創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[30分間の道草]バーンバックさんとDDB(まとめ 上)


つい最近、ひょっこりと、資料がでてきました。
アメリカの広告デザイン専門誌[Communication Arts (略称CA)]1971年新年号
のDDB特集の巻頭を飾った、コイン編集長がバーンバックさんをインタヴューした
記事の翻訳の抜刷りです。
当時の『ブレーン』誌の坂本編集長が、DDBに詳しいぼくに校閲を頼まれたもの
のようです。はっきりとは記憶していませんが。
内容がすばらしいので手直しと[註]や参考記事や写真・TV-CM、図版などを補
い、いまの若いクリエイターの人たちにも理解しやすい形にしました。




■広告の経験がなかったから---


Q:あなたの経歴についてある時点からしか知らないのです。
あなたは最初からグレイ広告代理店の副社長(Vice President)では
なかったと推測しているのですが・・・・


バーンバッグ そのとおりです。
 (註)アメリカの広告代理店のVice Presidentという肩書きは、〔上級社員〕とか〔幹部社員〕といったほどの意味で、
   かつての電通の〔副部長〕の肩書きに近い。
   40年前、DDBニューヨーク本社員1500人のとき、Vice Presidentは130人ほどいた。 


Q:では、どのような経緯で広告界にはいられたのですか?


バーンバッグ 私はもともとライターだったのです。
アートのほうにも興味を持っていました。
かなり多くの有名政治家のゴースト・ライターをしたこともあります。
長年グローバー・ウィーラン(Grover Whalen)の演説原稿を書いていたものです。
彼は当時ニューヨーク世界博---1939年開催の古いほうのです---の
代表を勤めておりました。
私はその事務局で働き、最後は文芸部長になりました。
もっともこの文芸部のことを仲間内では調査部といっていましたが,
われわれはそこで新聞・雑誌向けの記事、スピーチ原稿、書籍原稿,
ブリタニカ百料事典のための博覧会の歴史についての原稿などを書
いておりました。


この世界博が終わってから、私はウェイントローブ(Weintraub)
という代理店に飛込みで職を捜しに行きました。
広告界の経験はなかったのですが、今度は人物ではなく商品のゴー
スト・ライターをやるのもよかろうと思ったわけです。
金にもなるだろうし、面白いだろうと思ったのです。
ちょうど職が空いており、私は直ちに同僚と競争で、あるコピーを
書かされるハメになりました。
社長のウェイントローブ氏は、私のコピーを選んでくれました。
かくして私は広告界入りしたわけです。
当時の私の利点は、同僚たちより広告という仕事についての知識が
なかったことだろうと思ってます。


サーバーがロスについていった言葉をご存じですか?
「彼の精神は教養によって歪められていなかった」というのです。
私も当時は歪んだ精神の持主ではなく、それでいてアートとコピーに
ついては、ある程度の技術を持っていたわけです。
これがその後、私が前例のないようなコピーとアートの統合技術を生
み出すうえでの基礎になったと思います。
ご存じのように、物事には昔から定まった方法があります。
広告でいえば、まずコピーライターにヘッドラインとボデー・コピーを
書かせ、それをアートディレクターに回してレイアウトさせるという
定石があります。
しかし私はアイデアこそ最も重要なものだと感じておりました。
本当にすぐれたライターやアーチストは、アイデアに生命を与えるため
に自分の技術を駆使するものです。


Q:すると、あなたは、その当時から現在のDDBの経営哲学を考えて
いたわけですか?


バーンバッグ ええ、そうです。
私は初めからそのように考えていましたね。


:ポール・ランド氏も当時ウェイントローブ社にいたのですか?


