創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(668)バーンバックさんとDDB(19)

(承前)


「実際、DDBが、今日、社会的な一つの大きな力になっていることは事実であるといえる、
それは何百万という人びとを説得し、行動させてきた。
しかも、アメリカの経済に与えた影響も数兆ドルといった単位では測り得ないぐらいのもの
だ」「アメリカの歴史に、これほどの『好みをつくる人(tast maker)』は出現したことはなか
った」


■ジョンソン・キャンペーンは偽りだった


1968年秋にニューヨークを訪問したとき、ぼくをもっとも驚かせ
たのは、コピーライターのスタンレイ・リー氏だった。
拙編著『みごとなコピーライター』(誠文堂新光社 1973.12.15)から引用


"偽り"があったジョンソンの広告


chuukyuu「5年前に、1964年の大統領選の民主党のキャンペーンを
担当なさいました。バーンバックさんから担当するように指名された時
の気分は?」


リー「とてもうれしかった。コピーライティングという仕事が持ってい
るただひとつの弱点は、ぼくの考えでは、書いたものの内容について、
自分がなんらのコントロールもできないということでしょうね。
どういうことかと言いますと、1964年のあのキャンペーンを担当する
前には、ドッグ・フーズの広告を書いていました。
ぼくの実感を言いますと、ドッグ・フーズの広告なんてものは、書いて
いても、すこしもエキサイトしないものです。
けれども、ゴールドウォーター氏を叩くという仕事では、アンチ・ゴ
ールドウォーターのぼくとしては、しごく簡単にエキサイトしてしま
いました。
で、一時、商業目的のための広告の仕事を離れて、ほんとうにエキサ
イティングな仕事をワシントンに行ってやることができました。


chuukyuu「選挙広告と、一般商品の広告をつくるのでは、何か違いが
ありますか? 
エキサイトのことは別にして、アイデアを得るまでの手順に関して---
という意味での質問ですが」


リー「初め、アートディレクターのシド・マイヤーズとぼくは、大統領
選のための広告をつくるという仕事の大きさに圧倒されてしまいまし
た。
ぼくたちは、しばらく、何もできませんでした。
何をしたらいいのか、わからなかったのです。
その時、バーンバックさんが、その当惑をすてきなアドバイスで解消
してくれました。
『間違ってみたまえ』と言ってくれたのです。
この言葉でぼくたちは気楽な気分になることができました。
その後のクリエイティブのプロセスは、根本的に、商業広告の場合と
違いありません。
(しかし、普通の広告と政治広告との間には、大きな違いが幾つかあ
ります。
第一に、政治家たちは、一般大衆はマジソン街の広告代理店なんても
のは信用していない---と考えていること。ですから、ぼくたちが立
候補者の広告をやる場合では、マジソン街の広告代理店の手になるも
のだということを、できるだけ隠す必要があります。
たまたま、あるコマーシャルがうまくいって成功したというようなこ
とがありますと、必ず、対立候補者から非難が出るわけです。
『あれは、マジソン街の広告代理店を使ってやったもので、必ずしも、
米国全体を代表しているものではない』と攻撃してくるわけです。)
第二に、ゲームのルールが政治家たちによって決められているという
こと。彼ら立候補者たちは、すでに幾つかの公約を発表してしまって
います。ですから、広告を担当する立場からすると、好ききらいを言
うことができず、否応なしに、その政治家が出した公約---ルールとい
うのかな、それに従って仕事をしていかなければなりません。
そう言ってしまえば、これは、ふつうの商品の場合と似たり寄ったり
で、あるメーカーの広告部長が、それをいかにして売りだすかという
ようなことを決め、そしていかにして競争商品に対抗していくかとい
うことの基本的方針を打ちだしてくるということと、変わりないかも
しれませんね。
(ドック・フーズと大統領は、そんなに違いがないというような皮肉
も言えるかも知れませんね。
しかし、なんといっても、政治キャンペーンのほうがエキサイティン
グであることは、まぎれもない事実です。内容がはるかに大きいです
からね。で、ぼくは8ヶ月ほど、非常にエキサイティングな状態の中
で過ごしました)。
しかしながら、これだけは言えますよ。つまり、1964年に民主党のた
めに行ったこの広告の中のあるものは偽りの広告であったということ
です。あの時には気づきませんでした。ぼくたちの中の誰ひとりとし
て気づいた者はいませんでした。しかし、あれは、疑問の余地のない
間違いでした。それは、1964年に続いて起こった、もろもろの事件が
証明しています。こんなことは、これまでにぼくがつくってきた広告
では、絶対にないことです。
(つまり、商品が持っていないものを広告するというようなことは、
ほかの商品の広告に関してはなかったことですが、いま振りかえって
みると、あのジョンソン・キャンペーンに関しては---)


chuukyuu「大統領選キャンペーンの最初のテレビ・コマーシャルの
『デイジーの花と少女』のフィルムが、共和党側の抗議によって、たっ
た1回、1964年9月7日の夜放送されただけで中止になりましたね。この
時のご自身の感想は? あなたが、あんな経験ができた唯一人のコピー
ライターだと思いますので---」


リー「これは、なかなか面白いご質問です。
なにが起きたかといいますと、あの『デイジーの花』のコマーシャル
が放送された翌日、共和党の全国委員会委員長が、あのコマーシャル
に対しての抗議文を、民主党全国委員会の委員長へ送ってきたのです。
新聞記者がたくさんいる前で、その抗議文を手渡したものです
から、即座に全国的に報道されてしまったのです。
コマーシャルそのものは、長い退屈な映画のあとに放送されたので、
見た人はそんなにはいなかったはずです。ところが、共和党が抗議し
たので、より多くの人に知られてしまう結果になりました。
たとえば、独自のニュースとして採り上げられ、再放送されたりしま
した。そういったことで、このコマーシャルが全国の人に見られる結
果になり、われわれは大いに喜んだものです。民主党が時間を買って
放送する何倍もの効果をあげたんですからね。
(コマーシャルがニュースの1項目として放送されるなんて、前例のな
いことです。さらに、この事件が『タイム』誌に取り上げられ
ますます一般が注目するところとなりました)。

1964年の大統領選でたった1回だけ放送されたにもかかわらず、あとは」
ニュースの1項目として局側の判断で全国的に再放送された民主党
コマーシャル「デイジーの花と少女」


花びらをむしりながら「一つ、二つ、三つ---七つ、八つ、九つ」と数え
ている少女の瞳へカメラがズームインしていく。
それにかぶせて、男声「10、9、8---」とカウント・ダウン。
映像が少女の瞳に接近したとき「2,1,ゼロ」で、原子爆弾が爆発、
立ちあがるきのこ雲。
ジョンソン大統領の声「これはたいへんなことです。すべての神の
子が生き続けられるか、暗闇に葬られるかというとても重要な問題
です。われわれはお互いを愛し合わねばなりません。さもなくば、
死です」
アナ「11月3日には、ジョンソン大統領に投票しましょう。家にいる
なんてとんでもない危険を冒さないでください」

TV−CM



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以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサーの転法輪 篤さんのご助力をいただいています。




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