創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(500)『広告界の殺し屋』第6章 クリエイティブ生活(5)


クリエイティブな仕事に就いていると、たいていの人は、ときどき、壁にぶつかるものです。その超え方を、デラ・フェミナ氏は、バーンバックさんからクリエイティブ・ディレクターの重責をまかされたDDBのボブ・ゲイジ氏のスピーチから引用しています。スピーチ[私は広告づくりが大好きだ]は、ほんの1週間ばかり前に和英ともに紹介したばかりです。リンクを張っておきました。


パーカー夫人のスピーチ)←クリック 掲示した乳ガン自己検査の公共広告CMに訳文をつけました。




ダニエル&チャールズ広告代理店のチャーリー・ゴールドシュミットはその部下に刺激を与えるために、コピーライターが持っている恐怖を皮肉ったものだ。
私や仲間をそれで苦しめた。
「さあ君」と彼は言ったものだ。「どう思うかね? もう3週間もアイデアが浮かんでこない、そこでごまかそうとしている、そうじゃないか? 惰力滑走しようとしている。ある日ひょいとアイデアが浮かんでくるからな。だが次の日にはどこかへ行ってしまうぜ」
彼はふるい立たせ、ふさぎこみから救い出そうとして、こういう圧力をかけてくるのだった。
立派なアートディレクターに育ってもらうためにコピーを書かせたり、年に3万5千ドルも4万ドルも払っているのだ。それが「枯れてしまう」という恐怖を持つことにつながる。


DDBのボブ・ゲイジというこの上もなくすばらしいアートディレクターが、かつて恐怖の正体とこれに打ち勝つ方法について講演したことがある。


参照
ボブ・ゲイジ氏[私は、広告づくりが大好きだ]クリック


枯渇するというのは単なる恐れにすぎないと言い、実際には枯渇などするものではない、そんなふうに問題をそらしてはいけないと話した。
ゲイジは枯渇しそうだと感じる時は、解決しなければならない問題に直面して、これまでにやってきた古い方法でなら解決できるのだが……と思った時だと言った。枯渇を感じるのは、今までどうりのやり方で問題解決するのに我慢ならなくなっているということだ…と。
ほとんどのアートディレクターやライターは、難問に直面するとイライラし始める。
難局を迎えるわけだ。
そこで遊び、ダンスし、とにかく自分たちが広告をつくっているように見えるためのあらゆることをする。
だが顔を見れば、彼らがいつわっているのがわかる。冷たく乾いている。彼らにもあなたにもそれがわかっている。そして、彼らはあなたが知っていることを知っている。


6ヶ月も8ヶ月も1本の広告もつくれなかった男たちを私は知っている。
彼らはがんじがらめになっていた。そういった間中、彼らはダンスをしなければならない。
チャーリー・ゴールドシュミットはコピーライターから始めて優秀な代理店の社長となった男だ。すばらしい男で、部屋に入って行き、握手をし、その間にことの進行をさまたげているものを見極めることができた。
そんなふうにしていつも私を驚かせたものだ。
各人のウィーク・ポイントや苦悶、どうやったら再起させることができるかを知っていた。


チャーリーの下で働いていた頃、私はひどい枯渇状態に陥り、3ヶ月も4ヶ月もなにもしないで過ごしてしまったことがあった。部屋にはこもっていたが何も起こらなかった。広告を思いつけない時は自分にはわかるものだ。私はごまかしていた。問題をありきたりのやり方で解決していた。そのことを考え出すと余計にしゃくにさわって、どうやっていいか見当がつかなくなってしまう。
そこでそういう状態をきり抜けるためにダンスを始める。
しかしチャーリーはそれをとらえた。彼は知っていた。そして私の個室へ入ってくると言うのだ。
「ついにきたと思い始めてるんだろう? 枯渇してしまったところだろう? 考えが浮かんでこまい? そうか、それならのんびりしているがいい」
彼は決まってこう言った。
まずずばりと非難しておいて、それから「そうか、それならのんびりとしているがいい」だ。
だからといって、のんびりとできるものではない。
ところが遅かれ早かれたいていは早くに格好がついてくるのだ。