創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(730)『アメリカのユダヤ人』を読む(11)

毎週の土・日曜の気のきいた読み物として、既訳『アメリカのユダヤ人』を連載します。
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ユダヤ系の友人との応接時の気くばりとして、お心おきいただければ幸い。とくに、マスコミ・言論・出版、広告・美術、ファッション、映画・演劇、放送、IT業界、リテイリング分野の方々。



書き手のジェイムズ・ヤッフェは、1927年シカゴの生まれ。イェール大出。ブルックリンのママ素人探偵ものでしられています。
もっとも、ブルックリンが舞台になっているのは1冊きり---『ママは何でも知っている』(ハヤカワ・ミステリ1289)、あとは創元推理文庫が3冊---もっともこちらはブルックリンが事件現場ではなく、ロッキー山脈のふもとの田舎町メサグランデで各長篇。


諸作を読みつなぎ、『アメリカのユダヤ人』と照合して、ママの両親はロシアに近い東欧からの移民と推定しているのだが。


その推理のタネあかしは、明日。




祈  り


食物に関する戒律


 ユダヤ人の戒律のなかでは、清浄食品(カシュルート)関連の戒律が有名である。
「清浄食品を食べる」という敬虔なユダヤ人の気持ちには何か神秘的なところがあ
る。
これほど不便で論理的に説明困難なミツバ(戒律)はない。
この戒律よりも一理ある他の戒律があいまいになってきているというのに、彼らは
何世紀もの間頑固にこの戒律を守ってきた。
ハラカの他の部分よりも、清浄食品の戒律のほうが守りにくいということではない
のだが、敬虔なユダヤ人の知性と感情を悩ますものがある。


 主な飲食律は次のようなものである。豚と貝類・甲殻類の料理はいついかなる場
合も禁じられる。
禁止されていない牛肉と鳥肉は、掟にかなった方法――生きているうちに殺して血
を注意深く出すなどの手順――で儀式的に屠殺されたものでなければ食べられない。
それから牛肉と乳製品を同時に食べることは掟にそむく、あるいは不浄とみなされ
る。
敬虔なユダヤ人はステーキを食べた後に牛乳を飲みたくてもかなりの時間を経てか
らでないと飲めない。


 肉用の皿やガラス食器や調理品を乳製品用に使ってはならない。
目に見えないほどのステーキの微片かミルクが付着していて、次の料理の時に禁断
の混食をするかもしれないというわけである。
用心深い主婦は台所に皿を2組用意している。
万一、誤って使ってしまった皿は捨てるか、複雑な清浄化の儀式をしなければなら
ないからである。


 正統派は厳格に掟に従うことを信徒に要求する。
急を要する健康上の理由でもない限り、譲歩は許されない。
このため正統派ユダヤ教徒の生活はむずかしいことが多く、時として不可能な事態
も生じる。
例えば旅行などは厄介きわまる。
どこへ行くにも食品を――紙皿やプラスチック食器なども――持ち歩く。


 清浄食品の戒律の複雑さは正統派会堂の場所に関係が深い。
正統派が大都市に集合する主な理由はこの戒律にくわしい屠殺者が他ではみつからな
いからである。
このため正統派は郊外移転が他のユダヤ人よりも遅れた。
仲間の共同体のない郊外へ移転する正統派家族は先駆者としてもてはやされた。
友人や親類は彼らがアフリカの原野に暮らしているのだったら、それほど心配したり、
耐えている彼らの苦しみを気にかけたりしなかっただろう。


 食品戒律を守るために犠牲にしなければならないものを考えると、折りにふれイン
チキをする正統派ユダヤ教徒がどのくらいいるかと思うのも当然だろう。
多くの共同体で調査が行なわれたが、結果はさまざまだった。
定期的に食品戒律にかなった肉を買わない正統派教徒が25〜60%、2組の食器を
置いていない正統派教徒は15〜47%という具合である(注1)
だが不浄食品を食べたいという本能が正統派教徒の心の底にあるというのが私の受け
た印象である。
敬虔だが貧しいブルックリンの家で育ったエール大生に、ベーコンの味を試してみた
い誘惑に負けたことがないか聞いてみたことがある。
答えは「子供の頃、友達といっしょにマンハッタンヘ行って一度だけ食べてみたこと
がある。あんまりおいしくなかったけど、食べてみてよかったと思っている。一度食
べたことがあるから、知的な選択ができるわけだもの――経験をもとに拒否するとい
うね」


 改革派ユダヤ人はこの本能を解放した。彼らが今日この時代にあっては不必要と宣
言した戒律の一つに食品戒律が含まれている。
これっぽっちの罪の意識もなくハム・エッグに舌つづみをうつ。
不浄食品が嫌いだとは言わないくせに清浄食品に明確な嫌悪を感じることがあるのだか
ら妙である。「清浄食品ばかり数日間食べていると改革派ユダヤ教が存在する理由が
よくわかる」とある改革派ラビが言った。