バーンバッグ そうです。ポール・ランドと私は大の親友でした。
彼と私の2人は、当時有名だったデュボネット・キャンペーン、エアウィ
ック・キャンペーンなど、いろいろなキャンペーンを担当しました。
2人で昼食時間をさいて、美術コレクションを見に画廊に通ったもので
す。もしポールがグラフィックの本を出すようなことがあったら私もそ
の手伝いをしたかもしれません。
そんなわけで、2人はお互いの技術を十分に生かすことができました。
当時私が考え、今もそのように考えていることは・・・・すぐれたアートディ
レクターとコピーライターががっちり手を組んで仕事をすれば、その結果
として生まれるアイデアが生きてくるから、だれがコピーを書いたのか、
だれがアートをやったか区別がつかなくなるものだ、ということです。
これは重要なことです。まずいアイデアをいくらうまく細工してみても、
なんの効果もありません。
唯一の解決策はすぐれたクリエイテブなアイデアを考えだすことです。


Q:といっても簡単なことではありませんね?


バーンバッグ 簡単にはいきません。


■広告に求めるべきものは、何よりインパク


Q:クリエイティブというのはクリエイティブな広告マンといった意味なので
すか?


バーンバック クリエイティブな人間、新鮮なアイデアを生み出す、と
いった意味です。


Q:そうすると、広告界にかぎらないのですね?


バーンバック そうです。靴屋にも画家にも当てはまります。
クリエイティブであるためには、ライターや画家でなければならないと
いう議論は、私には理解できません。
私がこれまでつき合ったマーケティング・マンや会社幹部で、アート
ディレクターやコピーライターよりはるかにクリエイティブな人が
います。
こういう人は、目標を達成し、確かなインパクトを生むために新鮮な、
新しい方法を考え出すのが上手ですね。
広告にかぎっていえば、広告効果は、広告が生み出すインパクトによ
って測定することができます。
インパクトというのは、アイデアがいかに新鮮で独創的であるかとい
うことについての直接的な結果をいいますが、これはわれわれが、今
まで見たことも聞いたこともないことには強い反応を示すことを考え
れば、よくおわかり願えると思います。
今まで見たり聞いたりしたことに、われわれはそれほど強い反応は示
さないものです。


もっとも、新鮮なアイデアであっても、的外れで、なんの役に立たな
いものもあります。



■声高に叫べば[ハード・セル]?


Q:最近[ハード・セル]広告に戻ろうということが盛んにいわれて
おりますが。


バーンバック 最近、私は、どうも70年代は広告界にとってきび
しい時代になりそうだから、その点についてANA(Association of
National Advertisers 全米広告主協会)総会で講演してくれと頼ま
れました。
これから困難になるという理由は、広告界にとってどうも望ましく
ないコンシューマリズムや不景気にあるのですが、これによって広
告主側は恐慌をきたすかもしれません。


その結果の一つは、広告主はコンシューマリズムの攻撃を恐れて、
率直で、俗受けのする広告表現を使うだろうということです。
もう一つ広告主が意識していることは[ハード・セル] ということで
す。
しかし、残念なことは、[ハード・セル]というのは実際に[ハード・
セル]するというより、一つのスタイルであると多くの人に受け取ら
れていることです。
[ハード・セル]とは声高に叫ぶことと思われています。


Q:あなたの広告哲学は、この種の[ハード・セル]ではないようで
すが、あなたはこれまでいつも[ハード・セル]してきたわけですね。


バーンバック じつは私もそれがいいたかったのです。
DDBは、クリエイティブな考え方をする前に、まず健全な前提を持
つべきだと思っています。
いや、絶対に健全な前提を持つべきです。
そうでなければ、たいして重要でないことを人に覚えさせてることに
なってしまう。
しかし、いったん健全な前提が得られたら、なんとしてでもそれを人
に覚えさせることです。
DDBを始めたころ、私はこういったものです--- 「ひとかどの広告
マンなら、自分が担当する商品についていえる何か重要なことを捜し
求める。
しかし、それが見つかったからといって仕事は終わらない。ここから
仕事が始まるのだ。
ビジネスの観点から見て、きわめて神聖なものが見つかったのだから、
それを人びとの心の中にきざみ込まねばならない」
このような意味でのクリエイティビティは、きわめて実用的なもので
す。
そこであなたにいいたいのですが、これからの10年間に、このよう
なクリエイティビティの重要性が過小評価されることはないでしょう。
われわれが健全であるかぎり、その重要性は増すでしょう。
なぜなら、みんなが恐慌状態に陥って同じような表現を使い、人を
退屈させるようになるだろうからです。
クリエイティブ、それも知的にクリエイティブでいられる少数の人た
ちは、今以上に注目されるでしょう。


