(394)『アート派広告代理店---その誕生と成功』(4)
ジャック・ディンカー&パートナーズ社(2)
ジャック・ディンカー&パートナーズ社が、企画提案書を売り渡すシンクタンク的機関から、媒体の扱いまで一貫して請け負う一般的広告会社へ変身したとき、インターパブリックから媒体部の責任者としてやってきているウエルク氏と対話をしています。
ジャック・ティンカー&パートナーズは
DDBのコースを
たどっている
chuukyuu 「この社が生まれた背景を話してください」
ウエルク氏 「アメリカの代理店運営の特徴として、大代理店では、その中に特別なクリエイティブ・グループを編成して問題を解かせるようにしています。
DDBはそうはしていません。あそこは、初めからクリエイティブ・エイジェンシーですからね。
でも、J・W・トンプソン社、ヤング&ルビカム社などは、大きな工場をうまく回転させるために、その内部に特別なユニットをつくっているのです。
ティンカー氏もその一つでした。それをなんと呼んでいるか、私は知りません。〔クリエイティブ処理グループ〕とでもいうのでしょうか? 彼らは、広告ビジネスの中でサイクルをなしています。
10年前まではマーケティング・グループが大をなしていましたが、現在はクリエイティブ・グループです。クリエイティブ・エイジェンシーでなければいけません。
米国で成功するには、広告代理店はJ・W・トンプソンやインターパブリックのように大きいか、カール・アリー社、PKL社のように小さくなければいけません。しかし、小さいものはクリエイティブでなければならず、クライアントのほうも、より良いクリエイティブが得られるならば、マーケティング面のサービスは少なくてもいいいうのでなければいけません。問題なのは、中ぐらいの規模の代理店でしょうね」
chuukyuu 「私の見るところでは、ジャック・ティンカー&パートナーズ社は、DDBから多くを学んでいると思うのですが・・・。それは、つまり、クリエイティブ組織についてですが---」
ウエルク氏 「そうです。私たちの社はDDBのコースをたどっていると思います。クリエイティブ・グループが一緒になって代理店を始めたんですから---違うところといえば、DDBは株式を公開しているけれど、私たちの会社はそうしていません」
chuukyuu 「この会社の成り立ちからいっても、株式を公開なさることはないでしょうね。 ところで、こんなことを聞いたことがあるんですが、事実かどうか教えてください。
それは、ティンカー氏が、マッキャン・エリクソンを辞めてこの会社をつくる前に、氏はインターパブリックを辞めたいと、ハーパー会長に意志表示をしたら、ハーパー会長が、この事務所を用意した‥・といううわさに関してですが・・・」
ウエルク氏 「そうではありません。ハーパー氏がティンカー氏を説いて、そうするようにここへ人員を集めたのです。
この会社は、インターパブリックの所有下にあるのです。
また、そうすることは、ティンカー氏の意志でもありましたし、彼とハーパー氏とは一緒に働いていて---」
この時、電話がかかってきて、対話は中断されてしまい、この話題には再びもどりませんでした。
クライアントにも
同じ波長を
求める
chuukyuu 「米国では、広告代理店のクリエイティビティが代理店選択の重要なファクターになりつつあるように思うのですが、この傾向は、しばらく続くとお思いになりますか?」
ウエルク氏 「今日では、スマートでありさえすれば、代理店運営はそうむずかしいことではありません。成長してレべルも上がり、マーケットで自社の地位を確保していけます。
カール・アリー社、PKL---そしてDDBはその頂点に達しています。
ギルバート社もそうですね。
こういう傾向は、まだ数年続くでしょう。これには理由があるのです。それは、今日では、あまりにもたくさんの商品があって、闘争状態をきたしています。プロクター&ギャンブル、リバー・ブラザースといった大会社がそろってたくさんの商品を吐き出しています。だから、この闘争に対処するために広告代理店が必要なのです」
chuukyuu 「媒体も扱う一般的な広告代理店になる前と、なってからでは、何か違いが出てきましたか?」
ウエルク氏 「大きくなって、全体の性格が変わっています。メディア部門、プロダクション、 トラフィックなどもできて、人員もふえました。でも、日々の仕事のやり方は、ビジネスというより、象牙の塔とでもいったほうがぴったりするでしょう。
仕事のやり方は、ほとんど変わっていません。メリー・ウェルズという女性がブラニフ航空のアカウクントを持って出ただけです。
私たちは、前と同じ働き方を達成しようとしています。できるだけ以前と同じやり方をとるようにしています。以前と同じやり方というのは、マーケティング、調査、クリエイティブ面で熟達した人びとが集まって、問題を議論して、結論を出して、もどってくる--- これが理想で、いまでもこういうふうにしようとしています。これがいちばん効きめがあると思います。
そうです。もうひとつ大きな違いといえば、私たちクリエイティブ・エイジェンシーであり、クリエイティブの牧場なのですから、もし代理店がある種のもので支配るとしたら、それはクリエイティブな世界であってほしい、委員会や評議員によって占められるのはゴメンだとうこと。
でも、広告代理店というのは、とてもデリケートなバランスで構成されているものですから---。そしてクライアント相手のビジネスである限り、そうそう理想りにはいきませんね」
これは、思わぬところで本音を聞いてしまいましたが、クライアントにとっては、タフなことで有名なDDBですら、10%程度はままならぬ部分があるのですから、まあ、こんころが現実というものかもしれません。
もっとも、ティンカー氏自身の口を借りると、
「私たは、テレビのストリーボードすらクライアントに提示しないですからね。これはクライアントにとっても苛酷なことでしょうね。でも私は、あの人たちも私たちと同じ波長にまで到達するべきだし、そうでなければならないと信じています」
ということになり、だいぶニュアンスが違ってきます。
メリー・ウェルズ女史がブラニフ航空のために提案し・実現させた変革案の一つが、エミリオ・プッチのデザインによる、当時は〔スチュワーデス〕と呼ばれていた女性客室乗務員(アテンダント)の制服であった。
空中ストリップ
一人の女性の動きで、ブラニフ航空で何が行なわれるかをご覧に入れましょう。
写真に即していえば、空港ではまず、防寒用のリバーシブル・コートと、それにあった手袋とプーツで、あなたをお迎えいたします。雨だったら白いプラスチックのヘルメットをかむります。機内に入りますとラズベリ色の洋服とそれにあった靴をお目にかけるために、上着のジッパーをおろします。
この洋服にシミをつけるとたいへんですから、食事の時間になると、プッチがデザインしたかわいらしい普段着に着替えます。
食事の片づけがすむと、また脱いで、この着替えは離陸から着陸までの間、あなたの目を彼女に釘づけにしておくほど、ほんとにパッとやられます。
もっと乗ってたいな---とお思いになるでしょう。そこが私たちのつけ目でしてね。