食品戒律に対する保守派の態度は、神学的には正統派と同じである。
戒律は不変のもので破ることは許されない。
だが通常、保守派ではラビが戒律を定め、平信徒はそれにどう従うかを自分で考える。
家庭では清浄食品を食べ、外では不浄食品を食べるというのがよく行なわれる妥協案
である。
多くの人々が信心深く――この場合にこの言葉が当てはまるとすればのことだが――
この妥協案を守っている。


会堂における礼拝の仕方も、3派それぞれに異なっている。


 厳格な正統派は昔からの儀式様式をすべて守る。
礼拝はヘブライ語で行なわれる。いかなる楽器演奏も許されず、合唱団には女性の声は
除外される。
男は頭をおおいかくして祈る。
帽子がない場合は、会堂がヤームルカと呼ばれる小さなツバ無し帽子を貸してくれる。
首にはタリスという白い祈り用ショールをまとう。
旧式な会堂ではくるぶしのあたりまでとどくほどのタリスを用い、近代的会堂では腰の
あたりまでのものを使う。


 礼拝自体は、主として先唱者に導かれた信者の合唱――こちらのほうが声が高いことが多
い――が重要な特徴である。
礼拝が進むとモーゼ五書の巻物が約櫃から出されて前方にもっていかれる。
モーゼ五書は礼拝中に用いられる最も神聖なもので(聖人の遺物のように驚異的なもの
ではないが)、その絹の袋は金銀の房で飾られているものが多い。
モーゼ五書が開かれると、その日の節を読む会衆が指名される――シュテットルでは学
識と高潔さに与えられる一つの名誉であった。
礼拝が終わりに近づくと、ラビが会衆の年齢に応じてヘブライ語イディッシュ語、英
語などで説教を行なう。
それから礼拝によっては、カディッシュ――死者のための祈り――が会衆の中で喪に服
している人々によって読みあげられる。
長さや熱意は異なっても、だいたいこのような礼拝が毎日、金曜の夜、安息日である土
曜の朝そしてほとんどの宗教祭日に行なわれる。


 正統派ユダヤ教徒にとって礼拝の方法と趣きは重大事である。
幼い頃から長い間この正統派スタイルになじむと、死ぬまでそれが血の中に流れること
になる。
私は多くの正統派ユダヤ人と話を交わしてきたが、彼らは改革派の聖堂では落ちつかず、
イライラすると告白している。
「私が慣れてきたユダヤ教とは違う」と言うのである。


 正統派礼拝の最も奇妙で矛盾した点は男と女がいっしょに座ってはならないという点
である。
事実、礼拝中は男の目にはいるような所に女がいることは許されない。
女はシュティブル――かつてローアー・イーストサイドで普及していた旧式な東欧系会堂
――では行なわれていることを運のいい者だけがのぞけるのぞき穴がいくつかついている
大きなカーテンで隔てられた後席にすわる。
大講堂のある近代的な建物では、女は前にいる男たちから見えないように手すりからずっ
と離れたバルコニーの席にすわるのを許される。
 シュテットルでの両性の分離は、女は従属的立場にあるという一般感情の表示にすぎな
かった。
しかし近代正統派ではこのことをそんなに多くの言葉で語る気にはなれず、両性分離着席
を正当化する方法を考えだした。
ヤング・イスラエルの幹部エフレイム・スターム・ラビはこんなふうに説明してくれた。
「祈りは己れの魂を求める手段です。個人的な行動です。妻の隣りでならできるかもしれ
ませんが、他人の奥さんのそばでできますか? 気もそぞろになってしまいます。よその
奥さんがそばにいる精神分析医の診察台で心を開くことができますか? グループ療法は
宗教の場合はなんの役にも立ちません」


 正統派ユダヤ教徒にこうした理由づけが必要なのは、別席という慣習に対してある程度の不
安を感じているからにほかならない。
事実、多くの正統派会堂、特にニューヨーク以外の会堂では別席は行なわれていない。
ラビはやろうとするが、平信徒の抵抗が大きくなるばかりである。


 改革派聖堂(保守派の会堂が時として聖堂と呼ばれるように、改革派も会堂と呼ぶこともあ
る)では、女は男といっしょに階下にすわり、見たり見られたりし、夫以外の男の祈りの気を
散らしてもいる。
だが礼拝形式は正統派と大差ない。
ヘブライ語はずっと少ない。
なかには聖なる祈りとカディッシュだけに限定している聖堂もあれば、ラビがかなりの量のヘ
ブライ語を読むが、会衆は英語だけで応答するというのもある。
歌の伴奏のための楽器を使うことも、コーラスに女声が入るのも許される――時には異教徒の
女声も混じることさえある。
男は祈りの間に帽子やタリスをまとう必要もなく、モーゼ五書を読みあげる男を呼びあげる慣
例もないこともあるし、女性が参加するという冒涜行為さえ行なわれることもある。
礼拝を司るのはラビで、先唱者は単なる形式的なものになった。
毎日の礼拝は行なわれない。
しかしモーゼ五書を約櫃から出して読みあげることは正統派と同様改革派の礼拝でも精髄とな
っている。


