創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(414)ベントン&ボウルズ社(2)

    『マジソン・アベニュー』誌から(2)


この記事は、ぼくがアル・ハンペル氏をインタヴューしたのと、ほとんど前後して取材されたと推定されます。コピーライターの先達として個人を取材したものと、クリエイティブ改革の目で組織を取材したものとの差を比較してくださってもいいです。
1969年---DDBが20年前に先鞭をつけたクリエイティブ革命をみて、10数年後に、幾つもの大広告代理店も走りながらの苦しい変革にとりかかっていたのですね。



(承前)
だから現在では、アソシエイト・クリエイティブ・ディレクターが6名いるだけで、これら6名はハンペルに直属している。
このほかに最少限度の監督下にあって活動するアートディレクター/コピーライターのチームがハンペルの直属で存在する以外は、肩書を持つクリエイティブ・マンはほとんどいない。
わずか数ヶ月の間に、ハンへペルは、クリエイティプ部門全体を以前とは比べものにならぬほど柔軟性に富み、しかも効率的な部門にしてしまった。しかも側近者にできるだけクリエイティブ面での実力者を置くことによって、部門全体が彼の要求により一層敏感に反応するようにし、まただれもが絶対にこれだけは必要だと感じていた2つの事柄---すなわち明確な方向と推進力の2つをこの部門に与えたのである。
ハンぺルがB&Bに移ってきたときは、アートディレクターが34名、コピーライタ-が39名、それにらTVプロデューサーが15名ほど---クリエイティブ部門は約90名のスタッフで構成されていた。
それがハンベルの入社によって、約90名中の25名ほどがクビにされた。それも大部分は3ヶ月もたたぬうちに解雇されている。
クビになった人間の補充としてハンペルは、新しく27名(コピーライター14名とアートディレクター13名)を採用した。
こうした人事刷新は、そう簡単に行くものではない。
その結果について、アートディレクターのディック・マトノンもこういっている。「現在のクリエイティプは、以前からするとずっと強力になったとだれもが感じており、アカウント・サービス担当者を含めて、すべての人がこの点を喜んでいます」


定例の社内スクリーニング(TV-CM試写)に集まったクリエイターたち。ほかのクリエイティブ・チームの成果をみて対抗心を燃やす。


別のアートディレクターはこんなふうにいう。「今までと違って、みんなやる気十分といったところです。クリエイティブの評判は上がってくるし、そういう評判のもとで仕事ができるんですからね」

クリエイティブの評判が高く、いつもゼネラル・フーヅやプロクター&ギャンブルのような大手クライアントの広告を扱ってきたY&Rに12間勤務したアルビン・ハンペルは、B&B(ここの扱い高の3分の1はプロクター&ギャンブルで占められているという)のような広告代理店が求めていた経歴を申し分なく備えていた。

両親が、クレストで歯をみがくと、歯の丈夫な赤ちゃんが、生まれてくるでしょうか?

その赤ちゃん次第です。赤ん坊が努力するなら、クレストがそのお手伝いをします。

ハンベルの役職名は取締役副社長兼クリエイティプ・サービス部長である。彼はブロード社長と4人で構成される執行委員会(彼もその委員の一人)に直属しているが、疑義を生じたアカウントは辞退するだけの権限を与えられているのかどうかという質問に対して、
「それはアカウントを切ることではなくて、最初にアカウ/トに提示したクリエイティブ・ワークのレベルをどこまで向上させるかということですよ。クライアントだって態度を変えることがありますからね。説得いかんによっては、クリエイティブ面で折れてくれますよ」と答えた。
ところでハンペルは、Y&Rに在職中はクリエイティブ作品のすぐれた審判者であると同時に<すぐれたセールスマンとしても知られていたものだ。
だから「ハンベル実験」と呼ばれるものが生まれたことは、ウェルズ・リッチ・グリーンの出現以来、広告界における最も意義のある出来事だったといってよいだろう。
「ハンペル実験」は、最も新しい一連のクリエイティブ実験を代表するだけでく、ロン・ローゼンフェルドとJ・ウォルター・トンプソン社の結びつきを含めて、今日に至るまでの最も意義深い出来事を代表するものである。


【chuukyuu補】DDB時代のロン・ローゼンフェルドについては、   ロン・ローゼンフェルド氏とのインタビュー(12345了)


クリエイティブなアドマンの多くは、ウェルズ・リッチ・グリーン(WRG)を黄金時代に近いと考え、トンプソンはクリエイティブ面からいうと幾分か原始時代のものと見る傾向がある。



【chuukyuu補】ウェルズ・リッチ・グリーン(WRG)については、
『メリー・ウェルズ物語』


だが、'70年代にはいって、クリエイティプ畑の人びとに開かれた仕事の85パーセントは、WRGよりもトンプソン側に近づいていることは確かである。今、ハンペルがB&Bで成し遂げようとしていること、連続体の中間点にさしかかっているところと見ることができよう。 もしこれが成功すれば、こうしたことにすぐ反応する広告界としては、遅くとも半年以内には腹を決めるだろうから、多くの広告代理店がB&Bの例をまねることは必定だろう。(文:ディック・ワッサーマン)
つづく