創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(318) ボルボの広告(12)


第1章で書いていることは、「ボルボ社の社史」の翻訳ではありません。いろんな断片を集めてきて、推理をまじえて構成したものです。専門の著述家なら当然の作業でしょうが、コピーライターとして、そこから生まれる広告からたどっていったのですから、恐竜の尻尾に魅せられて、ついにその先祖までたどりついたって感じです。お粗末は、素人芸とお許しください。


>>『ボルボ〜スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』目次
第1章 ガブリエルソンの30年間
2人の男が出合ってから---(つづき)

  • 試作第1号車の処女運転

それから1年経った1926年6月から8月にかけて10台の試作車がつぎつぎに完成し、スウェーデンの路上を走りはじめたとき、ラルソンは、相棒の読みの深さを、またまた思い知らされた。
まず、試作第1号車が完成した日のことである。処女運転のため、ラルソンたちが格納庫から手づくりのツーリング・カーを押し出してみると、そこに、ガブリエルソンとスウェーデン最大の企業であるSKFの会長夫妻が待っていた。その前夜、イェーテボイ市から試作工場(といっても小さな倉庫を改造したものだが)のあるストックホルムヘ着いたばかりであった。
当時、イェーテボイからストックホルムまでは、汽車で10時間近くもかかる大旅行であったが、ガブリエルソンが2人をどう口説いたものか、とにかく、彼らはスウェーデン製第1号車を見るためにやってきたのであった。
ラルソンがハンドルを握り、その隣りにガブリエルソンが、そして後部の客席には会長夫妻が乗りこんだ。
クランク棒がまわされた。
エンジンが音をたてた。
エンジニアたちや板金工たちが喊声をあげた。
ラルソンは、ファースト・ギアを入れ、注意深くクラッチ・ペダルを離した。
第1号車は動きはじめた。
---車は前へ走らず、もとの格納庫へ入ってしまつたのである。
前夜、SKFの会長夫妻が参観にくることを知らされたエンジニアたちが、すっかりあがってしまい、ギヤ・ボックスを逆に取りつけてしまったのが、後方へ走った原因であった。
彼らは車の最大のパトロンになるはずであったSKFの会長は、
「後ろへ走る車なんて、アイデアとしてはおもしろいがね---」
と、彼らの野望をばかげたことだと、簡単に笑って、大手をふって歩き去ってしまった。
技術陣の幼稚な失敗に苦笑していたラルソンも、会長が歩き去るのを見て、ことの重大さに気づいた。
「アッサール。私たちはとんでもないヘマをやつたらしいね」
ガブリエルソンは、ラルソンの肩をたたいて、静かに言った。
「気にするな、グスターフ。むしろ、一生涯忘れることのできないほど印象的な処女運転だったよ。それに、このつぎは、前に走るより間違えようがないんだから」

  • 前に転がるようにします

たしかに、翌日から、すべては前へ向かって走りはじめた。試作車のうちの1台が、ストックホルムからイェーテボイに回送された。そして、ガブリエルソンが常識では考えられないような奇跡を演じたのである。その最大の奇跡は、なんといっても、SKFがイェーテボイにある子会社の北欧ボールーペアリング社の工場の一棟を提供し、別の子会社の一つが使っていた「ボルボ(Volvo)」の名を譲ってくれ、しかも資本を出してくれたことである。
ボルボとは、ラテン語で「私は転がる」という意味であった。
ボールーペアリング・メーカーらしい名前であったが、ガブリエルソンは喜んで受けた。そして、20万クローナの出資を決定してくれたSKFの重役会で、こう言った。
「前に転がるようにします」
SKFの重役たちにガブリエルソンが説明したのは、大要つぎのようなことであった。
ボルボ(といっても、そのときにはまだ名前がなく、ガブリエルソンは「スウェーデン人の手になるスウェーデン車」という表現を使った)の製造・組立てのために、おびただしい数の部品の製造工場を設備することは、経済的に不可能である。したがって、それぞれの部品を専門につくっている会社からそれらを購入する。部品の選択は国内からのみとは限定しない。品質が良く、コストが見合いさえすれ全世界中から購入してかまわない。つまり、ボルボは設計と組立ての責任をとる、というのである。
ボルボ製造のためのこの論理的な結論は、ボルボの基本的なコンセプトとなって今日に及んでいる。すなわち、1967年において、エンジンとトランミッションを含めて、ボルボ車のコストの約35%にあたる部分のものがボルボ・グループ内でつくられ、約30%のものがスウェーデン国内から調達され、残りの約35%が世界中から購入されている。
たとえば、メーターは西ドイツのVDO、電装品のうちのダイナモとスターターモータは西ドイツのボアシュ、ホーンは西ドイツのヘラー、ブレーキは英国のカーリング---といったように、世界的にその品質が知られている優秀品が組み込まれているのである。ステアリング・ギヤは西ドイツのZF、クラッチは英国のボーグ&べック、ガラスはベルギー、そしてオート・クラッチは米国---。

