創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](700)コピーライター……現在・過去・未来(5)



さて、48年前の識者たちの予言はあたったであろうか?
予言は、当たらないから予言なのであろうか?



 TCC
東京コピーライターズクラブ 会員誌
第3号 昭和38年10月10日号 より



3.未  来


コピーライターが、やがてふたたび、なんらかの形でヒーローになるだろうという知らせは、よいこと、少なくともよりよいことである。
競争や、より効果的な広告をする方法を一層徹底して求めるためにコスト高になることで圧迫を受けた各企業が、広告代理店のマーケティングオリエンテーションや手のこんだサービスという呪縛から離れ、効果的な広告の基礎はすべて、よいオリジナルなアイデアにあるということの再発見に夢中になってきているが、それも決して不思議ではない。
されば、コピーライターにおなりなさい。
その仕事はアイデアに起因するものである。
世の傾向はすでに計算尺的なアプローチから元へ戻りかけてきている。
黄金時代来たるとのシルシはまだどちらかといえばないが、まず間違いないところ。


たとえば、1963年の春、アメリカ第3位の広告主であるゼネラル・フーズは、その広告代理店に、彼らの主たる役は、″広告及び消費者プロモーションのプランニングとクリエーション″にあること、そして要求されたときだけマーケティング活動に従事すべきであることを思い出させた方がいい、と考えた。     
たしかに、クリエイティブな敏活さで声評のある代理店はどしどしクライアントを獲得している。
大戦後設立された代理店の中で実際に伸びてきたものは、ほとんどがそのクリェイティブ・ワークで知られているところばかりだ。
―――たとえば、ドイル・デーン・バーンバック(DDB)、オグルビイ・ベンソン&メイサーズ、ギルド、バスカム&ボンフィグリス、パパート・ケーニグ・ロイス―――というように。


そして、まったくびっくりするようなところでさえ、どこもかしこもクリエーティブ部門は明らかに大きくなっている。
事実、普通の意味でクリエイティブなところとしては知られていない、しかもこれまで断固としてパブリシティを避けてきたし、いまもなおそうしつづけている広告代理店であるウノリアムエスティにしても、新たに2人のクリエイティブ・ディレクターを加えたことは非常にまれな新聞発表記事を十分正当化するだけの重要性をもつものだった、と感じている。
このニューヨークの代理店における新披任命者の仕事は、″この代理店の〔クリエイティブな〕領域において膨張しつつある種々のサービスを監督すること″とはっきりと指摘しているのである。


マーケティングマーチャンダイジングがもたらす福音よりも、ライターやアーチストのアイデアにより重きを置いた広告に移ってきているということは、手のこんだことをする能力という点では競うべくもないか、クリエイティブ・アイデアですでに巧みに競争している小さな代理店に、活躍する余地を与えることになるであろう。


代理店のサービスというものにはこれで終りはないだろうし、また次第に消えていくべき性質のものでもない。
しかし、元代理店マンである作家のシェファード・ミードが、"the glob" と呼んだもの……つまり、ごく一般的な貢献はするが、キラキラするようなことはなにもしない、ぶざまで無定見の組織は明らかに姿を消すであろう。
すでにクライアントたちは代理店のスペシャリストたちと接触することに興味を示してきてる。
たとえば、テレビに金を投入するとしよう。


その広告主は、アカウントマン乃至メディア・スーパーバイザーが考えていることなどではなく、テレビ・マンがどう考えているかを知りたがる。
彼にとって、テレビ・スペシャリストがその代理店で最も重要な人間のひとりなのであろう。
そして、″気まぐれなひっかけのようなものは全然いらない。ただ、商品が持つ先天的な特質を翻訳できるアイデアを待った男が欲しい″という広告主がふえてきているところからして、ライターがだれよりも重要な人間になってくるかもしれないといえるのだ。
しかし、なぜこうもアイデアに対する評価が大きくなってきたのであろうか。
クライアントであるひとりのアド・マンは、会社が広告に多くの時間を費やすために、広告の危険性についてのセンスを失ないはじめたのだ、と推測している。


ほかの見方をすれば、なにが商品を売るのかは、だれも正確には知りはしないし、真に全体的なマーケティング努力の集積の方が、その部分部分の総合よりも大きいこと――つまり、神秘的な総合がとってかわったのだということを理解しはじめているということなのだ。
簡単にいえば、広告をひとつのアートとして考えることがふたたび流行となりつつあるのである。
といって、代理店のもつ分析的なリサーチの機能がその重要性を失なうだろうというのではない。
事実、リサーチは解決策を完全にするよりもむしろアイデアをつくりだすべく、よりソフィスティケイテッドに想像的になりつつあるから、コピーライターもそれを一層利用するであろう。


