創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(118)スタンレイ・リー氏とのインタヴュー(2)

     (DDB,副社長兼コピー・スーパバイザー)


DDBが創ったVWビートルの広告シリーズに魅せられた大統領ジョン・F・ケネディは、2年後の大統領選挙のときの民主党のキャンペーンを予約した。しかし、凶弾に倒れたことは周知のとおり。DDBは、約束を守ってジョンソン候補の広告キャンペーンを引き受け、共和党のゴールトウォーターを大差で葬り去った。この時のキャンペーンの担当コピーライターがスタンレイ・リー氏である。この時の秘話が面白い。ほとんどは、リー氏自身の手で削除されたのだが、もう、時効と判断、日本文のほうはインタヴュー時の発言どおりに残した。
【chuukyuu注:】(インタヴューのリー氏の発言中( )の部分が、テープ起こしの原稿の校正時に、氏自身が削除した発言。したがって英文には入れてないが、本音の部分なので、日本文ではそのまま残しました)。

偽りの広告をつくった罪悪感を覚えるジョンソンの広告


chuukyuu「5年前に、1964年の大統領選の民主党のキャンペーンを担当なさいました。バーンバックさんから担当するように指名された時の気分は?」


リー「とてもうれしかった。コピーライティングという仕事が持っているただひとつの弱点は、ぼくの考えでは、書いたものの内容について、自分がなんらのコントロールもできないということでしょうね。
どういうことかと言いますと、1964年のあのキャンペーンを担当する前には、ドッグ・フーズの広告を書いていました。ぼくの実感を言いますと、ドッグ・フーズの広告なんてものは、書いていても、すこしもエキサイトしないものです。
けれども、ゴールドウォーター氏を叩くという仕事では、アンチ・ゴールドウォーターのぼくとしては、しごく簡単にエキサイトしてしまいました。
で、一時、商業目的のための広告の仕事を離れて、ほんとうにエキサイティングな仕事をワシントンに行ってやることができました。


chuukyuu「選挙広告と、一般商品の広告をつくるのでは、何か違いがありますか? エキサイトのことは別にして、アイデアを得るまでの手順に関して---という意味での質問ですが」


リー「初め、アートディレクターのシド・マイヤーズとぼくは、大統領選のための広告をつくるという仕事の大きさに圧倒されてしまいました。
ぼくたちは、しばらく、何もできませんでした。何をしたらいいのか、わからなかったのです。その時、バーンバックさんが、その当惑を、すてきなアドバイスで解消してくれました。
『間違ってみたまえ』と言ってくれたのです。この言葉でぼくたちは気楽な気分になることができました。
その後のクリエイティブのプロセスは、根本的に、商業広告の場合と違いありません。(しかし、普通の広告と政治広告との間には、大きな違いが幾つかあります。
第一に、政治家たちは、一般大衆はマジソン街の広告代理店なんてものは信用していない---と考えていること。ですから、ぼくたちが立候補者の広告をやる場合では、マジソン街の広告代理店の手になるものだということを、できるだけ隠す必要があります。たまたま、あるコマーシャルがうまくいって成功したというようなことがありますと、必ず、対立候補者から非難が出るわけです。
『あれは、マジソン街の広告代理店を使ってやったもので、必ずしも、米国全体を代表しているものではない』と攻撃してくるわけです。)