補足】 このころ(1969〜1972)[ハード・セル][ソフト・セル]論がマジソン街を走りまわっていた。
ことのおこりは、DDBでクリエイティブの花を咲かせた2人のコピーライターが高給で某社へ引き抜かれ、そのあげくに自分たちの広告代理店を開いた。
メリー・ウェルズ夫人とディク・リッチ氏である。

もう一人---スチュー・グリーン氏がくわわった。
ウェルズ・リッチ・グリーン(WRG)広告代理店である。

で、自分たちに注目させるために、あろうことか、古巣のDDBのこ
とを「DDB流の[ソフト・セル]の時代は終った。
これからは[ハード・セル]の時代よ」とぶった。


当時の流行で、野心的(?)的なクリエイターたちがブティックと呼ば
れる自分たちの広告代理店を設立していたが、DDB育ちのクリエイタ
ーの創立パーティにはかならず出席し、激励のメッセージを話していた
温和なバーンバックさんも、メリーたちの言いがかりは、さすがに腹に
すえかねたか、パーティは無視、反論がこのインタヴューである。


『メリー・ウェルズ物語』(日本経済新聞社 1972年刊) () 
DDBが選んだDDB --- 【DDB紹介[終末宣言]】(3)クリック
コピーライターの歴史』 ←クリック


■売り上げをふやすことが[ハード・セル]


Q:ある種の雑誌ばかりでなく広告界の有力者の中にも、いわゆる
[ハード・セル]が現時点における妥当なアプローチだといってい
る人がいますが?




バーンバッグ あなたのいう[ハード・セル]が売上げをふやすとい
う意味でしたら、別に異論はありません。
私は、よりハードに売ろうという点では、だれにも負けません。
それが私の仕事ですから。
しかし、あなたのいう[ハード・セル]が、例の大げさなだけの広告
の意味でしたら、”それは金の浪費だ”といわざるを得ません。
私たちが掲載した私自身についての広告を見られたと思いますが、
あれを出した理由は、私がかつて”クローズ・アップをやっている”
といいましたら、人は”あなたのところはクローズ・アップをやって
いるのですか”といったことがあるからです。
これではたまりませんよ。
"あなたのところはハインツ(Heinz Ketchup)をやっているのですか
"とかあなたのところはサラ・リー(Sara Lee)をやっているのですか”
といってもらいたい。
私たちの会社はパッケージ商品専門の代理店としては知られていま
せんが、これだけの記録を持つ代理店はそれほどはない思っています。
私たちより売ろうという気のある代理店はありません。
ハインツ・ケチャップのハード・セルを例にとって説明しましょう。
私たちは実際にテストをしてみて、ハインツ・ケチャップがどの競合
商品よりも濃く、風味が豊かであることを発見しました。
これを大見出しで"ハインツ・ケチャップはどのケチャップよりも濃
くて風味が豊かです" といったらどうでしょう。
これこそ"ハード・セル=スタイル"です。
このヘッドが私たちが実際に使ったケチャップ遅出し競争のへッド
と同じぐらいに記憶されたと思いますか。
私たちのヘッドは、いっていることは同じですが、ハインツ・ケチャ
ップの利点を記憶しやすいように工夫してあるのです。
ハインツ・ケチャップが、ビンから出にくいことはだれでも知ってい
ます。
当然、これは不利な点です。
これに腹を立てる人がいるからです。
私たちはそこで、この弱点を採り上げて、消費者に"これはハインツ・
ケチャップがどのケチャップよりもすぐれているからそうなのだ" と
思わせるようにしたのです。
私たちはハインツ・ケチャップの濃さと風味の豊かさを採り上げ、それ
を消費者にクリエイティブな方法で記憶させるのです。
"どのケチャップよりも濃く、風味豊かです"とはいいません。
私たちはいつもハード・セルでやってきたのです。いつも。