しかしそれは組成的ではなく形式化的でもなく、ものを測るというようなものでなくて、ひとつのシンプルな商品に結晶するクリエイティブな努力における積極的な力……つまり偉大なアイデアであるという、ちがったルールを持つだろうと思う。
もっとたくさんのよりよいアイデアを求める声は、少なくともいくつかの基本的なマーケティング要因においては部分的に静まってはいる。
また、メデイアを断片化する傾向がどんどん強まっている。
しかも、この傾向は、広告は巨大なマーケットにアピールするに充分なだけ中性的でなければならぬとする根拠から、平凡な広告を決して許容しないであろう。


また、本質的には競争品と全く同じ新製品、しかもなんらかの方法でその混とんの中から引き上げられねばならない新製品の紹介も止むことがない。
解決法? それ自体が奇怪だとかユニークだとかいうコピーにはない。
たとえば、レオ・バーネットはつぎのようにいっている。
″私の昔のボスのひとりである故ホー・マー・マッキは、「まさに違っているが故に違っているのだ、と主張するんだったら、朝、口に靴下をはいて階下に降りてくるがいい」と、かつていったものです″と。
むしろ、オリジナルでエキサイティングで挑戦的なアイデアの中にこそ、それが売るという課題の枠にぴったりはまるものである限りにおいて広い相異性はあるであろう。


どこかよそでつくられつつある広告の熱しすぎの翻案ではなく、風車をヤリで突くことを恐れないコピーライターから飛び出すアイデアだ。
あるいは、DDBのビル・バーンバックが、ある広告のために求めていたアイデアをだしたコピー・スーパバイザーにむかって述べたように。
″きみのコンセプトは、だれの例にもならっていない――ドイル・デーン・バーンバックのにさえも”ということだ。
ドレーパー・ダニエルスはつぎのようにいっている。
″アートディレクターとのトラブルは、彼らがレイアウトをするということだ。コピーライターとのトラブルは、彼らがコピーを書くとことなのだ″と。


しかし、単一の力強いアイデアによってきっちりととめられた広告という点に関していえば、彼ら2人が一体となって広告をつくるべしとする要求は、これまでよりずっと大きなものになっているのである。
ある代理店の人間は、コピーライターも線を引く乃至は絵を画くことを覚えるべきだ、といっている。
そうすれば、彼らのアイデアを無意味な下手くそなスクラッチ以上のもので表現できるし、また多分、彼らがアートの分野外で″見る″広告を彼らはつくることができない、というような耳にタコができるほど聞いている不平のひとつの原因は除去できるわけだ。
また、他の人はこうもいっている。


コピーライターはタイプの組みを学ぶべきだ、と。なぜなら、タイプフエイズやその組み全休をビジュアライズすることなく、彼の広告乃至プランにおける全休のインパクトを本当に知ることができるライターがいないからである。(ライターが絵にもタイプにもエキスパートになりすぎたら、アートディレクターは彼ら自身の苦情リストに、また別の条項を加えることであろうが)
しかし、これらの熟練よりもさらに大切なことは、″明日のライターが、人間のモチペーションについて、それがエモーショナルなものなのか、現実的なものなのか、シリアスなものか浮わついたものか、経済的なものか、機能的なものか、それともなんなのか、その商品についての正しいアッビールをふるい分けられるだけの、おそろしく深い理解力を持たねばならないということだ″と、ある代理店のヘッドは語っている。
この見地からすれば、セールスマンであるよりは小説家であるコピーライターが、結局はトップマンとなることであろう。
少なくとも、彼は明らかに、人々に対する。


そしてまた彼らをして行動させる動機づけとなるものに対する小説家的本能を必要としているのである。
あるコピーライターはこれを要約して、″彼自身を年老いた婦人の歯冠や、あるいはティーン・エイジャーのニキビに投入できないライターは、それだけで全く価値がない″といっている。



保守派の富裕夫人たちを顧客にもつエリザベス・アーデンも70年代のセクシュアル解放ムーブにしたがった シーアク浴用剤


いかにしたら、この熟練した技術を彼は手に入れることができるのであろうか。
明らかに、ただコピーをつくるのに必要なナマの材料が手に入るのを待ってタイプライターの前に坐っているのではなく、人々に話しかけることによってである。
その知っている高度にクリエイティブな人たちについてレオ・バーネットがみるところでは、もしなんらか、公分母があるとすれば、それは物事に対する好奇心だ。
この好奇心は、それが田舎のオークションであれ、街角のドラッグ・ストアについてであれ、メトロポリタン・オペラであれ、ワールド・シリーズについてであれ、サービス・ステーショに対してであれ、政冶集会に関してであれ、彼らの行動のあるところ随所にとび出してくる″と。
自然の才能だったら痛みはない。
そして並みのコピーライターや単に相応といったところのコピーライターが、聖なる杯となる輝かしいアイデアとともに苦痛のひとときを過ごすように思う。


