創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(436)トミ・アンゲラーとの対話(1)

一つのわがままを、お許しください。
ほぼ37年前、1人の男の才能に驚嘆したぼくは、1歳年少のこの男の作品を1冊の本にまとめました。
シニカルなイラストレイター トミ・アンゲラー』(誠文堂新光社・アイデア別冊 1972.1.20)です。


アンゲラーは、彼が世にでた英語圏読み。ウンゲラーは、母国読み。
米国時代の彼からアンゲラーと教わったので、ここではアンゲラーで通します。


トミは、「ぼくの作品の90パーセントは未公開だから」といって、「この機会に見ていただけるならとてもうれしい」と、あれこれ送ってくれたので、トミが40歳までの創作物として、ほとんどを収録しました。
それらを同書に載せた拙文とともに再掲してみます。


1971年。むすめのフィービーとセントラル・パーク脇のレストランで


アンダーグラウンド・スケッチブック』のためのポスター


ストラスブールで−−−−−−−


私は分かりたくないの。
お婆さんになったら、分かるようになるでしょう。
お婆さんになったら、よ。今はいや。
  ----ジャン・アヌイ「アンチゴーヌ」より----


     ●


「ほら、あの男、そっくりですよ、彼に---」野呂さんに言った。
「あ、行ってしまった」
彼女は認めえなかったのだ。


彼・トミ・アンゲラーについて、私が見たことの、なに一つ、彼女に話していなかった。


ストラスブールでのアンゲラーの幼年時代調査の助手として働いてくれた彼女が誤った先入観で事実を曲げることをおそれたからであり、私がニューヨークで会い、話し、観察したトミ・アンゲラーを、人手に渡したくなかったからでもある。


印象を、せっかちな言草にすると、それは実体とは似ても似つかないようなものになりそうでもあった。


そんな時だったのである。その男がストラスブールの駅前のホテルのレストランのテラスで休んでいた私たちの方を、不審げな目で見て通りすぎたのは---。


私たちは、やっと終わったばかりのトミの幼少期に関する資料やらメモやら録音テープやらフィルムやらをテーブルの上に投げだして、お茶を飲んでいた。
彼女は緊張からさめやらず、ナンシーの大学寮での外国男女学生の乱交について、熱心に語ってくれていた。


私はストラスブールの冬空を眺めながら、この灰色の空の下で、トミがこの街を出ていく決心をしたときのことを想像していた。
毎日毎日、灰色の厚い雲と氷雨と雪と風を見ていれば、だれだってこの雲の向うに、もっと違った風景の街があるように思うだろうな---と考えていた。


そして、その男が通ったのだ。


トミ・アンゲラーにそっくりの男だった。
フランス人には珍しく好奇心の強い目をしていた。


つまり、トミは、この地方的な演立ちの男であったのだ---と気づいた。


この時から、ニューヨークでトミに会って以来、私の心の上に重くおおいかぶきっていた、彼の熱気のようなものがスッーと消え、彼をひとりのアルザス生まれの男として、距離を置いて眺められるようになった。


そうだ、見たまま、話したままのトミのことを記せばいいのだ---飾ることもない、天才扱いすることもない、彼がほんとうに天才なら、彼の作品自らがそれを語るのであって、私が飾る必要はない。


気が晴ればれしてきた。
しかし、12月初めのストラスブールの空は黒かった。


駅前広場のポールに掲揚されたヨーロッパの国々の色とりどりの旗は、この街でヨーロッパ会議が常時開かれていることを示していたが、私にはなんの意味も語らなかった。


トミ白身は、ストラスブールについて、こう説明してくれはした---、
「とてもおもしろい街だよ。古い建物も残っていて、とても豊かな街。文明化されてます。フランス的なものとドイツ的なものとが混っていて、美しい街です。食べ物も、フランス風とドイツ風の両方が食べられて、すてきなんだよ」


そういえば、前夜、氷雨がちらつく中を、アルザス料理といわれているシュークルットを試食するために野呂さんの案内でカテドラルのそばまで行ったのだった。
13世紀の建築になるといわれるカテドラルは、夜なので入場できなかったし、外装も修理中で、照明もそう明るくはなかった。
トミが、「高い建物」と自慢したのはこれだな---と感じた程度で、むしろその直前に、カテドラルの前の小路の家と家との間にできた暗がりで抱きあい求めあっていた若い男女の仕草のほうが気になっていた。


ストラスブールの大カテドラル


野呂さんによると、フランスでは若い男女が愛し合う場所が少ないので、こうした所で抱きあうのだ---ということであったが、私は、トミの青春の一部を現実に見た・・・という考えの誘惑をしりぞけることができなかった。


     ●


パスカルは、フランス人気質として繊細さ、明析さ、合理性を挙げているが、これとはまるで違う、ゴロア気質と呼ばれるものもある。紀元前5世紀ごろからアルザス地方に住みついた先住民族のゴロア人のそれを受けついだものである。


シーザーのこの地の征服によって生まれた混血文化---ガルロロマンの時代を経ながらもゴロア気質はアルザス人の気質として残った。


閉鎖的、内攻的、偏執的・・・・・・というと言葉としてはよくない。
形式的、事大主義的、鈍重・・・・・・といっても、あまりいい言葉ではない。
ねばねば、どろどろ、ずっしり、ごろごろ、ごりごり・・・・・・どうも、いい表現が思い浮かぼない。
繊細、明折、合理性から遠いもの、と思っていただこう。
しかし、気質といったところで、これはあくまでも便宜的な分類にすぎない。
アルザス人の中にも、練細な精神の持ち主も多かろうし、合理主義者もいよう。
また、トミがアルザス人特有の気質を受けついでいる・・・などという、ご都合主義の説を持ちだそうとしているのでもない。
ただ、こう言いたかっただけである。トミは、アルザス人の中で育った・・・・・・と。
トミの父も母も、100パーセント、アルザス人であったという。


>>(2)につづく。

雑誌『True』の広告のためのポスター


事実は小説より奇なり

雑誌『True』の広告のためのイラストレイション


>>(2)につづく。