注いでから、3分39秒で、他のケチャップからは水が出てきました。

子どもはケチャップが大好き。子どもたちによる指名買いも多いとおもう。決闘


YouTube



(アナウンス)西部でも、東部でも、南部でも、北部でも、最ものろまなケチャップです。


かつて、『タイム』誌の記者が電話で私にこういってきたことがありま
す。
「このごろは不景気ですが、あなたのところも、[ハード・セル]で行く
のですか?」
それで私はいいました。
「冗談でしょう。それとも、私のところは今まで[ハード・セル]でなか
ったというのかい!!」
この若い記者に腹が立ってきたので、私はいってやりました。
「私たちが今までやってきたすべての広告はいつもハード・セルのつもり
だった。 どれもが成功したとはいえないが、目標はみな同じさ。
つまり、商品の利点を記憶してもらうということだ。これをやらない代
理店は、お払い箱にすべきだよ」
そしてこうつけ加えてやりました。
「しかし、これは記事にできないだろう。お宅の記事のタイトルが
《ハード・タイムス、ハード・セル》ではね!!」
結果、その記者は私の発言を記事にしませんでした。
こんなことをいう人もいるでしょう、「さあ大変だ。景気が悪くなった
から、クライアントに会ったらわれわれは[ハード・セル派]ですとい
おう」
この種のプレゼンテーションは、ごまかしというほかないですな。


■DDB創立の秘話


:ところで、このインタビューの準備のために下調べをしてわか
ったのですが、あなたがDDBを設立した時に、デーン氏はすでに、
広告代理店を持っていらしたのですね?


バーンバック ええ、彼は小さな代理店を持っていました。私たちは
ある理由で彼と一緒になったのですが、その他の理由から見ると、き
わめて偶然にこうなったのですね。
ある理由とは、会社創立のもろもろの手続きをするよりも、彼が代理
店を持っているのだからこれで行こうということだったのです。
ドイル(Ned Doyle)は、デーン(Maxwell Dane)を知っていました。
2人は、前々に一緒に仕事をしたことがあったのですが、ドイルは私に、
「彼はいいやつだよ」といいました。
たしかにデーンはいいやつでした。
私たちは、いつも歩調を合わせてきました。
私たちの会社は、派閥らしきものが全くない、ごく少数の会社の一つ
だと思います。
愉快な会社です。
おかしな会社でもありますが、全体的に見れば愉快な、よく働く会社
です。


DDBの設立を伝えたニューヨーク・タイムスのコラム


新代理店の幹部


1949年6月1日、マジソン街350に新代理店、ドイル・デーン・
バーンバック社が設立された。
新代理店の役員は、社長がウィリアム・バーンバック(左)、
エグゼクティブ副社長がネッド・ドイル(中央)、副社長兼
ゼネラル・マネジャーがマックスウェル・デーン(右)である。
バーンバックとドイルはグレイ広告代理店の副社長、デーンは
過去5年間自分の代理店の社長であった。


創立して初めてのクリスマス・パーティーで、私はこう演説しました。
「DDBで働く者には2つの必要条件がある。
1つは人柄がよいこと。
もう1つは才能が豊かであること。
人柄はよいが才能のない人には、かわいそうだが、この世界ではその
ような人はだめだ。
また、いくら才能があっても、人品のいやしい人間は、当社は必要と
しない。
人生は短い。
わが社は以上のことをわきまえている人を採用しようと努めてきたが、
その結果はきわめて良好であった」


以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサのatsushi さんのご助力をいただいています。


ネッド・ドイル氏とのインタビュー
DDBのやり方を語る

マックスウェル・デーンとのインタビュー
DDBの歴史を語る


■社名がDDBとなったのは・・・・・・


:全く良好な結果ですね。
ところで、ドイル・デーン・バーンバックという社名の頭文字の順序は、
どうやって決めたのですか?--


バーンバック 語呂がよかったからです、それだけです。
バーンバック・ドイル・デーンとしてみてごらんなさい。
語呂がよくありません。


:ドイル・デーン・バーンバックと発音しなれているせいじゃありませ
んか?


