創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

『創造と環境』まえがき

創造性の開発』(加藤八千代・岡村和子訳 岩波書店刊)の著者(ヴァン)ファンジェによれば、古代文明の開花・繁栄・死滅の歴史を調べてみると、「いずれにも感情を強力にふるいたたせる力のある指導者が、偶然の事情をもとに、国民を栄光への道に出発させ」るが、いつしか「しのびよる虚栄にひきずられて、比べるもののない自己の、絶対なる優越性の自画自賛に埋没してしまう」のだといいます。


確かに、ユダヤ文明は、ダビデとソロモンという強力なリーダーに導かれて栄えたといえましょう。


村松剛氏は、その著『ユダヤ人』(中公新書)で、ダビデを天才的な軍事、政治上のリーダーであったばかりでなく、「天才的な詩人であり、音楽家でもあった」と書いておられます。


つまり、ダビデは、自らが芸術的想像力の豊かな人物であったのでしょう。しかも、歴代史略上に「四千ハダビデが造れる賛美の楽器をとりてエホバ(注・ヤーウェが正しい発音だそうですが…)を頌(たたふ)ることをせり」とあるように、偉大な組織者、宣伝家でもあったようです。


ユダヤ音楽として知られているシナゴーグが、ダビデ自身の創案になるものかどうかについては知りませんが、耳を通して人の魂に訴え、衝動を呼び起こし、感情を流出させる詩の数々を歌わせたダビデは、イスラエルの人々の心に、強い動機づけを行ったのです。


この本は、現代のユダヤ王国、ドイル・デーン・バーンバックDDB)という広告代理店を築きあげた一人のユダヤアメリカ人、ウィリアム・バーンバック氏に関する取材ノートです(もっとも、彼をダビデ王に擬する蛮勇は、さすがの私も持ち合わせてはいませんが…)。


サルトルは、『ユダヤ人』(安堂信也訳・岩波新書)の中で、反ユダヤ主義者は「ユダヤ人が抽象的な知的人間であり、理屈をもてあそぶ」というが、この場合の抽象とか、理性主義者とか、知的人間という言葉に「悪い意味」があるとしても、「理性主義が、かつて人間開放のための、重要な道具の一つであったことを思えば、われわれは、これを、単なる抽象の遊戯と考えることは出来ない。むしろ、その創造的な力を重視しなければならない」といっています。


サルトルは、理性主義とは、もともと理想でもあり、情熱でもあり、「すべての人間が同意出来る普遍的真理を見せることによって、人間を和解させよう」と試みる主義であるともいっています。


バーンバック氏の理想、情緒を、もしこの本が十分に伝えていないとしたら、それは、私の非力のゆえです。