創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(526)ロビンソン夫人、尊敬について語る(英文つき)

フィリス・ロピンソン夫人尊敬について語る

   元DDBコピー・チーフ  フィリス・ロピンソン夫人


『DDBニュース』1968年7月号・表紙
左上のシミは粘着テープの跡


  ≪ニューヨーク広告ライターズ協会は、1961年からすぐれたコピーライターを『名誉の殿堂』入りに指名してきた。(肩書きは1968年当時

 1961年 レオ・バーネット(レオ・バーネット社会長 故人)
 1962年 ジョージ・グリビン(Y&R前会 故人)
 1963年 ダピッド・オグルピー(オグルビー&メイザー前会長 故人)
 1964年 ウィリアム・バーンバック(DDB会長 1981逝去)
 1965年 ロッサーリ・ープス(テッド・ベイツ社前会長 故人)
 1866年 ジュリアン・ケーニグ(RKL前会長)
 1967年 クロード・ホプキキンス(故人)
     バーニス・フィッギボン女史(故人)
 1968年 フィリス・ロビンソ夫人(2010.12 逝去)
 指名理由は、これまでに書いてきたコピーの今日的な説得力の強さと新人教育への貢献。


大切なのは、自由な雰囲気ともう一つ、尊敬


DDBが設立されてまだ日も浅かったころ、社外の人たちは、DDBの内部に強い関心を持っていました。
DDBがどうやっているかという点に……。
そこで、私たちは説明しました。
バーンバックさんも話しました。
繰り返し、繰り返し……。

そして、わかってもらいました。
それから何が起きたか? 
どの代理店も自社のコピーライターを自社のアートディレクターに紹介しました。
同じ屋根の下で仕事をしていながら、彼らはそれまでお互いに顔さえ知らなかったのです。
つまり、彼らの仕事のやり方はこうだったのです。
ライターは書き上げたコピーを、デパートなどでよく見かける気送管の中に放り込むだけ。
放り込まれた原稿は管の中を走って、「レイアウト」してもらうためにアートディレクターのところへ届けばよかったのです。
ですから、一つの代理店で働いている者同士を、改めて紹介する必要があったわけです。

こうして彼らは、組んで仕事をするようになり、自由が与えられました。
つくれ! 
行動せよ! 
創造せよ!
ルールを破れ!
……とも号令がかけられました。

それからどうなったと思います? 
多くの優秀な人々が殼を破って飛び出てきました。
中には、あんまり優秀とはいえない人もいましたけれど、とにかく、たくさんの人が飛び出てきま
した。
みんなが叫んだものです。
これだ! 
自由だ!
……って。

自由こそ、彼らが求めていたものだったのです。
でも、ご存じですか? 
自由は、回答の一部にすぎないってことを。

自由というのは、雰囲気のことです。
自由な雰囲気も広めなければなりませんが、もう一つ大切なことは……尊敬すること(というと、広告界の不遜なパイオニアの発言としては妙だ、とお感じになるのでしょうね)。

from YouTube

幕切れにアナウンス「人生には記録しておきたい瞬間がありますね」


尊敬の第一は、相手を一人の人間として、彼のアイデアや意見を尊敬することです。とくに、お互いの意見が全く食い違ってしまった時にも……(あなたと彼のアイデアが似ている時には簡単に尊敬し合えますが……。
そこで、その具体例ですが……


仕事する仲間とクライアントを尊敬しなければならない


ともに仕事をする相手を尊敬しなさい。
彼のアイデアが、たとえ相入れないものであったり、未完成のものであったり、試みにつくったものであったとしても……です。

たとえ彼の話しぶりに妙なナマリがあったり、彼のネクタイが気に入らなかったり、彼が大学卒じゃなかったり、髪が長すぎたり(短すぎても)、肌の色が違っていても。
 
彼の性癖や仕事の習慣を尊敬しなさい。
尊敬は、ともに働くライターとアートディレクターのすごく親密な状況をつくり出します。
時には、ほかの人々が意見を戦わせているのを耳にしながら、じっとすわり込んで静かに考えなければならないこともあるでしょう。
また、見当違いのおしゃべりの洪水の中を渡らなければならない時もあるでしょう。
でも、本当に自由な創造的雰囲気の中では、あなたは、相手がどんなに愚かしく見えても、めんどうくさくても、イライラしても、お互いの自由な関係を尊重し合いながら、深い尊敬を忘れてはなりません。
こういったつまらないおしゃべりや雑談から、すばらしいアイデアが生まれないともかぎらないのですから。
若い人や新人を尊敬しなさい。
この広告界というところは、賢い子供でも問題の主要点を把握する力があればの話ですが……その子に販売問題の主要点を把握する力があればの話ですが……自由さや機敏さを失った経験者には出せない明確な解答を、直観的に出すことだってできるところなのです。
年長者を尊敬しなければならないのは、もちろんのことです。
あなたは20年間もすばらしい広告をつくっていらっしゃったんですもの、時代遅れのパパなんかになりっこありませんもの。