バーンバッグ いや、発音がよいからです。
音節の具合いですよ。単音節が2ヶ続いて2音節で終わるからです。


:コインを投げて決めたのかと思っていましたが---。


バーンバッグ いやいや、違います。コインを投げて決めたことも、
いろいろとありましたが、この件は発音のよさがキメ手になりました。
重要な問題には、コインを投げて決めねばならなかったことは一度も
ありませんでした。
いつでも決議は満場一致でやってきました。
これはすばらしいことです。


:ちょっと信じられないことですね。


バーンバッグ そうでしょう。
こんなラッキーなことはそうないと思います。
私はクライアントによくこういったものです----「DDBをお使いに
なれば幸運が回ってきますよ。わが社はつきを持っている代理店ですから」



■優秀なクリエイターたちがやってきてくれた


:すぐれたクリエイティブ・マンが、あなたのところに集まったようですね。


バーンバック 創立当時は、ボブ・ゲイジ(Bob Gage 左)、フィリス・ロビンソン(Phyllis Robinson 右)と私の3人だけでした。


この3人でクリエイティブ・チームを組んだわけです。
会社が成長するにつれて、優秀な連中がはいってきました。


へルムート・クローン(Helmut Krone 左)。
ビル・トウビン(Bill Taubin 右)など、そうそうたるメンバーがそ
ろったわけです。
彼らは、自分から私たちのところにやってきたのです。
そんなわけで、人を捜す必要はなかったのです。
私たちがやったオーバックス(Orbach's)の広告、リビィ(Levy)パンの
広告を見て、みんな私たちのところにきたくなったのです。
私がほしいと思った人がきてくれた、 ということです。さいわい仕事も
順調に行き、彼らも満足して、すべてうまく行きました。


以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサのatsushi さんのご助力をいただいたいます。


補足】オーバックス(Orbach's)の広告作品クリック
リビィ・パン(Levy's Real Jewish Rye)の広告作品]←クリック


クリエイターズ・インタビュー


 ボブ・ゲイジ
 「私は、広告が好きだ」←クリック
 
 
 フィリス・ロビンソン
 「バーンバックさんにひかれてグレイに入った」←クリック
 「世界中の女性コピーライターへ」←クリック


 thank you, phyllis robinson (DDB Blog 2011.1.11)

 
 
 ゲイジ、ロビンソンさん、25周年を語る
 DDB News』1974年6月号 25周年特集号より
 
 
 ヘルムート・クローン
 「レイアウトを語る」←クリック
 
 
 ビル・トウビン
 「あまりにも無秩序な」←クリック



■A/Dに”何をいうか”を教えた


:バート・スタインハウザー(写真)が、かつて私に「バーンバックは、ライターだったが、私はあの人からアートディレクターの仕事を学んだ」といったことがあります。


バーンバック 彼がなぜそう思っているか説明しましょう。
ボブ・ゲイジが初めて私のところにきた時、彼にもそれをしてや
ったのです。
ボブが別の代理店にいた時に、私はボブを採用しました。
そして、私は彼にグラフィックの場合でも、何をいうのかを念頭
において考えるように教え込みました。
何をいうかが決まればグラフィックでもコピーでも、うまくい
えるものです。
バートの部屋は、ボブ・ゲイジの部屋の階段下の隣にありました。
私は初めのころ、ボブと一緒にオーバックスの仕事をやっていま
したが、ボブの部屋を出ると、バートの部屋に必ず立ち寄ったも
のです。
私は必ずそうしたものです。
彼が伸びたのには、こんないきさつがあったのです---
彼の部屋に寄るたびに私は、スタッフの1人と30分から1時間、
コピーやアート、広告の真髄について話し合いました。
そしてお互いににせものになるまいと話し合ったものです。
広告主が商品を売ってもらうためにわれわれに金を払う以上、そ
の商品が売れなければ、われわれはにせものなのだ。
われわれの仕事は売ることだ。
それがいやならこの世界にいるべきではない。
しかし、われわれがまじめな人間ならば、われわれはその商品を
消費者に記憶させることに専心すべきだ。
自分が優秀なデザイナーだということを覚えてもらう必要はない。
私は、デザインの見本を描いてやる代わりに、彼らに、意味のあ
る内容を、簡潔に、まじめに表現するように指示したのです。
ですから、私は、デザインが学べる代理店だから、というので私
のところにきた青年たちは、やめてもらいました。
DDBは、デザインを教える代理店とはほど遠い存在です。
DDBは、時間をかけて、懸命にいうべきことを捜す代理店です。
そして私たちは、いう時には簡潔にいうことを好み、メッセージに
夾雑物がはいることを好みません。