 自由と個人の判断に重きを置く改革派の哲学のために各聖堂によってさまざまのバリエーシ
ョンが生まれる。
ラビでもタリスをまとい、ヤームルカをかぶり、正統派ラピのように見える者もいれば、プロ
テスタントの牧師まがいの黒スーツと白蝶ネクタイといった者もいる。
聖堂でも日曜学校の15歳児のための堅信式は行なうが、13歳の男子が会衆の前にひとりで
立ってモーゼ五書をヘブライ語で読みあげて大人の仲間入りをするバー・ミツバという伝統的
な儀式は絶対に行なわないという聖堂もある。
しかし、いまでは改革派のほとんどの聖堂が簡略化したバー・ミツバの儀式を行なう。


 北部では「急進改革派」と呼ばれて疑いもしくは敬意をもって迎えられている派は、南部で
は神聖視されている。
ラビの「それでは祈りを……」の声に頭をたれてプロテスタント教会での礼拝者のような祈り
のポーズをつくる南部中年婦人……というのが典型的な姿である。
彼女にとってヘブライ語は不快で先唱者がうたいあげる声を聞くと聖堂からとびだす……それ
でも彼女の敬虔さは強烈で礼拝を欠かさない。


 すべての改革派の礼拝に共通する点が一つだけある――アメリカ風の礼儀正しさと威厳に満
ちていることである。
「異国的」なところはない。
これこそ成功した東欧系移民が最もひきつけられる点だったのである。
正統派の会堂はほこりっぽく薄汚れておりアメリカ的でないように見えた。
「あれは妻子をつれて行きたくなるような場所ではない」とある男が言った。
妻子だけではない。
実業家の多くが異教徒の同僚を娘の結婚式に躊躇なく招待できるように改革派へ転んでいった。


 正統派の改革派批判の大半はこの「非ユダヤ的な」行儀作法に向けられている。
この10年間に改革派は急進的でなくなった。
男に帽子をとることを強要し、それを拒否すると案内人が連れ出すといったサンフランシスコ
の聖堂のような時代錯誤はなくなった。
いまではあまりに改革的になりすぎてユダヤ教祭日をなくしてしまったという聖堂に関するジ
ョークに笑いころげる改革派指導者もいない。


 保守派の会堂礼拝は中間的である。改革派ユダヤ人よりも遅くに財をなした保守派ユダヤ
人は、アメリカ風の礼儀作法と威厳に対する共通の願望を持っていた。


 しかし同時に昔ながらの儀式にも郷愁を感じてもいた。
そこで保守派の礼拝は、正統派よりは少なく、改革派よりも多くヘブライ語で行なわれる。
モーゼ五書を読みあげるために男たち(時には女)が指名され、先唱者は礼拝を司るのでは
なく進行係助手のように振舞い、オルガンと女声の柔らかい調べがコーフスの歌声と入り混
じったり混じらなかったりする。
男たちは集会では、タリスとヤームルカをつけることを要求される。
ラビは彼らの傍にはいないだろうが、礼拝の度数も多く、毎日のように行なわれる。


 礼拝中の男女は隔離されない。保守派の人気はアメリカ風行儀作法への欲求よりもこのこ
とで保たれていると言ったほうがいいだろう。
移民女性はアメリカでは夫と平等であるということを発見した。
そのため会堂での不平等には抵抗を示している。
多くの場合、このこと以外は正統派のありとあらゆることを喜んで固守しようとする女性信
徒は、融通性に富んだ正統派会堂のない所では、たいてい夫や家族を保守派のほうに転向さ
せてしまう。


保守派が女性に示した主な譲歩はバー・ミツバの儀式である。
これはバー・ミツバ(もちろん保守派の男児はすべてバー・ミツバである)と相通ずるが、13
歳の女児によって行なわれる儀式である。
その論理ははっきりしない。
男児が成人男子の仲間入りするように、成人女子の仲間入りを許されるというのか? 
たしかに論理的なものはないが、正統派の女性拒否、改革派のバー・ミツバ拒否に対する保守派
独特の調整策ではある。
一般信徒の間でこの儀式はよく行なわれるが、壮観とはいえない。
娘にはバー・ミツバをさせないという婦人が理由を説明してくれた。
「息子のバー・ミツバの時には盛大なパーティを開くつもりです。娘の場合は結婚式の日に盛大
なパーティを開いてやるつもりです。娘だけがパ−ティ2回というのは不公平ですもの」


>>明日に、つづく




   ☆


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