトミは、絵を描き、砂遊びをし、銀紙で小川をつくり、紙で教会をつくり、本の葉っぱを動物に見たてたといいます。


トミの手が触れると、そこにあるものはすべて別の存在に変ったのです。
ほめ言葉とうぬぼれで、うまく育つと、こういう子が育ちます。
ただし、自制心を兼ね備えて…という限定がつきますが。


小学校か中学校の時、気まぐれ教師が「キミは文章がうまいね」といったのを真にうけて、小説家になりそこねた人って、多いですからね。


さて、アフリカで爬虫類の研究をしているわが子から、蛇を送り届けられた童話『クリクター』のヒロインのバドおばあさんは、おめかしをして動物園へ出かけました。


そして、ロルニェット(柄つきめがね)越しに……柄つきめがねってご存じですね……長い棒の先端にレンズ・フレームがついていて、使いたい時だけ、レンズをとおしてものを見る……そう、あちらのレディがお使いのめがねです。


動物園でバドおばあさんは、蛇のおりを精力的に観察して、送られてきたのが毒蛇ではないばかりか、王さま蛇と呼ばれている種類だということを確かめました。


そこで、名前をクリクターとつけてやりました。
もっとも、フランス読みだしくクリクトゥールですが、トミ・ファン仲間ではクリクターと呼んでいますから、ここはクリクターで統一しましょう。


バドおばあさんは、新しい。ペット……クリクターを子供のようにかわいがり、哺乳びんからミルクをのませてやるなどして育てました。


アフリカからはるばるやってきたクリクターをもっとくつろがせようと、おばあさんは椋呂の鉢植えも買ってやりました。
すると、クリクターは、犬みたいに尻っぽをふって喜びました。


『へびのクリクター』は、彼の手になるユーモラスな絵とともに展開しています。
蛇と聞いただけで、嫌だ……とばかりにページを閉じてしまう人がいると困ります。
トミの描くクリクターがどんなにかわいらしい蛇か……そうですね、ちょっと長めのうなぎを想像してください。


うなぎも、嫌い? じゃあ、形の悪いキウリの長いの……ではいかがですか?


そのキウリに、やさしい目を入れてください。そう、それが、クリクターです。


私の友人にも蛇嫌いの男がいましてね。ところが、この友人、クリクターがすっかり気に入ってしまって、クリクターのように天真らんまんに生きたいというので、お固い大会社を辞めて、郷里の新潟へ帰り、喫茶店を開きました。
その喫茶店の名前ですか?
ええ、「クリクター」。




さて、バドおばあさんが買い物に出かけるとなると、クリクターもお供をします。
犬のように鎖をつけてもらって、おばあさんに従います。
しかし、クリクターは蛇ですからね。町の人たちはびっくりしました。


バドおばあさんとクリクターが横断歩道を渡る時なんか、お巡りさんが交通整理をするほどでした。
だって、もっとよくクリクターを見ようと近づく自動車だってあるわけです。
なにしろ、T型フォードのような昔の自動車ですからね。車は急には止まれない、です。


クリクターをひいてしまうとたいへんですから。クリクターって身長が4m以上もあるので、横断歩道を渡りきるのに時間がかかるのです。




私が初めてトミに会ったのは、10数年前でした。
彼のイラストレイションや創作絵本のすばらしさに感激して、ニューヨークのアトリエを訪ねたのです。


彼は、撮影中の映画を一時中断して、カナダからニューヨークヘ帰ってきてくれたのでした。


私たちは昼食を、セントラル・パークが見えるドイツ料理店でいっしょにとりました。
その席に、一人娘のフィービィがいました。


「お父さんのこと好き?」
 と聞いた私に、
「プレゼントをくれたり、お話を聞かせてくれるダディは好き。いっしょに遊んでくれない時のダディは嫌い」
と答えて、トミにお話をねだりました。
その時、トミが語りはじめたのが『クリクター』だったのです。


「バドおばあさんは、クリクターのためにセーターを編みはじめました。細長いセーターです」


途端にフィービィの瞳が輝きはじめました。