上役を尊敬することも、前述の年長者を尊敬することの中に、当然含まれます。
たとえ、上役が年上じゃなかったとしても……(もっとはっきりいえば、ボスはだれでもオヤジさんみたいなものです。
ボスだって、自分はオヤジさん的存在だって思ってるんじやないかしら?)。
 
ですから、ここでいう尊敬とは、個人的な不満を訴えがちな人とか、しょっちゅうあなたを不愉快にするけれども仕事をして行くうえでの仲間と、自分はより豊富な知識を持っているとか、より物事を正しく見抜くなどという自信過剰家とを鋭く見分ける力のある人に対しても当てはまることなのです。

また、今、私が申しあげている尊敬とは、クライアントの意見に対しても、当てはまることです。
あなたが自分の代理店を誇りに思っているなら、そして、そのクライアントもあなたの代理店を選んだほど賢いのなら、クライアントは、決してバカであるハズがないのです。
あなたのものの考え方の弱さを指摘しただけクライアントのほうが頭がよかったか、あるいは神があなたの書いたものにクレームをつけただけの話なのです。


DDBが繁栄してきた秘密……オリジナリティーの混血


若者の怒れる声をも尊敬しなさい(彼らの全部の全部が、ソルボンヌやコロンビア出じゃないとわかっていても……です)。
あなたの代理店にいる若者たちが会社の体制を攻撃し始めたら……たとえ彼らが無遠慮で無鉄砲で、しかも彼らの非難の仕方が破壊的であったとしても……彼らをムリに押さえつけたり、警察に突き出そうとしても、なんの意味もありません。

彼らに耳を貸してあげてごらんなさい。
話し合ってごらんなさい。
彼らを受け入れ、コントロールし、彼らが本当に代理店を、あるいは代理店がつくっているものをこわそうとしていると思ったらクピにしなさい。
けれども何をおいても先に彼らに耳を貨してやることです。

今日、すべてのものがものすごいスピードで動いています。
広告も例外ではありません。
きのうの急進派は、きょうの保守派なのです。

新しい声を聞いてあげなさい。
なぜなら、野蛮で、横柄で、素朴であるにもかかわらず、きっと彼らは、何か重要なことをあなたに耳打ちしたいのですから。
彼らが打ち明けたら、そのとおりにしてごらんなさい。
健康な組織は、小さな震動ぐらいで傷つくものではありません。
もしそうでない組織であるなら、なおさら彼らの意見を聞く必要があるハズです。

あなたの仕事も尊敬しなさい。
自分の仕事をきらい、広告を軽蔑している広告ライターを、私は哀れに思います。
この業界で彼はいったい何をしているのでしょう? 
そんなことで、夜眠れるのでしょうか? 
日中、どうやって仕事をしているのでしょうか? 
自分自身にどういい聞かせているのでしょう? 
どうしてこの業界から出て行かないのでしょう?

この業界に矛盾を感じているのなら、なぜそれを改良しようと思わないのでしょう?
ただ儲かるというだけの理由でこの業界にしがみついている人が、そういう人の中にいるのではないかと思えてならないのです。

そういう人は、一生懸命に仕事をしていないか、あるいはそういった見方をされていたら、まともな見方に変えてもらうための努力をしていないか、です。

最も重要なのは、あなた自身を尊敬することです。
DDBスタイルだね、と人にいわれることを好んでマネするのは、お世辞を真に受けることだし、バカげたことです。
しかも、このバカらしさには、後味の悪さまで残ります。


どうして人のマネをするのですか? 
それは、一種のペテンです。
マネすることをどうこういっているのではありません。
ある人のスタイルやアイデアをマネすることで、その人がつくった広告の効果を減少させようとしいるのなら、競争社会でのゲームの一種ですから、それもいいでしょう。

しかし、それは結局、ある製品に対して新鮮なイメージを持っている消費者をペテンにかけていることになるのです。
向じ理由で、クライアントをもペテンにかけていることにもなります。
そして、自分自身をもね。

もちろん、私たちは、他人から学び、読んだこと、見たもの、聞いたことにいろいろと彫響されます。
しかし、自分自身を表現するための、自分の可能性を追求するための努力を怠ったライターは、自分自身をペテンにかけているといってもいいでしょう。

多くの人々が見落としているDDBのあるポイントは、私たちが小バーンバックや小ボブ
ゲイジや小フ″リスーロビンソソを再生産することを夢見てはいないということです(ボプ・ゲイジが最近これを指摘したと思いますが……)。