  • 部品供給会社の「のれん」を利用

もちろん、自動車王国の米国でも、部品の外注システムを採用しているし、日本とても例外ではない。けれども、ボルボのように一貫して「良いものなら国籍を問わないで使う」方針を堅持し、それがまたその車の魅力となり、信頼性を高めている車は、ほかにはない。
もっとも、ガブリエルソンの考えは、初めは別のところから発していたように、私は思う。
それは、ボルボ第1号車が売られたときのカタログに記されている広告文---
スウェーデンの精密工業力の成果がボルボ車です。
その品質と性能の良さは、ボルボ車のために部品や材料を供給してくれている各社が、下記のごとくスウェーデンの著名会社であることで立派に証明されています」
から推測して、彼は、ボルボに部品や材料を供給してくれる工場の「のれん」をフルに利用しようとしたのではあるまいか。ボルボ社は誕生したばかりのまったく無名の会社で、対外的な信用もゼロ。これに反して、カタログに部品供給会社として名を連ねている、ボーフォシュ社(鋼鉄、軍艦用大砲)、SKF、チェピング精機社(ギヤ・ボックス、クランクーシャフトなど)、オラフストローム製鋼所、オディビタベルイエ業(銅および木製品)、ペンタ製作株式会社(エンジン)などは、それぞれ1646年、1735年、1858年、1689年、190年、1868年に創業された由緒ある企業であり、その分野では豊富な経験を誇っている。
ガブリエルソンは、これらの会社の絶大な信用を、そのままボルボ車に直結しようとしたのである。(注・ここに記された6社のうち、チェピング精機社(KMVA社)とペンタ製作株式会社は1942年と1930年に、それぞれボルボ・グループに併合された)。


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うわべでなく
本質的に贅沢です。


ボルボ164の贅沢さは見かけではありません。実感があります。見かけだおしの優雅さではなく、本物の優雅さ。
たとえば、室内。錦織りやプラスチック製木目なんてなし。でも164のインテリアはそれなりに良質です。座席に使われているファイン・レザーのかおり。しかもシートの構造も贅沢です。いくつもの自動車雑誌が「世界有数の心地良いシート」と言っているほど。
ダッシュボードには意匠をこらしたダイヤルも装置もありません。見慣れない計器はタコメーターだけ。これは164の中でも注目に値します。3リッターの燃料噴射式エンジンはとてもスムーズで静かなのでセコンドかトップか知るにはタコメーターを手がかりにしなければならないほどだから。(オーバードライブの4段マニュアル、またはオートマチックの場合は、標準装備)。
ボルボのボディの外装はすべて耐さび性の亜鉛メッキスチール製。耐さび加工はスプレーではありません。ボルボが最終塗装を完了する前に、強力な磁荷でメタルの内部まで耐さび加工をしてしまいます。その結果は、単なる「塗装」をしのぐ仕上げ。粋なメタリック仕上げもボルボ164の基本価格の中に含まれています。
そのスタイリングは、世界の名だたるエレガンスカーと同じと言っても過言ではありません。
現われると同時に「いくら、いくら、いくら!」とわめき散らしそうないわゆる豪華車とはわけが違います。
ボルボ164は泰然と語ります。「センスさ」と。


ボルボ164
考える人たちのための豪華車。


媒体『ニューヨーカー』誌1975年10月8日




LUXURY IS BUILT IN.
NOT TACKED ON.

The luxury of a Volvo 164 isn't something you just see. It's something you feel. A sense of elegance that's not gaudily apparent. But very much real.
Inside, for example, there are no brocades or wood-grain veneers. Yet, in its own way, the interior of the 164 reeks of quality. You can smell the fine leather used to face the seats. And these seats are a luxury in themselves, Numerous automotive journals have pronounced them "among the most comfortable in the world."
On the dashboard, no fancy dials or gadgets. The only instrument you may be unfamiliar with is the tachometer. Which in the 164 bears watching. The three liter, fuel-injection engine is so smooth and quiet, the tachmeter is sometimes the only way to tell if you're in second or fourth gear. (No extra charge for 4-speed manual with overdrive or automatic transmission.)
Exposed structural parts of the Volvo body are made of rust proof galvanized steel. Rustproofing isn't just sprayed on. It's drawn into the metal with a powerful magnetic charge before Volvo receives its final exterior coats. The result is an exterior finish that surpasses any mere "paint job." Even the striking metallic finishes are included in the base price of the Volvo 164.
Its overall styling, like all the world's truly elegant cars, is if anything over understated. It cannot be confused with those so-called luxury cars whose arrival loudly proclaims, "dollars, dollars, dollars!"
The Volvo 164 simply sates. "sense."


VOLVO 164
The luxury car for people who think.


The New Yorker, October 8, 1975


chuukyuuの泣き言】id:fuku33さんに教わって本の縦書き文を、ブログ用に横書き文に変換するソフト『読取革命Ver.12』(パナソニックソリューションテクノロジー(株))を導入したので、大助かり---id:fuku33 さん、ありがとうございました。ところが、さすがの名ソフトも、きょうの図版のような黒地白抜き文字は読み取らないみたいで、いちいち手打ち。長いコピーも読むにはいいですが、写すには、いささか泣けますね。とくに英文タイプをやってないブロガーは。