創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(397)『アート派広告代理店---その誕生と成功』(7)

ウェルズ・リッチ・グリーン社(2)



いろいろなブログにアクセスしていると、1日かぎりの情報伝達を狙っているものが多いですね。コンテンツは残っていても、ほとんどの人は、もう、見向きもしない。現代人は忙しすぎます。昨日の情報には、もう、ふりかえらない---当然の時間活用法です。また、ブログと印刷された書籍の違いでもあります。でも、このブログは、ちょっと趣向を変えています。今日あげた情報は、今日の情報であるどころか、38年以上も昔の情報なんです。ブログの書籍化---というか、実は書籍のブログ化の実験かもしれません。とにかく、狙いは、あとあとまで、必要になるかもしれないコンテンツを残しておいて、だれでも見ることができるようにしておこう---というわけです。ですから、情報の再々登場ということもあり---なんです。核になることは、何回でも繰り返して玩味することで身につきます。



長すぎるタバコは
慣れないと
不都合な点もある


とにかく、ブラニフ航空のロレンス社長とウェルズ夫人たちの3人の間には、事前謀議はなかった・・・ということにしたとして、ブラニフがウェルズ・リッチ・グリーン社の最初のアカウントになったというニュースは、たちまちのうちに広告界にひろまり、大きなパブリシティ効果を発揮しました。
最初の8週間、3人はオフィスさがDに奔走する一方、ひっきりなしにかかってくる電話に応対し、見込みクライアントに会い、DDBとジャック・ティンカー社からやってきた数人を中心とする社員たちの待遇も決めなければなりませんでした。
クライアントとしては、フィリップ・モリス・タバコ会社のベンソン&ヘッジズ100が、50万ドルの予算で、ブラニフに次いで決まりました。
chuukyuu 「このベンソン&へッジズ100という商品名は、長さが100ミリだから100というのですか?」
リッチ氏 「そうです」
chuukyuu 「あなた方のネーミングですか?」
リッチ氏「いいえ、フィリップ・モリス社ですでに決定していました。でも、私たちはいま、モリス社から新製品の開発の依頼を受けています。その新製品のネーミングは、私たちがつけることになるでしょう」
新製品の開発が、どの程度の規模で行なわれているのかは聞きもらしましたが、この代理店がブラニフ航空のために考えている空港ターミナルの改善案(これについてウェルズ夫人は「この世の中で最低の時間は、空港で飛行機を待っているときですからね」と暗示しています)などから類推すれば、大衆の間で常識化してしまっている喫煙に関する習慣をぶち破るような観点から考えがすすめられているものと思います。
ベンソン&ヘッジズといえば、1960年ごろまでDDBのアカウントでした。
DDBバーンバック社長の信条にしたがってタバコの広告は扱わないと同社が決めたときから、DDBを離れたアカウントです。
ウェルズ夫人もリッチ氏もDDBにいたことがありますから、フィリップ・モリス社の人と知り合いだったかもしれません。
それはともかく、「鼻に火をつけるなんて心配はない」という利点と「ふつうサイズのタバコケースにははいりきらない」という不利な点にメッセージを集中させたベンソン&へッジズ100のキャンペーンは、大成功を収めました。モリス社の幹部がこう語っているのをみてもわかります。
「いままでのわが社の歴史にかんがみて、広告によってこれほどの販売促進の結果をみたことはない」
報告によりますと、アメリカン・タバコ社のベル・メル・ゴールドへの対抗商品として開発されたこの超ロングサイズタバコは、6月に始まった第1期キャンペーンが終わった11月末には、売上げを4倍にふやしていたといいます。
リッチ氏も私に「とにかく売れたんです。生産が追っつかなくなって、メンソル入りを中止してその設備を流用したんですからね、モリス社は」と語りました。
ベンソン&ヘッジズ100のキャンべ-ン制作には、リッチ氏とグリーン氏があたったことは、いまではよく知られていますが、そのキャンペーン・テーマをフイルム化したテレビ・コマーシャルは、私がリッチ氏に会った翌々日の11月18日に、パーク・サイドのプラザ・ホテルで開かれた「1967年テレビ・コマーシャルの試写会」でも、集まった広告人たちからヤンヤの拍手を受けていました。
(このときWRG社から出品されたのはブラニフ航空の老婦人の記念品あさりと、ベンソン&ヘッジズ100のエレベーターでタバコをはさむコマーシャルの2本)



ベンソン&ヘッジズ100


新発売ベンソン&ヘッジズ100の不都合な点。キングサイズより長いので慣れるまでちょっと時間がかかります。
ベンソン&ヘッジズ100は新しいフィルタ−付き。 3ぷく、4ぷく、あるいは5ふくもく吸えます。
慣れたら離せなくなります。



これは、不利益


私たちは、タバコ界を風靡するつもりだったのです。
新しくて、もっと長いフィルターつきタバコで。
手ごろな値段。
すてきな味わい。
事態はかなりうまく行っているように見えました。
こんな場面を除くと---
エレベーターのドアがタバコをはささんだのです。
中で広がったくすくす笑いに、喫煙者は当惑。
ご婦人がブロードウェイでの幕間にベンソン&ヘッジス100に点火して、
2幕目の始まりまでに吸い終えられなくなったし。
朝食後の一服だったのに、8時5分の通勤電車に乗っている間中吸ってたとか。
私たちの新しいタバコはキング・サイズよりはるかに長いです。
そんなこんなもありましたが、
いったん不都合を感じなくなると、別の面も見えてみきます。
さあ、次のページをお読みください。