私たちが、そうすることを望まなかったのは事実です。

私たちがこれまでに繁栄した一つの理由は、DDBをスタートさせたぱかりのころに、デイプ・ライダー、ヘルムート・クローン、ポプ・レブンソン、ピル・トウピン、ロン・ローゼンフェルド……もっともっと名をあげられますが−−−といった貴重な新しい品種を導入したからです。

彼らが、クッキーのカナ型から出てきたような人問でなかったからこそ、DDBのクリエイティブ部門の人間といえるのです。

彼らの一人一人がオリジナルで、導入されたすべてが新しい品種で、そしてこういった品種の混血が、より新鮮で健全な創造的な産物を生み出し、代理店をより強力にしたのだということを信じてください。

私たちは、みんなオリジナルです、ほんとに。
重要なのは、この世に生きるものすべてがオリジナルであるということです。
似たものは、二つとありません。
遺伝子にしても、経験にしても、あるいはその経験の生かし方にしても。

要は、そういったユニークな源の芽を開いてやり、自由にしてやり、成長する場を与えてやることです。
 
言い換えれば、その人自身を尊敬しなさいということです。私たちは、劇場でもテレビ番組の中でも、一度成功したもののコピーのコピーを翌シーズンにも書けるよ5な臆病な態度を哀れに思います。

成功するということは、まず第一に、必ずしもよいものとはかぎりません。

話は変わりますが、私たちは、ショーよりもテレビ・コマーシャルのほうがどんなにいいか、私たち自身の幸運を喜ぶべきですね。
確かに、幾つかのものは尊敬に値します。
けれども、私たちの分野で、大きな顔をしている模倣屋をごらんなさい。リフィフィをマネたコマーシャル、ポギー&クライドを、ディスコ・テックをマネたコマーシャル、自分をバカ者にした女コメディアンたちのコマーシャルの結末はちゃんとわかっていますよね。
たぶん、1968年のコマーシャルには、サイケデリック・ハプニングとイタリアの伯爵が氾濫することでしょう、違いますか?

 
オーディエyスを尊敬することは、むろん、私たちの広告哲学では、基本的な教えです。
これは、DDBのものであるだけではありません。
ダヴィド・オダルピーは数年前にこのことをとても巧みにいってのけました。
すなわち「消費者は低能児ではない。彼女はあなたの奥さんだ。今日では、あなたの奥さんは、以前よりも教養を深め、豊富な情報を持ち、より賢くなり、理解を深め、より洗練されてきている。代理店のコピーライターの多くは、オーディエンスと同じ水準にまで伸びてきたが、まだ何人か、タイプライターに向かうたびに、相変わらず、アメリカの大衆を侮辱しているのである』と。

以上、私たちが仕事するうえにとって重要な心構えを述べたつもりです。
しかし、申しあげましたようなことを、DDBが独占しているともいいませんでしたし、DDB中でこれらのことが毎日実行されていると、お話したつもりはありません。
これらは、私たちが働く際の不文律の幾つかなのです。
そして、私にいえますことは、DDBでは、仕事をやるための健全な雰囲気がつくり上げられているということです。
                  (1968年のNY広告ライターズ協会のセレモニーでの講演)


つっ立ってないで、何かしろよ!


「ハィ、そのまま!じっとして!」の代わりにこういった方がいいスナップ写真がとれますよ。自然でポーズをとらない---。
ポラロイドの自動10秒カメラでとれるのはこういった写真です。
この新ポラロイド・ランド・カメラは活動的を男の子の瞬間の動きをとらえた写真も、空中のタイバーの写真もとることができます。明るい太陽のもとでは、その光電管がすばやく1/1000秒のシャッター・スピ- ドを選んでくれます。
ピンボケでは? などと思いわずらわなくてもだいじょうぶ。焦点を合わす必要などないのです。
でき上りの写真はとてもシャープです。ポートレイトをとるときは30インチまで近寄ってとることができます。
操作も、これ以上簡単にならないほど簡単です。
ただカメラを向けて、3つのボタンを押すだけでいいのです。どんなに明るくても暗くても、光電管が適切な露出を選んでくれます。(室内用に専用フラッシュもあります)。
そして、ポラロイド・ライド・カメラですから、10秒でその写真が見られます。
ポラロイド10秒カメラは、75ドル以下でお求めになれます、お買いどきではありませんか?

フィリス・ロビンソン夫人とのインタビュー
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>>まとめて読む


「世界中の女性コピーライターへ」
"Advertising Age" 1968年7月15日号
インタビュアー:John Revett
「コピーライター栄誉の殿堂」入りを、コピーチーフで1968年に初めて受賞したときの一問一答です。