(453)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第9回)
ベニートは帽子に命じました。
「つかまえろ」
シルクハットは空高くのぼって、ムラサキ・ゴシキ鳥をさっとさらうと、ベニートのはげ頭に帰ってきました。
ペニートは動物園長にいったものです。
「園長閣下。ただいまより、このぼうしから白バト、いや、ムラサキ・ゴシキ鳥をとり出してごらんにいれます」
園長は夢かとばかりに喜び、頬っぺたをつねって夢でないことを確かめると、約束の賞金1,000万円をベニートに気前よく渡しました。
ま、明日から象やキジンやサルのエサの質をおとせば、政府からもらっている予算内でやりくりがつくってもんです。
せしめた懸賞金1,000万円で、退役軍人ベニートは何を買ったと思います?
高級車?
ええ、車は車でも、義足につける銀の滑車です。
クリミヤ戦争直後には、まだ自動車は発明されていませんでしたからね。
それから、はげ頭にのっかった絹のシルクハット……絹のシルクハットというのはおかしいですね。
絹はシルク、絹でできているからシルクハットというんですね。
とにかく、シルクハッ卜にふさわしいフロック・コートひとぞろい。
そして黄金のにぎりのついたステッキ。
ま、どうやらこれで、老竜騎兵ベニートは一見、紳士ふう。
得意になって軍歌なんかをハミングしながら田舎道を銀の滑車ですべっていると、突然、小銃の音。
「むむ。ソルフェリーノの煙だ。戦争だ」
ソルフェリーノというのはイタリア統一戦争の時の有名な戦場です。
ペニートじいさんときたら、どこまで大げさにいえば気がすむのでしょうね。
トミの趣味の一つは、西洋ダコの製作とそのタコあげです。
ご承知のように西洋ダコは複雑な骨組みをしています。
トミはタコあげについてこう話してくれました。
例のだるいような口調で……。
「タコを、あげる、と、支配、感、のようなもの、が、あじわ、える。私は、大き、くて、強い、羽根、をもった、タコを、つくり、それを、あげて、空に、いどむ。
どの、タコ、も、ひとつ、ひつが、冒険なんだ。
あるタコは、女のよう、に、こわれて、飛び去る。あるタコは、つぶれ、て、しまう。しかし、永遠に、忠実に、飛びつづける、タコも、ある」
トミの『老竜騎兵ベニートと不思議な帽子』とでもいうべき、その帽子を、もしかたら、トミは、忠実な西洋ダコから発想したのかもしれません。
さて、退役軍人ベニートと帽子は、小銃の音のした、火薬のにおいのするほうへいそぎました。
ベニートが行ってみますと、道路に沿って、兵隊とおまわりが散開しています。
小さな農家に照準をあわせた旧式な大砲は発射寸前でした。
ペニートは顔見知りの隊長を見つけました。
「アラモルテ大尉どの。どうしたんでありますか?」
ベニートときたら、ほんものの戦争が始まったらすぐ降参してしまうくせに、火薬のにおいに酔ってしまって口調だけは一人前です。
向うの農家の中には、殺人犯たちが立てこもっているのでした。
「大尉どの。撃たないでください。ここはおまかせください。生きたまま捕虜にするんであります」
そして、ペニートは「帽子よ、ぼうし。行って、煙突をふさげ」
と命令しました。
帽子が煙突をふさぐと、逆流した煙にいぶされて、殺人犯たちが両手をあげて、目をしょぼつかせながら出てきました。
どいつもこいつも、マカロニ・ウェスタン調の悪党面に描かれています。
この結末、かすかな記憶があります。
上泉伊勢守の、農家の納屋に子どもを人質にとってこもった賊を、誘い出して捕縛だか斬りすてるだかした伝説……黒澤明監督『七人の侍』に引かれていて、志村 喬さんが演じました。
トミは、「黒澤監督の映画はみんな好き」と打ち明けました。
当然、『七人の侍』も観ているはずです。
あのシーン、たしか、スロー・モーションで撮影されていましたよね。
このこととは別に……トミは上品を装うお金持ち、高慢ちきな役人、自分の学説を信じきっている学者、貞女ぶった妻君、美人を鼻にかけた女性、大人の同情を引くことを覚えた子ども、人間に甘える動物といったものを皮肉たっぷりに描くのが好きなようです。それに、気が弱いくせに空いばりする悪党。
これは、童話ではなくて、完全なイラストレイションによる風刺画ですが、トミの作品に『パーティ』というのがあります。
ニューイングランドの上流階級のパーティで、最初は紳士淑女ふうの男女が、酔いが回るとともに醜悪な本性をさらけ出すという痛烈な風刺の書ですが、トミには、仮面をはぎたがるくせがあるんですね。
だから、彼の童話は子どもよりも大人のほうが読みたがるし、喜ぶ……。
トミの創作童話『帽子』は、どことなく「一寸法師」に似たところがあるといいました。
もちろん、トミの『帽子』のほうが波乱万丈ですが…。
たとえば、不思議な働きをして老竜騎兵ベニートにおカネをもたらすところは、打出の小づちに似ています。
打出の小づちのほうは直接におカネを打ち出しますが、トミの帽子は、何かの働きをして賞金をかせぎます。
賞金ばかりか、賞賛と勲章---もっと若かったら、地位。
一寸法師は、最後には美しいお姫さまと結ばれますね。若くて、上品な……。
わが老騎兵ベニートと結ばれるのは、さして若くはない、いえ、はっきりいうと、かなり年増の伯爵夫人です。
ま、われらが退役軍人ベニート・バドグリオとしましても、相手が戦後生まれのピチピチのお嬢さんだと、扱いかねるでしょうよ。
そう、戦争の昔話ができなくて……。
2人が結ばれたいきさつは、夫人の馬車が突然暴走をはじめたのを、例のシルクハットが馬の顔をおおって馬の目を見えなくしてしまったからなのです。
「命の恩人ですわ」と伯爵夫人は頼もし気にベニートに見とれ、ベニートじいさんも齢に似合わず胸をさわがせたのでした。恋に年齢はないといいますが、伯爵夫人のねらいがべニートの上に最近輝いた手柄と名声だぐらいのことはわかってないとねえ。
さて、ご両人はめでたく(?)結婚しました。
一寸法師だと、ここで、めでたし、めでたし……で終るのですが、トミの『帽子』にはまだ先があります。
2人が屋根なしの車で新婚旅行にでかけますと、一陣の風が吹いてきて、ベニートの頭からあのシルクハットを吹き飛ばしてしまいました。
公爵夫人がいいます。
「あら、帽子の一つや二つ、どうってことないでしよ。それより、いそがなくっちや。だって、今夜は甘い初夜ですもの」
トミは最後のページに、月夜の晩に町の空をこっちへふらりあっちへふらりと飛んでいるシルクハットを描いています。
もしかして、あなたの家のそばを飛んでいるかもしれません。
窓から確かめてごらんになったら……。
あるいは、いますぐ、帽子に聞こえるように「帽子よ、ぼうし。こっちへこい」
とおっしやってみたら?
しかし、この不思議な帽子が手に入ったとして、あなたはなにに使います?
シルクハットにふさわしいフロック・コート姿で街を歩く勇気がありますか?
それよりも、仲よしの帽子を失ったわれらが老竜騎兵ベニートが、その晩からベッドの横の花嫁の伯爵夫人に
「あなた。しっかり立って。ほんと、だらしないったら、ございませんことよ」
とせきたてられることのほうを心配してやりましょう。