創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(316) ボルボの広告(10)

ブログのむずかしさを、つくづく、感じています。1日に目をとめていただけるのは6分間が限度---これが大前提。それ以上の時間を奪うのは、いくら親しくても、暴力。必然的に、コンテンツがコマギレになります。ここが本や雑誌メディアとの、大きな違い。コマギレだけに---そして、アクセサーは忙しいのだから、昨日や一昨日のコンテンツはおぼえていらっしゃらない---1日の分量が原稿用紙3枚という、新聞連載小説の達人の筆法を研究が急がれます。


第1章 ガブリエルソンの30年間 (つづき)
2人の男が出合ってから---(つづき)

ガブリエルソンは、1956年(昭和31)5月、30年間に及んだボルボ社長の地位を健康上の理由から辞し、会長の椅子についたときに、みずから記した『ボルボの歴史の最初の30年』の中で、
ボルボの設立へと私を導いたのは、ただ単なる冒険心ではなかった」と、はっきり書いている。
「当時、スウェーデンの工業は、いろんな分野で、かなり発展していた。FKF、ASEA(電機)、ボーフォシュ(鋼鉄、軍鑑用大砲など)といった会社の名は、スウェーデン国内ばかりでなく、海外にも有名であった。
自動車のように複雑なメカニズムを必要とする製品は、とくにその目的のためにつくられた製造機械類がそろっていなければならないが、当時のスウェーデンでは、かなりのものを入手しえた」
スウェーデンの機械技術は、高い水準を誇っていた。スウェーデンの労働者の背後には、数世紀を経た伝統があった。スウェーデンは、良質の商品をつくるという評判をかち得ていた」

私の手もとには、残念ながら1920年代のこの国の工業技術水準を示す資料がない。したがって、ガブリエルソンの記述にたよるほかない。(中略)
エリック・ザーレはその著『スカンジナビア・デザイン』(藤森健次訳)の中で、
「十九世紀までは、スウェーデンは農業国であった。その当時スウェーデンにはむずかしい社会的再編成が行われた革命的変化が起きようとしていた。住民の多数がアメリカに移住し、残った者は農業化から工業化への移行に適応しようと努めていた。1897年(明治30)、ストックホルムで工業展覧覧会が開かれたとき、一般のスウェーデン人は、自分の国が、自己の天然資源に気がつき、工場、製材所、鉄道を建設しはじめて新しい工業国になろうとしていることを知って当惑している様子だった」と書いている。


スウェーデンの国民総生産の向上
Stockholms Enskilda Bankの資料 1870=100

この記述と、上の図の国民総生産の伸展ぶりをみると、30年ごとに約2倍ずつ伸びていることがわかり、生産性と経済構造が大きく変貌していることが推測できる。
(1965年の各国の国民総生産の表は略)

  • 寒さが品質の良さを生む?

スウェーデン製品の品質の良さを、この国の寒さのせいにしている人もいる。ヘンリ・マネイ2世である。彼は、
『ロード&トラック』誌のヨーロッパ駐在記者として知られている。その彼が、1967年の2月にスウェーデンで行われた国際自動車ラリーを参観するためにパリからやってきたときに書いた記事の一節--−。
スウェーデンは、シリアスな国であり、スウェーデン人は、シリアスな国民である。ヨーロッパからはるか遠くの北にあり、冬はきびしい(中略)。
激しくたたきこむような雪がどこにもかしこにも滲みこんで、太陽は10時半ごろ、不承不承に顔を見せ、『すこしは拝めたろう』とでもいうように、午後3時には消えてしまう。そして世界は、長く凍てついた夜と化してしまう。
こんな環境では、セントラル・ヒーティング設備のアパートに住む市民でさえ、どんな小さなものでも信頼性の高いものを求めるようになる(中略)。
だからスウェーデン人は、自分たちが買い求めるものを驚くほど熱心に精選するのである。また、スウェーデン人は、一定の品質基準に合わせてしか、物を製造しないという彼ら独特のやり方をやめようとはしないので、アメリカの消費者は、スウェーデン固執する昔からのすぐれた商品を手に入れることができるのである」
これは、ユニークに見解ではあるが、どうも信用できない。私が見たかぎりでは、ヨーロッパをはじめとして世界市場を相手に輸出していかなければならないスウェーデンにとってみれば、たとえその品種が少なくてもそれなりに、品質の良いこと、特徴があることを認めさせなければ工業国としてやっていけないことを、彼らは歴史的に心得ているのである。
それともうひとつ、スウェーデン人が、すべてに誇り高く、しかも謙虚な性格を持ちあわせた国民であることに由来しているようだ。