■理解してくれる人が増えてきた


:DDBでつくられる広告の大部分がよく注目されるので、誤解
されやすいのですね?


バーンバッグ 誤解されています。
もっとも最近では私たちのことをよく理解してくれる人が増えてう
れしく思っていますが。
あなたがいわれたように、「私たちはハード・セル派です」
この"The New Advertising"という本を書いた人もそういっています。
この本を見ましたか。


:はい、読みました。


バーンバック わかってくれる人、広告がなんであるかを知っている
人は、私たちが何をしているかを理解しています。
DDBはハード・セル広告代理店です。
私たちは商品の利点がなんであるかをきわめてクリエイティブにいう
という意味で、なおのことハード・セル派なのです。
これほど割安な方法はありません。
人に利点を記憶させる方法は2つあります。
一つは100回もそれを繰り返し言い、最後はダメになる方法。
もう一つは10回同じインパクトで言い切り、その表現の新鮮さに
よって人々の記憶を永続させる方法です。



補足】"The New Advertising (これぞ新しい広告)"について ()()(In English)←クリック



■DDBアカウント・マンの資格


:DDBのように、クリエイティビティに専念し、また、そのため
に有名でもある代理店のアカウント・マンはどうなのですか?


バーンバック たいへん結構な質問です。
率直に申して、DDBのアカウント・マンは、ほかの代理店の場合より、
すぐれた手腕を要求されます。
DDBのクリエイティブ・マンは、自分の仕事が効果的であるためには、
それが健全な知識に基づいていなければならないと考えています。
そして、クリエイティブ・マンの仕事を効果的にするための事実、数字、
知識を供給するのがアカウント・マンというわけです。
そんなわけで、DDBのクリエイティブ・マンは、アカウント・マンにと
っていちばんこわい存在です。
クリエイテイブ・マンは、アカウント・マンをいじめぬきます。
クリエイティブ・マンは、あらゆる情報---- マーケティングの状況はど
うか、競合会社の状況はどうか、消費者の状況はどうか----を要求しま
す。私は、アカウント・マンにいうのです。「後生だから、君はクリエイ
ティブの細かい点には気を使ってくれるな。君が気を使うべきことは方
向づけということだ、君が気を使うべきことは、クライアントのことだ。
君は、クライアントにとってはうちの代表者なのだから、君がやるべき
仕事は多い。制作室に行ってコピーを変えたり、レイアウトを変えたり
してくれるな。
そんなことは君の専門外だ。
われわれには君の専門技術がないが、君にもわれわれの専門技術はない
のだ」
長年の経験を経て、今、DDBには若い優秀なアカウント・マン、新進
気鋭のマーケティング・マンがそろっています。
彼らは、クリエイティブの仕事がなんであるかをよくわきまえています。
一方、クリエイティブの連中もアカウント・マンたちの仕事をよくわき
まえています。
DDBのような代理店が創立時に直面した危険は、若い未熟なアカウン
ト・マンがいて、この種のアカウント・マンには、われわれが何をしてい
るのかよくわからないということでした。
こんなアカウント・マンが、クライアントのところに行って「これが私
たちの仕事です。どうぞよろしくお願いします」などというわけです。
ある若いアカウント・マンが社に帰って私にこういったのを覚えていま
す。「クライアントは、この作品に乗り気でなかったのですが、 うま
く口説いて売ってきました」
そこで私は「それを見せてくれ」といい、その作品を見ていってやり
ました。
「これはクライアントのほうが正しい」
自分が正しくなければ、強く売り込むことはできないはずです。
よい広告ができるなら、いくらよくしてもよいわけです。
結局のところ、私たちは広告の質によって利益を得るところ、
私たちは広告の質によって利益を得て繁栄するのです。
広告をつくったのは自分たちだといった、ちっぽけな自尊心に
よってではありません。


