創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(705)クロード・ホプキンズ『科学的広告法』こだわり(5)


坂本 登さん訳『科学的広告法』(1966.10.05 誠文堂新光社)より


リサーチマンだけあり、ホプキンズのレスポンス調査の直接性を高く買っている。
業界内での系列とか、利潤抜きで再刊話をすすめた理由でも、そこにあったのであろう。
美談に近い。



ホプキンズと広告リサーチ


クロード・ホプキンズは、通信販売広告という比較的狭い領域の広告を測定し、
これを広告全般に適用した。
彼は広告の効果を測定するのに、売上げ(sales)という厳密な尺度を測定基準に
したが、彼がテストを行なった分野に関する限り、その測定は絶対的な有効性を発
揮した。
元来、広告と売上げとの関係は明確にとらえることができないので、今日のコピー
・リサーチでは、広告が持つ販売力(sales power)とは違うもの、つまり広告
の商品を売る力とは無関係とみなされる、あるものを測定して満足している。

言葉を換えていえば、どれだけの、どんな人びとがそのメッセージを見たか、聞いた
かという認知度の測定、またどれだけの、どんな人びとがメッセージの内容を全部、
または一部再現することができるか、どんな人びとがメッセージまたはそれを運ぶ体
制を好み、あるいはきらうのか、メッセージそのものとその扱い方、理解度、信頼度
などに関する消費者の意見は何か……といった面の調査だけに限定しているのである。

このようにコピーの効果を売上げ面から評価するという厳密な原則を犠牲にしながら
も、今日のリサーチはあらゆる種類の広告調査で効果をあげている。

このことからわれわれは、クロード・ホプキンズのリサーチと今日のリサーチとの間に、
次のような関係を引き出すことができるだろう。


(1)クロード・ホプキソズは一業種(通信販売)のコピー効果測定を売上げへの反響
   という面からみごとにやってのけ、そこからあらゆる種類の広告にあてはまる事
   実を法則化した。
(2)今日のリサーチはホプキンズより劣った評価方法をとりながら、それをあらゆる
   種類の広告に適用させて成功している。


ホプキンズは、ときおり法則化(generalization)に弱点をみせたが、今日のリサーチは
測定に弱点を持つ傾向がある。
両者の欠点を比較してみると、ホプキンズのやり方に歩があることは否めないのである。


コピー 対 製品


広告の専門家もリサーチの専門家も、仕事をやっていく上の方針として、すくなくとも一貫した
自分の広告理論を持つことが大切である。
ところがこの一貫した広告理論には、コピーヘの反応とそのコピーが描写する製品への反応とが
混淆することから、大きな障害が生まれるのである。
この点を理解しやすく説明するのには、一つのアナロジーを利用するのが一番だろう。


まず前提として、ここに一つの大きな部屋があり、その部屋には美しい戸外の景色が見渡せる大き
な窓が一つあると仮定する。
さらに、この部屋の壁には三つの鏡がかけてあって、部屋の一隅に立つと、これら三つの鏡を通し
て戸外の景色がそれぞれ望見できると仮定する。

そこで問題は、この三つの鏡のうち、戸外の景色をながめるのにはどの鏡が一番効果的か、という
ことになる。
第一の鏡はデコボコが多く、うすよごれている。
第二の鏡はデコボコもなく、きれいだが、周囲にりっぱな彫刻の飾り粋がはめてある。
第三の鏡はデコボコもよごれもなく、またなんの飾りもない平凡な鏡である。


さて、この部屋へは初めてという第三者を招じ入れ、第一の鏡を指して「何か見えますか」と質問して
みると、その人は「ひどい鏡ですね」と答えるだろう。
次に第二の鏡を指し、同じような質問を試みると、こんどは「これはきれいな鏡ですね」と答えるだろ
う。
最後に第三の鏡を指して同じ質問をしてみると、「きれいな景色が見えますね」と答えるだろう。


このアナロジーでは、第三の鏡が一番効果的な答を得たことになる。
この鏡はあまりにもありきたりの鏡だが、戸外の風景を美しく写し出していたために、これを見た人は鏡
の存在を全く忘れて、美しい戸外の景色に見惚れたのである。


これを広告にたとえるならば、第三の鏡は最も効果的な掲載場所を得、風景は広告が読者に示そうとしてい
る商品に取って代わったことになる。

最も効果的な広告というものは製品を見込客に見させ、その真価を認めさせるものである。それは感情的・
論理的なチャネルを通じて製品に対する興味を喚起させはするが、広告の出来ばえに興味を覚えさせはしない。


この点、広告を制作する者にとっては、いくら努力してもその真価が認められないから、ありがたくないかもしれない。


仮に、ある製品の雑誌広告一つを取り上げてみた場合、もしその広告が製品と直接関係のある話題を中心としたヘッドラインを持っていたときは最も効果があがるはずである。


しかもその製品を説明したボディー・コピーは簡潔素朴な言葉とイラストで、製品の使用法を教えている。


こういうシンプルな広告を見ると、この程度のものならだれにでも作れると広告主は思いがちである。


それだけに、一見シシプルで素朴に思える広告でも、専門家の力を借りなければできないくらい安直なものではないのだということを実証するには、並ならぬ努力がいる。


このような条件は、目に見えぬ効用を売る職業をむしばむ病源菌の温床から、はっきりと一線を画してくれる。
シンプルな広告をわざと避けて自らの文才をひけらかそうとするコピーライターや、ヘッドラインをひねって広告のここかしこにコマーシャル・アート的要素や意味のない飾りを入れるレイアウト・マンは、そのような広告がだれにでも作れるものではないことを簡単に証明することができよう。
しかし、それによって自分の職業を擁護しようとするプロは、慎重な計画のもとではほとんど動きがとれなくな
るものだ。


たいていの場合、こういう人たちは効果的な広告を作る本当の道具は特異性、才気、器用さ、意表をついたアプローチなのだと信じて疑わない。


こうした思い違いをいつまでも捨てきれないから、サービスの対価を支払う広告主のいいなりになったり、妥協したりするのである。
広告主のいいなりになっているとシンプルな広告に飽きがきて、とどのつまりは作品から生気を失ってしまう。
広告主にしても、自分の主観を消費者の世界に投入してこれを客観化させようとするとき、消費者は単純なメッセージに飽きているのだという誤った結論に導かれやすいのである。


もっと具体的にいうと、この知性なき結論は、�自分が刺激を感じないから大衆も刺激を感じないだろうというものと、逆に、�自分が刺激を覚えたから一般大衆もそうだろうといったものである。





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