創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(204)ロバート・ゲイジ氏のスピーチ(上)

(1963年 モントリオールのアートディレクター・クラブの会合で)


Mr.Robert(Bob) Gage
Doyle Dane Bernbach Inc. Senior Vice President, Head Art Director


ロバート・ゲイジ氏が公の場へ姿を見せることは極めて珍しい。このスピーチ記録も、まず、彼の秘書と仲良くなって---秘書の例に洩れず、切手収集が趣味だったので、浮世絵などの珍しい切手を貼った手紙をしばしば出して---送ってもらった。もちろん、ゲイジ氏の許可をとっての上だ。広告の歴史を変えたDDBを語るには、バーンバック氏だけでは片手落ちなのだということが、取材していてわかってききたのである。氏は、1972年、ニューヨーク・アートディレクターズ・クラブが「名誉の殿堂入り」の表彰制度を新設したとき、第1回目に全員一致で選ばれてもいる。

私は、広告が好きだ

人生で最高の出会いが、広告の歴史を変えた

私がどれほど仕事好きであるかを知っていただくためには、初めてビル・バーンンバックに出会ったときのことをお話する必要がありそうです。
私は、ケリー・ネイソン社で働いていましたが、ちょうど辞めようと思っていたところでした。
ビルはそのころ、グレイ(広告代理店) のクリエイティブ・ヘッドでした。
私は、ビルを知りませんでしたが、ある仕事のために人が求められており、彼がその面接官であるということは聞いていました。
会う前夜のことを忘れることができません。私は、ちょっぴりでも妥協したものは、すべてポートフォリオ(作品のスクラップ)からのけました。私がやりたいと思っている種類の仕事をよく表わしていると思われるラフ・スケッチだけを残しました。
ビルに会うために部屋に入って行きながら、私は突然、今、自分が手にしているサンプルはとんでもないものではなかろうか、という恐怖におそわれてしまいました。
もし彼がこの作品を気に入らなくて、ポイと投げ捨てでもしたら、私はもう行くところがどこにもないのだと感じていました。そうなったら、広告なんか信じられなくなって止めてしまうだろうと思っていました。
ビルは、私の作品を見て、気に入ってくれ、私はその仕事を得たのです。
別れる前に、広告の将来について議論しました。彼が広告の将来をどう見ているか、私はどう見ているか---を。
その情熱と理解は、私に深い感銘を与えました。
ついに、新しいアイデアを寛大に扱ってくれるだけでなく、それを要求する人に出会ったのです。ビジュアルに考えることのできる想像力豊かなライターに、です。一人の男との、長い間続いた、そしてこれからも、もっと長く続くと思われるすばらしい友情がこのとき始まったのです。

イデアは、アート=コピー・セッションで高める

1949年、DDBが発足した当時の米国の広告界には、コピーライターとアートディレクターがチームで仕事をするということはとんどありませんでした。しかし私たちには、それ以外のやり方で仕事をするなど、思いもよりませんでした。当時私は、ビルかフィリス・ロビンソンといっしょに仕事をしました。一片のコピーだけが私に渡されるなんてことは、絶対にありませんでした。先入観をもったレイアウトをつくることを要求されませんでした。コピーライターの下手くそで小さな絵を添えた例の黄色い紙(注:コピーライターが使う法律用箋。大学生が講義をメモるのもこれ)を受けとることもありませんでした。
私は、この13年間(注:1963年の時点で)、ほんとうに幸福でした。仕事をするには、これ以外の方法はないように思えます。
もちろん、コピーライターといっしょでなく、1人でアイデアを練ることもできます。でも、お互いに尊敬しあう2人が、一つ部屋にすわってやるほうが、アイデアがよく湧くように思えます。そこでは、一つのアイデアについて語ることによって、もう一つのアイデアを導き出し、それがまた次のものを生みます。
アートディレクターは、もっとよいアイデアが出てきたときには、今もっているアイデアがどんなによいものでも捨てる勇気をもたなくてはなりません。コピーライターもそうです。
私は、コピーライターがビジュアル・アイデアを思いついても、アートディレクターが見出しを書いて、ちっともかまわないと思います。それは、2人の共同作業であり、その仕事の栄誉は2人で分かつべきです。またもし、その仕事がまずいものであったら、それは自分たち2人の責任でもあるのです。
私は実際、アイデアがどこから出てきたものか、気にしたことはありません。いっしょにやったコピーライターのものか、あるいは私自身のものなのか。
ときには、私がアイデアの推進者になることもあります。場合によっては、私の力のほうが大きいこともあります。ある一つのアイデアへ導いていった過程をたどってみようとしても、それができないのには、いつもあきれてしまいます。なぜなら、そのアイデアに達するまでにたどった過程は、私の意識下の中のモヤモヤとした部分にあるからです。
私たちは、あなたがたはアイデアが行きづまるとか、アイデアをきらすとかということがないのか、とよくきかれます。
正直にいって私は、一度もアイデアにつまったこともきらしたこともありません。でも、私のこれまでの仕事の中で、自分がどんどん消耗しつつある、あるいは2度とアイデアにぶち当たることがないのではないかと思った瞬間や期間があったことを、白状しなければなりません。
このごろになって私は、それがどういうことであるのか、よく分かりかけてきました
私は、なぜこれが起きるのかわかりますし、それがいつ起きるかを予見することもかなりよくできます。


つづく



この写真は1分間で仕上がりました


撮ったのはポラロイド・カラー・パック・カメラです。 本当にロンドンの街角の色を写したかどうか確認するために、わざわざ家へ戻る必要はありませんでした。シャッター速度指定やピント合わせで時間を浪費する必要もありませんでした。シャッターを押すだけでセンサーがすべてをやってしまうのですから。 でも、あなたは世界中を旅行しているわけではありませんよね。裏庭でお子さんの写真をお撮りになりたいんでしょう? しかも、撮って60秒後には、もうカラー写真を見せられるなんてこと、ほかではできません。その上、あなたはラッキー。新しい低価格の型番がでたんですよ。


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