創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(202)[ビートルの広告](104)


VWビートルの米国での広告を集めた『クルマの広告』(ロング新書 2008.12.10刊)のことは、当ブログで再三再四アナウンスずみです。 同書には、カラー・ページが16ページあり、15点の広告を収録しました(1点が見開き作品だったのです)。そもそも、17年間つづいたVWビートルのキャンペーンで、カラーの広告はあと3点しか見たことがありません。その1点がきょうアップのこれです。「正直なクルマなんだから、モノクロでいい。カラーはぜいたく」との方針だったのですが、カラーでなければ伝わらないアイデアもあります。そのときには無理しても、予算からカラー広告料金を捻出したようです。ビートルのカラーの広告を見たら、その裏で演じられたに違いない喧々諤々の議論を笑いながら想像してみましょう(創造力の訓練ですから)。また、chuukyuuが涙をのんで(苦笑)それを『クルマの広告』への収録から外した苦渋の選択もお察しください(同じく)。


うへっ。


あな、恐ろしいやの、フォルクスワーゲンの写真。
いえ、この広告のための、つくりものなんです。
ビートルを見切り市に出すなんてこと、私たちはやりません。。
私たちには、そういったシステムが理解できないのです。
新車同然の車を残品見切り市にかけたりする気持ちがわかりません。
毎年売れ残りの車が出るのでしたら、そんなにたくさんつくらなければいいんですよね?
まだまだ新車と呼べるというのに、なぜ価格はどんどん下がっていってしまうのでしょう?
先週買ったばかりの車の改訂値段を見なければならない買主は、どんな感じがするでしょう?
形がどんどん変わっていくのに、ディーラーはどうやって部品を手元にそろえていったらいいのでしょう?
修理工は、自分のしていることをどうやったら覚えていられるでしょう?
ほんと、わけが分かりません。
私たちは、遅れているか、進んでいるか、どっちなんでしょうね。




Ugh.


This is on awful picture of a Volkswagen.
It's just not us.
We don't go in much for trading bees or sales jamborees or assorted powwows.
Maybe it's becouse we donJt quite understand the system.
We've never figured out why they run clearance sales on brand new cars.
If there are cars feft over every year, why make so many in the first place?
And how come the price goes down, even though the cars are still brand new?
How does the poor guy who bought one last week feel about this week's prices?
How can a dealer keep enough parts on hand when they all keep changing?
How can a mechanic keep track of what he's doing?
It's all very confusing.
Either we're way behind the times. Or way ahead.


chuukyuuのムダばなし】掲出のこの広告は、自編著『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社 1963.6.15)には収録していなくて、同『かぶと虫の図版100選』(ブレーンブックス新書版 1970.3.30)には収録していますから、その7年間のあいだのいつか、掲載されたのでしょう。掲載年月日と掲載媒体はスクラップした時点に広告の裏に記録したのですが、自著に収録する段階で台紙に貼ったので、読めなくなりました。貼る前にノートに記録しなかったところが、chuukyuuのいい加減さです。たぶん、「掲載号なんて、DDBへ問い合わせればいいさ」と人だのみだったんでしょう。


chuukyuuアナウンス】台紙からはがして調べたら、『ライフ』誌 1964年4月11日号でした。米国VW社との契約ができて5年目です。