トムプソンのジェームス・ウェッブ・ヤングがかつて″有能な″ライターによって書かれた数葉のコピーに目を通したあと、いみじくも表現したように、″たしかにどこをたたいても響きはあった。しかし、そこにはマジックがなかった。ひとりの少女に、他のすべてのものよりその商品が欲しいと思わせるあの無形の品質といったものは、なにもなかった。コピーライターにそれを捕える方法を教えようとするのは、壁の花にそうする方法を教えるのと同じほどにむずかしい″
より効果的な広告を制作するということとは別に、アイデアのもつ力に気をとられるようになってきているということは、直感がたとえそれで始めるだけの価値があっても、重要な事実発掘や意識下の反すうによって―――それがいちいち時間のかかるものなので、その広告を待っているアカウントマンたち、メディアの人々、クライアントなどがしばしば狼狽させられるものなのである―――引き金をひかれるものであることを実感として知ることができずに、いまだに虫の知らせの中でシメタ、イタダキと呼ぶ種類のものと結びつけがちなコピーライターやその代理店の連中に、さらによりよき理解をもたらすものにほかならない。


クリエイティブに物を考える人々は、歴史的に直観、つまり事実の無意識的な評価に頼ってきた。たとえば、アインシュタインは彼の<空間・時間エネルギー理論>は病気で寝ているとき、彼の意識下がとくに活動的なときに生まれたものだ、といっている。
また、その適者生存の原理についてダーウィンは、″私は、車に乗っていて、ひょっとしたことからこの結論を得だのだが、嬉しくて、いまでもその地点を思い出すことができる"といっている。
コピーライターも、ひとつの広告をどうやってつくりあげるか訊かれると、こんなふうに応えねだろう。
「そう、ヒゲを剃るあいだも、そのことを考えているね。ヒゲを剃っているときが、一番いいアイデアが浮かぶんだ」
そしてアカウントマンにスイスイと持っていかせるためにだけに、
「タイプライターの代わりに洗面台を会社の個室に置きたい」
と。
広告というものがいよいよアイデアに支配されるようになり、広告マンたちがそれに要する時間や労力というものを理解するようになってきている折から、コピーライターたるもの、その洗面台を喜んで設置するかもしれない。


             (訳・出口哲男さん


蛇足ヒゲ剃っているときによいアイデアが浮かぶという話は、DDBのコピーライターのジョン・ノブル氏から聞いたような記憶がある。
この記事の書き手ジュディス・ドルギンス女史、ノブル氏を取材したかな。氏はジョークのきつい人だから、インタヴューアが女性だったので、ヒゲを剃れないと見て、真面目顔でからかったのかもしれない。
「女性ライターなら、口紅を引いてるときに---ってことね」と切り返せばよかったのに。


このシリーズは、これまで。




1968.10.15 A4変形判 199ページ
The Sons of DDB"


Contents


Carl Ally Inc.
Wells Rich Green Inc.
Jack Tinker & Partners Inc.
Leber Katz Paccionne Inc. Advertising
de Garmo, McCaffery Inc.
GILBERT ADVERTISING AGENCY INC.
The Cadwell Davis Company
Delehanty Kurnit & Geller, Inc. Advertising


1972.10.15  A4変形判    222ページ

contents


George Lois (Lois Holland Callaway Inc.)
Laurence D・Dundt (Daniel Charles Inc.)
Andrue Keshow (Oglvy & Mayser Inc,)
Milton Gossett (Compton Advertisihg Inc)
Jack Avrett (Marshork)
B・David Kaplun (Norman Clage & Camel Inc.)
John・E・O’Toole (Foote Coen & Belding Inc.)
Shepard Kuarnito (Delehanty Kurnito & Geller Inc.)
Doug Warren (Warren Muller Dobolosky Inc.)
Anshony Chwvens (Cunigham & Walsh Inc,)
Steve Frankfult (Y & R)



1972.01.10 四六判 222ページ 日本経済新聞社 
主な内容

積み木とジェット機
折れたタバコ
もっとセクシーな車を…
100ドルのボーナス
化粧品は「ラブ」の2文字
現代はハード・セルの時代



1971.03.19 四六判 214ページ 日本経済新聞社
主な内容

独創性を売る
 新しい生活習慣を売る…など
逆手を売る
 不恰好を売る…など
政治を売る
 貧困を売る…など
セックスを売る
 ウーマン・リブを売る…など


いずれも絶版だが、数多く献本しているので、今後、遺族の方が古書界へおだしになることも多かろう。





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