創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(253)『メリー・ウェルズ物語』(28)

TWAとWRGの広告扱い契約が新しく結ばれたのに、キャンペーンは8ヶ月間、人びとの目の前に現われなかった。WRGの失敗をひそかに願っていたマジソン街の広告貴族でしかない古老たちは、高級レストランでの昼食時に顔をあわせては、「ついにメリーも降参らしい」「かわいそうなことじゃ」と腹の中とは逆の言葉を交換していた。そして---8ヶ月、キャンペーンの全貌が現われるや、腰を抜かして、さしものクラブ「21」の美味も、喉を通らなかっただろうと、推察する。WRGが創ったキャンペーンの実例は、今日のコンテンツにつづいてあと2日、ご紹介する予定。

第7章 100万ドルのボーナス(3)

ブラニフとの別れ

ところが、そのメリーとブラニフ航空の関係が切れることになったのである。
これにはダラスに本拠を置くリング・テコム・ヴォート(LTV)というコングロマリットが関係している。LTVは1968年にグレータメリカ社の株を多数買収しした。このグレータメリカ社はブラニフ航空などの持株会社として実質上の支配者だったので、結局ブラニフの支配権はLTVに移ったのである。
【chuukyuu注】1967年11月。WRGの社長メリー・ウェルズと、ブラニフ航空の社長ハーディング・ロレンスがパリで結婚式をあげ、レストラン・マキシムでの披露宴に招いた64名の客の中に、トロイ・ポスト夫妻の名があった。この仁が100億ドルの持株会社グレータメリカの会長である。

ところで、LTVのジェイムズ・リング会長は、新しく自分の支配下にはいったブラニフ航空のロレンス社長とその扱い広告代理店の女社長とが夫婦関係にあることを、あまり快くはおもっていなかった。
このことについての公式発言はしていないが、ビジネス的見地からいって2人の結婚は「最初の日から問題であり、いつ株主から訴えられるかわかったものではない」(『プレジデント』前出)と言ったと伝えられている。
1968年10月、ニューヨークでぼくが耳にした噂話では、ロレンス社長とメリーのどちらも失いたくないとおもったリング会長が裏面工作をして、メリーをTWAに紹介したということだが、できすぎた話だとおもう。
むしろ、LTV側の意向を察したメリーがTWAのクック副社長からの申し出を渡りに舟と乗り移ったと見るほうが理にかなっている。
WRGが扱っていたブラニフ航空の広告予算は750万ドル(27億円)であり、TWAのそれは少なく見積っても1,460万ドル(52億5,600万円)で、ブラニフの約2倍にあたるわけだから、個人的感情を抜きにすれば、WRGの社長としてのメリーは当然TWAを選ぶべきなのである。
メリーとTWAは秘密理に会談した。
クック社長が言った。
「もし、TWAがあなたに広告を依頼したら、ブラニフ航空のようにやってくれますか? 私はブラニフに関するあなたのアイデアを尊敬しているんですよ」
「それはどうも---。でも、クックさん。今ではほとんどの航空会社がブラニフの真似をしているので話になりません。あらい熊の皮の帽子をスチュワーデスにかぶらせて、他の航空会社が機上で焼いているステーキよりも毛皮のほうに関心を集めようなんて競争は愚かなことですわ。あまりに本質から離れてしまっています」
メリーの答弁に、クック副社長はわが意を得たりとばかりにうなづいた。
それから2週間の間にTWA側は形式的に数社の広告代理店を訪問したが、結局、WRGが指名された。まったくの無競争に等しかったと後で関係者が告白している。
8月1日の発表は、フート・コーン&ベルディング社には、まさに寝耳に水であった。
しかしすべてはは後の祭り。同広告代理店は50余名のTWA担当要員のクビを切るしかなかった。
人びとは、メリーがTWAのためにどんなアイデアを考えだすかと、大きな期待をもって見守っていた。
ところが、いつもと違って、TWAもウェルズ・リッチ・グリーン社も沈黙を守りとおした。
「さすがのメリーも、こんどばかりは手詰まりらしいて」
「TWAのジェット機の胴体を全機塗りなおすために、国中のペンキを買い集めているのだろうさ」
相変わらずの嫉妬まじりの広告界の老人たちの会話が昼食事の高級レストラン・クラブ「21」でささやかれていた。

(マンハッタン区マジソン街近くの21番地ビルにある高級レストラン---クラブ「21」のジョッキー人形を階段に並べた外観)