第二に、ゲームのルールが政治家たちによって決められているということ。彼ら立候補者たちは、すでに幾つかの公約を発表してしまっています。ですから、広告を担当する立場からすると、好ききらいを言うことができず、否応なしに、その政治家が出した公約---ルールというのかな、それに従って仕事をしていかなければなりません。
そう言ってしまえば、これは、ふつうの商品の場合と似たり寄ったりで、あるメーカーの広告部長が、それをいかにして売りだすかというようなことを決め、そしていかにして競争商品に対抗していくかということの基本的方針を打ちだしてくるということと、変わりないかもしれませんね。
(ドック・フーズと大統領は、そんなに違いがないというような皮肉も言えるかも知れませんね。
しかし、なんといっても、政治キャンペーンのほうがエキサイティングであることは、まぎれもない事実です。内容がはるかに大きいですからね。で、ぼくは8ヶ月ほど、非常にエキサイティングな状態の中で過ごしました)。
しかしながら、これだけは言えますよ。つまり、1964年に民主党のために行ったこの広告の中のあるものは偽りの広告であったということです。あの時には気づきませんでした。ぼくたちの中の誰ひとりとして気づいた者はいませんでした。しかし、あれは、疑問の余地のない間違いでした。それは、1964年に続いて起こった、もろもろの事件が証明しています。こんなことは、これまでにぼくがつくってきた広告では、絶対にないことです。
(つまり、商品が持っていないものを広告するというようなことは、ほかの商品の広告に関してはなかったことですが、いま振りかえってみると、あのジョンソン・キャンペーンに関しては、どうもウソの広告があったと感じています)。

ニュースとして放送された唯一のコマーシャル


chuukyuu「大統領選キャンペーンの最初のテレビ・コマーシャルの『デイジーの花と少女』のフィルムが、共和党側の抗議によって、たった1回、1964年9月7日の夜放送されただけで中止になりましたね。この時のご自身の感想は? あなたが、あんな経験ができた唯一人のコピーライターだと思いますので---」


リー「これは、なかなか面白いご質問です。
なにが起きたかといいますと、あの『デイジーの花』のコマーシャルが放送された翌日、共和党の全国委員会委員長が、あのコマーシャルに対しての抗議文を、民主党全国委員会の委員長へ送ってきたのです。新聞記者がたくさんいるいる前で、その抗議文を送ったものですから、即座に全国的に報道されてしまったのです。
コマーシャルそのものは、長い退屈な映画のあとに放送されたので、見た人はそんなにはいなかったはずです。ところが、共和党が抗議したもので、より多くの人に知られてしまう結果になりました。
たとえば、独自のニュースとして採り上げられ、再放送されたりしました。そういったことで、このコマーシャルを全国の人に見られる結果になり、われわれは大いに喜んだものです。民主党が時間を買って放送する何倍もの効果をあげたんですからね。


(コマーシャルがニュースの1項目として放送されるなんて、前例のないことです。さらに、この事件が『タイム』誌に取り上げられ、ますます一般が注目するところとなりました)。

1964年の大統領選でたった1回だけ放送されにもかかわらず、あとはニュースの1項目として局側の判断で全国的に再放送された民主党のコマーシャル「デイジーの花と少女」


花びらをむしりながら「一つ、二つ、三つ---七つ、八つ、九つ」と数えている少女の瞳へカメラがズーム・インしていく。
それにかぶせて、男声「10、9、8---」とカウント・ダウン。
映像が少女の瞳に接近したとき「2,1,ゼロ」で、原子爆弾が爆発、立ちあがるきのこ雲。
ジョンソン大統領の声「これはたいへんなことです。すべての神の子が生き続けられるか、暗闇に葬られるかというとても重要な問題です。われわれはお互いを愛し合わねばなりません。さもなくば、死です」
アナ「11月3日には、ジョンソン大統領に投票しましょう。家にいるなんてとんでもない危険を冒さないでください」



DDBのみごとなコピーライターたちとの単独インタヴュー(既掲出分)
デビッド・ライダー氏とのインタヴュー
(1) (2)

ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー
(1) (2) (3) (追補)

ロン・ローゼンフェルド氏とのインタビュー
(1) (2) (3) (4) (5) (了)

フィリス・ロビンソン夫人とのインタヴュー
(1) (2) (3) (4) (5) (6)

ジョン・ノブル氏とのインタヴュー
(1) (2) (3) (4) (了)

ポーラ・グリーン夫人とのインタヴュー(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (了)