創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(440)トミ・アンゲラーとの対話(5)

コピーライターの能力で、もっとも大切なのは、質問です。
生産ラインを見たあと、技術者やラインで働いている人たちへとの会話、マーケ部や販売畑の人たちへの質問、経営陣に理念を訊きただす---的を射た質問の集積から、エキスをしぼりだします。


トミの取材も、質問、しつもん---でした。


考える早さで描く(つづき)------


モンタージュ【Part2.】


たしかに、世の中には、生来、画才に恵まれた人もいる。
器用な少年もいる。
けれども、トミ自身が学校で教えるデッサン技法以上のものを身につけていたか---ということになると、私にはそれを証明する手だてがない。
引用した12〜13歳ごろの絵から推して、それほど飛び抜けた進歩がその後の3〜4年の間にあったとは思えない。
トミも、「アート・フォームはただ技術的なことで、学校で学ぶこともできました。重要なのはテクニックではなく、知的コンセプトです」と、ニューヨークで私に語ってくれた。
これから類推していくと、意匠学校当時、トミが放校処分になる原因を招いたのは、学校で教える形式的なデッサン教育を上まわる技術を持っていたからというより、それに飽きたらない内的欲求があった
ことと、彼自身の「特異な性格」によるとみるのが妥当のようだ。


内的欲求とはなにか---、女中マドレーヌが幼児期の彼に植えつけた豊かな空想力に由来するものだったろう。
任意の一本の線が、描かれた一羽の鳥が物語の発端となり、独自の世界を構成していく彼の空想力は、正確な線と影を要求するデッサン教育とは相容れなかったのかも知れない。
しかし私は、こう思う。
人一倍活発な彼の精神力と知力は、学校のデッサン技法教育を、他の学生たちよりもうんと早くわがものにしてしまったはずだと。


母親の表現に従えば、「トミは考える早さで描く」ことのできる子供であったのだ。
また、シュミツト氏が私に語ってくれた次のエピソードからも、それは証明できる。
「トミはなんでも知っていた。鳥のことも知っていれば、動物のことも知っていた。石ころにつにも詳しい知識をもっていて、その彼の話に、うちの子供克ちが夢中になる始末であった。だから、子供たちの毎夏のスイスのシャモニーへの避暑には、トミが請われてついて行ったものだ」


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モンタージュ


鷹 Hawk


アホウドリ Goony Bird


ブラシ・バード Brush Bird


ホウキ鳥 Broom Bird


魔女鳥 Witch Bird


プラチプスィー Plati Pussy


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