【chuukyuu註】アカウント・マンと訳しているが、"DDB NEWS" 1971年8月号で
ふえてきているアカウント・ウィメンの活躍ぶりをリポートしている。いずれ、当ブログ
に紹介する予定。下は、同号の表紙。



『創造と環境』より
アカウント部もDDBで働いている
クライアントと戦うアカウント部


■クリエイターの欲求を育てる


:今でもコピーを書いていますか?


バーンバック ボデー・コピーは、今は書いていません。
アプローチの仕方を見てやったり、ヘッドラインを書いたりはしてい
ます。
たとえば、今度のDDB自身についての広告のへッドは私が書きました。


しかし、私はだいぶ前に一つの教訓を学んでいます。
さきほど、私が昔バートの部屋に立ち寄った話をしましたね。
あのころ、バートのスタッフの中には、私が部屋にはいってくるのを
いやがる人もいたのです。
私がヘッドなどを手直しするからです。
それで私はだいぶ前からこれはやらないようにしています。
ただ質問だけして、あとはスタッフに任せることにしています。


:時によっては、それはむずかしいことでしょうね?


バーンバック 非常にむずかしいことです。
しかし、今、これだけたくさんのすぐれたクリエイターが広告界にいることを
思うと、結果的にはよかったでしょうね。
彼ら自身の欲求に敏感に反応してやったことがよかったのでしょう。
当然のことですがね。
人間とはそういうものですよ。
彼らの欲求を育ててやらねばなりません。
そうしているうちに、彼らが成長し、いい仕事をしてくれて利益になるのです。


補足DDBは、1949年6月1日、13人のメンバー、ただ1社のクライアントで
独立しました。
その1社のクライアントは、廉価衣料中心だったオーバックス百貨店です。
1949年の年末に加わったのが、破産寸前であったリビィ・パンでした。
この創業の年、正しくビジネスをしていないからとの理由で、断った依頼
主もあったということです。


バーンバックさんがヘッドラインを書いた自社広告というのは、きのうの
「これをやるか、さもなくば死」、あるいはこちらかも。



「私にすばらしいアイディアがある。
それは真実を告げることです」
N.M.オーバック


ドイル・デーン・バーンバックは22年前、最初のクライアントからこの助言をいただき、
現在も服膺しています。
それは夢のような利点をもった秘密兵器です。

まず第一に、うしろめたさがなくなります。
第二には、従ってラルフ・ネイダーも手が出ません。
第三には、生命をもっている製品なら、真実を告げることが最上の広告手段です。

無論、真実を告げることは必ずしも容易ではありません。
DDBが扱ったクライアント問題のいくつかは、容易そうに見えました。
それでも事実を告げるためには、多大の勇気を必要としました。
当社が現在広告をつくっている車を例にとりましょう。
この車は、当初から、デトロイトに馴れた目には、奇妙な小さな生きものに見えた
ようです。
実際、かぶと虫のように見えました。
そこで、かぶと虫と呼びました。
当社は車を売りました。
また私どもが「ナンバー2」と自称しているレンタ・カー会社。これもまことに
アメリカ的でした。
消費者に強く印象づけるには、たいてい、最大の---最高の---といった
形容詞を使わなければ不可と思われていました。
何かそういうものを---。
私どもは真実を告げることにチャンスを求めました。
当社は車を貸しました。
ローン利用の宣伝をしてはどうかと助言してくれた銀行家もいます。
しかし低利率ローンを宣伝する代わりに、当社は、1400語、2400行の広告を
つくり、ローンだと、払い切れなかったときにどんなことになるか、その不利な点を
はっきり書いたのです。
といっても、だれも読んでくれなければ三枚目のコピーでした。
ですよね?
しかし訴える力のあるコピーは読まれるものです。
これを読んでくれた人びとは、銀行ローンをおびやかしただけでなく、ウワサはウワサを呼び、
このコピーを求める人は10万人にも及びました。