これこそが、利点(新製品・長いシガレットの)


こんどは、いくつもある、利点のほうをお聞きください。
私たちの新しいベンソン & ヘッジス100は、
キングサイズより長いので、点火回数が減り、マッチの節約に。
火口が離れた分、煙が目に、まあ、沁みません
そう、長いってことは、灰皿が近づくってこと。
吸いきるのは、ちょっと、しんどいかも。
おお、これも言っとかなきゃあ---
私たちの新しいベンソン&ヘッジス100は、
キングサイズより、3服、4服、
いや、5服---多く吸えます、
吸い方にもよりますがね。
余禄は私たどもからのプレゼント。
だから、お値段も、いまお吸いの(短い)のと
新しい(長い)のとは変わりなし。
あなたなら、こう、ブレンドなさると予想して
私たちは、そう、ブレンドしました。
もう、きっと、お気に召すはず。


また、別の機会にリッチ氏は私の質問に答えて、こう言いました。
リッチ氏 「ベンソン&ヘッジズのフィルムは、このタバコを有名銘柄の一つにまでのしあげ、1957年以来、最も成功したタバコのコマーシャルにまでなりました。しかし、広告界の人びとは、最初はこんなものじゃ失敗するに決まってるって、バカにして笑いました。結果は逆で、驚異的な売上げをもたらしたのです」


「もし,私たちが謙虚だったら
私たちは
完全だったでしょう」


chuukyuu 「いま扱っているクライアントの名をあげてください」
リッチ氏ブラニフ航空とベンソン&ヘッジズ100はご存じですね。ペルソナ・プレイド・カミソリの替刃です」
chuukyuu 「さっき見せていただいたテレビ・コマーシャルの中にありましたね。大学病院の手術室で、医学生たちが見守っている中で、執刀するように思わせて、患者が映ると、実はひげ剃りの実験だった・・・という、あれでしょう?」
リッチ氏 「そうです。このカミソリ替刃は医療用の刃物をつくっている会社がつくったものなのです」
chuukyuu 「だから、手術室を持ってきた---」
リッチ氏 「そういうわけ」
chuukyuu 「そのほかのクライアントは?」
リッチ氏 「パーマ・シェイプ・ひげ剃り用のクリームです」
chuukyuu 「あのコマーシャルは、意味がよくわかりませんでしたよ」
リッチ氏 「そうですか。それからユチカ・クラブ・ビールですね」
chuukyuu 「知っています。DDBで前にやっていたビールでしょう?」
リッチ氏 「そうです」
chuukyuu 「あれは、確か、バーンバック社長とユチカ・クラブの社長が話していて、『これほどまでにしてビ-ルをつくって、引き合うのかどうか、ときどき疑問に思うことがある』とユチカ・クラブの社長がつぶやいたのを、バーンバック社長がヘッドラインにしたという話がありますね」
リッチ氏 「これは驚いた,よく知っていますね」
chuukyuu 「この代理店のこと払まだ知らないんです(笑)」
リッチ氏 「ラ・ロツサ・スパゲティとマカロニです。それら、ブリストル・マイヤーズのもの」
chuukyuuブリストル・マイヤーズのなんですか?」
リッチ氏 「それはまだ秘密です。それから来年の1月からウエスタン・ユニオン---以上で万3,000万ドルになります」
chuukyuu 「3,000万ドルの扱い高といえば、50〜60位の代理になることになりますね、すごいですね」
リッチ氏 「1968年---つまり2年後には2億ドルの代理店なっていますから、見ていてください」
chuukyuu 「冗談じゃない。2億ドルといえば現在のDDBの扱い高ですよ。ビッグ10にはいってしまう---」
リッチ氏 「そうです。自信があるのです。だって私たちは最初の5ヶ月で2,500万ドルの依頼を断わったんですらね」
私は信じられないという目をし、やや頭をあげてめがねを光らせながら話すリッチ氏の顔を見つめました。リッ
氏はにっこり笑って、壁を指さしました。そこには、
If we were modest,we would be perfect.
(もし私たちが謙虚だったら,完全だったでしょう)
という言葉が貼ってありました。
chuukyuu 「リッチさん、あなたの作?」
リッチ氏 「そうです」


しかし、2年後の1968年春、改めてこの質問したときは別の答えが返ってきました。


chuukyuu 「あなたの好きな文句は? モットーとか座右の銘とかいった・・・」
リッチ氏 「以前は、『もし私たちが謙虚だったら、完全だったでしょう』とよく言ったものですが、いまはもう、ロにしません(笑)。ですから、いま特に気に入っている言葉というのはありません」


>>(8)


参照

>>ディック・リッチ氏とのインタヴュー
12臨時割り込み34

>>『メリー・ウェルズ物語』


>>(8)