▼何年に一つのアイデア

8ヶ月後の1969年3月。
ついに新キャンペーンが全貌を現した。
それは、またもや人びとの意表をついたものであった。
「100万ドル(3億6,000万円 当時の換算率1ドル=360円)のボーナス支給」という名のプログラムが『わが社の従業員はあなたを幸せにします。会社は従業員を幸福にします』とのスローガンとともに発表されたのである。
つまり、TWAの従業員で、乗客にたいして例外的なやり方で例外的でないサービスをした者に、客からの投票によって100万ドルのボーナスを出す---という内容のものである。
たしかに、このアイデアはすぐれている。
まず第一に、100万ドルという金額の大きさが話題になる。
これが10万ドル(3,600万円)だったら宝くじでも手にする金額だ。もし自分が100万ドル貰ったら---と、人間の想像力を刺激する。
第二に、従業員が張り切って仕事をするようになる。士気があがる。
クック副社長も「航空会社は人である」と言っていたが、操縦、機内サービス、整備、カウンター受付---などを見ても、航空業というのはサービス業的要素が強いので、結局は「人次第」ということになる。
ある米国の広告人もこの点を「朝目覚めたら、気分が悪くなっていたスチュワーデスの健康を回復させてしまう」ようなアイデアだと指摘して絶賛している。
第三に、乗客をいい気分にする。
優秀なサービスを期待するとともに、自分が100万ドルの価値ある客としてあつかわれているように錯覚させる。
こういう八方めでたしのアイデアというのは、何年に一つしか出てこない。メリーがそれをやったのである。
報道関係者たちの前に、メリーとともに現われたブレーン・クック副社長は、それが特徴ともいえる大学教授風のおだやかな口調で、「これはパブリック・キャンペーンである同時に、対内的なキャンペーンでもあります」と説明した。
メリーがつけ加えた。
「客というものは、目的地へ最短の時間で何にも悩まされることなく着きたいから飛行機に乗るのです。それなのに、変なサービスを提供するなんてバカげています」
目的地へなるべく早く着きたい客---これこそフート・コーン&ベルディングが意識的に除外していたタイプの客である。彼女はそこに着眼したのだ。

収賄か、ビジネス・センスか

掲載されたTWAの広告の一つを紹介しよう。


わが社は、ほかのどの航空会社よりも、お客さまを幸福にした従業員に100万ドルのボーナスを与えることを公約しました。

ボーナスを出すというというのは、古今東西よくあるアイデアです。
あなたなら、どんな時にボーナスが出るがご存じですね。
報酬を受けられるのは、汗をかいて目立った仕事をした人間です。
TWAが100万ドルのボーナスを与えるのも、そう。
他のどの航空会社よりも、私たちのお客さまを幸福にした従業員にその賞金を与えようというわけです。
幸福なお客さま---あなたのことです---が、どの従業員にその金を与えるべきかを教えてくださる仕組みになっています。
TWAのどの便にお乗りになっても推薦投票用紙が用意されています。
そしてTWAの全ターミナルには投票箱ボーナス・ボックスが備えられています。
これを収賄だという人もいます。でも私たちは、ちゃんとしたビジネス・センスと呼んでいます。
このごろでは、一所懸命に働く人間を見つけるのは至難の技ですからね。
良いお客さまにしてもしかりです。
私たちと一緒に飛びましょう。私たちは、私たちの手のとどくところを100万ドル・ボーナスにすることをお約束します

この広告がいっているように、大金で従業員を釣るのはあまり感心しない---と考える方もあろう。また仮にやるとしても、それを世間に公開することはあるまい、そんな100万ドルもの余分の金があるのだったら、それだけ航空運賃を下げたらどうか---と感じる方もあろう。
そういう考え方もある。
しかし、それはあくまで理屈ではなかろうか。
理屈だけで全従業員が張り切ってくれるなら、それにこしたことはない。けれども、理屈で全従業員を刺激することは困難である。
一般公開反対論にしても、最近の企業と社会とのかかわりあいという点から見ると、弱気すぎるともいえる。
新しい企業のあり方は、地域社会、顧客、大衆をまき込みながら活動をしていかないと社会から受けいれられない。企業が企業だけで単独に存在するという考え方は許されなくなっているのである。
そういう点から見ても、メリーのこのアイデアは、まさに時代の動きと企業の新しいあり方を直感的につかんだすばらしいアイデアといえる。


続く >>