創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(220)[ビートルの広告](121)


今日は、つねには絶対にしないこと---コピーライターの(すでに隠棲している)先達として、提案を一つ。そう身をひかないで。お遊戯、おゆうぎ。
幼かったころからすでにして文章センスのあった君も、おばあさんやお母さんから「むかしむかし---」とか、"Once upon a time" で始まる話に胸をおどらせ、「大人になったら、童話作家になろう」などと夢を描いたのではなかったろうか?
その火は消えることなく、いまはみごとなコピーライターとして活躍できている。おめでとう。
さて、何十年か前の幼年幼女時代に戻り、VWビートルを主人公にした童話を書いてみない?---いや、ビートルでなく、いま君がかかわっている製品でいい。やってみよう---どうだろう、幼なかったころの夢---童話作家になれたかな? なれたよね?


この車がすべての仕事をやります。
ところが土曜の夜、パーティーに行くのは---?


昔むかし、不格好で小さなかぶと虫がいました。それは、1リットルのガソリンで11.5kmも走ることができました。1組のタイヤで64,000kmも走ることができました。そして、自分の体ほどの空き地があれば、どんな小さなところへでも駐車することができました。お父さんを駅まで、子供たちを学校まで送り届けるにはもってこいの車でした。それに、お母さんを八百屋やドラッグストア、100円ストアやその他、夫の留守にお母さんたちが出かけて行く魅惑的ないろんな場所へ連れて行きました。
不格好で小さなかぶと虫は、まるで家族の一員のようにして暮らしていたのです。ところが悲しいかな、美しくはありませんでした。
ですから、大事な時には、この不格好で小さなかぶと虫は、他のものにとって代わられていたのです。それは大きくて美しい300頭立ての車でした!
でも、間もなくおかしなことが起きました。すごく頑丈につくられていたこの不格好で小さなかぶと虫は、それ以上不格好にはなりませんでした。が、大きくて美しい車は,それ以上に美しくはなりませんでした。
それどころか、2,3年でその美しきは色あせ始めたのです。そして、なんということでしょう、あの不格好で小さなかぶと虫は、大きくて美しかった車ほどには不格好に見えなくなったのでした。
教訓:自分を見せびらかしたかったら大きく美しい車に乗れ。でも、単にどこかへ行きたいのなら、かぶと虫に乗る。


『ライフ』誌 1966年9月17日号



It does all the work,
but on Saturday night which one goes to the party?


Once upon a time there was an ugly little bug. It could go about 27 miles on just one gallon of gas. It could go abou 40,000 miles on just one set of tires. And it could park in tiny little crevices no bigger than a bug. It was just right for taking father to the train or the children to school. Or for taking mother to the grocery store, drugstore, dime store and all the other every enchanting places that mothers go when everyone else is working.
The ugly little bug was just like one of the family. But alas, it wasn't beautiful.
So for any important occasion the ugly little bug would be replaced. By a big beautiful chariot, drawn by 300 horses!
Then after a time, a curious thing happened. The ugly little bug (which was made very sturdily) never got uglier. But the big beautiful chariot didn't exactly get more beautiful.
In fact, in a few years its beauty began to fade. Until, lo and behold, the ugly little bug didn't look as ugly as the big beautiful chariot!
The moral being: if you want to show you've gotten somewhere, get a big beautiful chariot. But if you simply wont to get somewhere, get a bug.


chuukyuuコンセプト論

コンセプト・アド」という用語を聞いたことがありますか? そう、45年以上も前の米国の広告クリエイターのあいだで、呪文のように口にされた言葉でした。「コンセプト・アド」でなければ、新時代の広告じゃない---みたいに口をついてでていました。
それを、そのまま、輸入したのが、ほかならぬ、ぼくでした(いまでは日常語ですが)。
コンセプト」は、それまで哲学用語で「概念」と訳されていました。しかし、「コンセプト・アド」の場合「概念広告」と直訳したのでは、なんのことかわかりません。
いろいろ考えた末、当時編集・刊行された『広告用語辞典』には、「基本的な考え方を訴求する広告」と書いた覚えがあります。
しかし、きょう、VWビートルのこの広告を掲示したので、「自分を見せびらかしたかったら大きく美しい車に乗れ。でも、単にどこかへ行きたいのなら、かぶと虫に乗る」が「コンセプト」だといいたい、と思いました。
A点からB点へ移動するのに、カッコウをつけて行きたかったら米車にのる---これが当時の米車のコンセプト。
A点からB点へ移動するのに、もっとも経済的に行きたかったらVWビートルで行く---これがVWビートルの基本的な設計思想---コンセプト---そのことをきちんと訴求しているのが「コンセプト・アド」。

ぼくが、彼らが「コンセプト」という用語をどういう時に使うかを体験したのは、DDBへ何回目かの取材に行ったとき、国際部長が会いたがっているという伝言をパーカー夫人からもらい、X氏に会ったときでした。
『日本の広告事情を知りたい」
「いよいよ日本進出ですか? どのクライアントの製品をひっさげて?」
「ポラロイド」
「それは、おかしい。世界のカメラ王国の日本に、カメラを売り込みにくるなんて---」
「chuukyuu。ぼくは、カメラを日本に売り込むなんて言ってないよ」
「いま、ポラロイドと言ったじゃないですか!」
「ポラロイドとは言った。しかし、ポラロイドは、いわゆねカメラじゃない」
「なんなんです?」
「1分間写真の愉しみ。そりゃあね。ぼくだってカメラは日本人へは売り込めないとおもっている。でもね、カメラっていうのは、多くの日本人にとって、正月に子どもも晴れ着を撮り、桃の節句に雛段の前で撮り、端午の節句に撮り、夏休みに海で採り、お月見団子とともに撮り、クリスマスに撮って、やっと1本のフィルムを現像・紙焼きに出す---それがカメラだろう。
ポラロイドは違う。60秒後に撮った場面が見られる」
この説明で、ポラロイドの「プロダクト・コンセプト」と「広告コンセプト」を一瞬にして理解しました。
もっとも、デジカメの開発で、ポラロイドの「プロダクト・コンセプト」は一部のプロ・フォトグラファーを除いて、過去のものとなりましたが。