情報も真実の言葉になります。
潜在的消費者に情報を提供することは、宣伝の第一歩といえるでしょう。
これは依然として最も重要な仕事にはいります。
信じてもらう、銘記してもらう、時には楽しんでもらう---これが大事です。
それゆえ、ドイル・デーン・バーンバックでは(この広告も含め)広告宣伝には大いに力を入れています。
広告は「ホット」でも「クール」でもなく、誠実一筋を旨としています。
頁の上では、ありのままの姿をごらんいただいています。
あなたの製品であり、広告なのです。
たいていの方は、宣伝・広告といえば一抹の疑惑の目をもって見るのがふつうですが、
それだけに真実を訴えるのはむずかしいといえるでしょう。
事実、広告は長い間にはイメージ・ダウンさえもたらしうるのです。
私どもも正直いいまして、楽園で商売しているとは夢々考えていません。
世間の目は抜けません。
だから真実を申すのです。


この22年間、当社はこの秘密兵器によって勝利に浴してきました。


"LIFE" 1971.11.19

■心すべきは、個性を“上手に”伸ばしてやること


:私は、DDBのかなり多数のスタッフから、あなたは非常に巧妙
に指導されたと聞かされていますが。


バーンバック 努力したのです。
彼らが自分自身で答えを見つけられるように指導しようと努めたのです。
私のところのスタッフが、バラエティに富んでいるのはそのためです。
私は、私自身の個性を彼らに押しつけないようにしてきましたから、私は彼ら
の個性を発見し、それを伸ばそうと努めただけです。
たとえば、あるスタッフの場合は、彼の個性がきわめて強烈なのがわかってい
たので、彼にとって自然な方向にリードするようにしました。
また、別のスタッフの場合は、軽妙なユーモアのセンスがあるのがわかったの
で、それを伸ばしてやりました。
ボブ・ゲイジはすばらしい人間です。
彼は暖かい人間です。
彼には人なつっこいところがあります。
ボブの仕事の特徴はそこにあります。
彼がポラロイドのすばらしいコマーシャルをつくっているのはそのためです。
感じでわかると思います。
彼は一瞬にして人の涙をさそうことができます。
本当にそうできるのです。
それがボブなのです。
先に触れた個性のきついスタッフに、ボブのようにしろといっても無理な話です。
逆に、ボブに強烈にやってみろといっても無理です。
ボブは、突き殺されそうになってもそのようにはなれないでしょう。


:適材を適所に配置するために、相当な努力をなされたわけですね?


バーンバック まあ、そういうことですね。
必ずしもそうではないのですが、どんなアカウントであれ、担当スタッフは、
そのアカウントを担当して、かつ自分にとって自然な方向に行かねばなりませ
んからね。
言葉を換えていえば、このアカウントはユーモアが必要だから、このアカウン
トはだれそれに任す、あるいは、強烈さの必要なアカウントだからだれそれに
任す、という必要はありません。
あるアカウントについては、どの方向に持って行くかということは、それほど
問題ではありません。
問題なのは、いかに上手にその方向に持って行くかということです。
ユーモアで成功することもあるし、叙述で成功することもあります。
力強さで成功することもあります。
成功する方法はいろいろあるわけです。


:ということは、どんな問題にも解決策はいろいろあるということですか?


バーンバック 広告を記憶させるための方法は、いくらでもあると思います。


このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサーの転法輪 篤さんのごのご助力をいただいています。