  • 米国の約4分の1の労賃

ガブリエルソンがラルソンに分析してみせた自動車工業に必要な第2の条件--安いスウェーデンの労賃について、彼はこう書き残している。
「当時、米国の労働者は、スウェーデンの労働者がクローナで受け取っているのと同じ数値の労賃をドルで受け取っていた」
この文章は、すこし解説を要する。私がスウェーデンを訪れた1967年(昭和42)のドルとスウェーデン・クローナの交換レイトは、1ドルにたいして5クローナであった。1926年(昭和1)ごろの交換レイトは、1ドルに対して約3.73クローナであったという。
したがって、ガブリエルソンの『回想録』の文章の意味は、スウェーデンの労働者が、1時間あたり平均1.08クローナの労賃を当時得ていたということだから、米国の労働者は約1ドルの時間あたり労賃---つまり、4倍近くもの労賃を得ていたということで、逆にいえば、スウェーデン労賃は、米国の約4分の1であったことになる。
当時、スウェーデンの自動車市場を支配していたのが米国車であったことがわかれば、ガブリエルソンの記述の意味の重要性が理解できる。米国の4分の1の低労賃をもって自動車をつくれば、彼らの最初の競争相手となるはずの米国の大量製産車とのコスト競争には絶対に勝てるとふんだわけである。
米国の量産車といわれて、まず私たちの頭に浮かぶのはフォードT型車である。1927年までの20年間に1,500万台生産され、当初の920ドルの価格から、数次の値下げで1916年には345ドルにまで下がったという。


もともと、今日(1967)においては、スウェーデン国民の1人あたりの所得水準も当時の3倍以上にあがっており、ボルボの工場で働いている作業員たちは、1時間あたり11クローナを得ている(ドル換算で約2ドル)。ボルボは、この高水準賃金をいかに生産過程の合理化でカヴァーするかに苦慮している(以下略)。


>>続く


贅沢すぎる車なんて、
文字通り、死ぬほど退屈です。


どの医者に聞いても、安楽すぎる生活は健康に有害であると言うでしょう。
車の場合は、生命とりです。
物音ひとつしない洞窟のようなコンパートメントで幅1.5m、錦織りのリクライニング・シートにもたれて2、3時間も過ごせば<まるで書斉にいるような気分になってしまいます。車でなく。
しかも時速90kmのスピード、現実から一瞬でも目をそらせば、一巻の終りになりかねません。
ボルボでは、装飾よりも常に安全を重要視してきました。
たとえば、「高級」車の中にはプライバシー用の小さなのぞき穴があります。
ボルボは車の中でそんなプライベートなことは、公衆の面前でやるべきではないと考えます。
だからボルボ264GLには、3,830平方インチもの着色ガラスがあり、周囲325度が見渡せるようになっています>
私たちとしては、360度の視野を与えたかったのですが、ボルボの安全技師がルーフを支えるピラーは車の全重量を支え切れるほど頑丈でなければならないとの見解をとったので。
ソフトでやわいサスペンションやステアリングは路面の突然の変化や方向の微妙な変化を隠すことができます。でもボルボは知らぬは命とりになり得ると考えます。
ボルボ264GLのスプリング・ストラト・サスペンションとラック&ピニオン・ステアリングは車とその環境を巧みに操ることができます。
シートだけは、別説をとりました。
姿勢正しく、機敏に保つよう、 ドライバー・シートは体になじむように、体格に合わせて調節できるように設計してあります。寒い時は、自動的に暖まります。頭は道路に---でも背中は本物の皮にもたせて。
246GLは安全快適第一に設計してありますが、真の意味でいかに賛沢かはすぐさまおわかりになると思います。
パワー・ステアリング、パワー・ディスク・ブレーキ、パワー・フロント・ウインドゥが標準装備。エアコンディショニング、オートマチック・ギア、サンルーフ、燃料噴射式オーバーヘッドカム・V6エンジンも標準装備。
ボルボ264GLに尽くされた贅沢はまだまだたくさんあげることができます。
でも退屈なさるといけませんのでこの辺で。

ボルボ264
考える人たちのための車。


媒体『ニューズウィーク』1976年5月10日号 




A CAR THAT'S OVERLY LUXURIOUS
COULD LITERALLY BORE YOU TO DEATH.


Any doctor will tell you that too much soft living can be hazardous to your health.
In a car,it could kill you.
After spending a couple of hours on a five-foot wide, brocaded reclining sofa in a sound deadened, cave-like compartment, you can begin to believe that you're in a library. Not a car.
And at 55 miles an hour, even a momentary escape from reality could send you off the road.
At Volvo, protection has always been more important than decoration.
For example, some "luxury" cars have tiny peepholes for privacy.
Volvo believes that if what you're doing in a car is that private, you shouldn't be doing it on a public thoroughfare. ..
So our new Volvo 264 GL gives you 3,830 square inches of tinted glass, providing unrestriced visibility over 325°of your surroundings.
We'd give you 360°visibility, but Volvo's safety engineers take the view that each pillar that holds up the roof must be substantial enough to hold up the car.
Soft, mushy suspension and steering can mask sudden changes in road surface and subtle changes in direction. But Volvo believes that what you don't know can hurt you.
The spring-strut suspension and responsive rack-and-pinion steering on the new 264 GLgive you control over the car and its environment.
On our seat, we rest our case.
To hold you upright and alert, the driver's seat is contoured to your body and adjustable to your dimensions. It heats automatically in cold weather. And while your mind is on the road, your back is against real leather.
Although the 264GL is designed to be safe and comfortable first, you'll notice in a second how truly luxurious it is.
Standard equipment includes power-assisted steering, power disc brakes and power front windows.
Air conditioning, automatic transmission, a sunroof and a fuel-injected, overhead cam V-6 are also standard.
In fact, we could go on and on about the luxuries built into the Volvo 264 GL.
But we don't want to bore you.

V0LVO264
The car for people who think.


Newsweek, June 10, 1976


>>続く