創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(392)『アート派広告代理店---その誕生と成功』(2)



(承前)

テッド・ベイツ社とウェルズ・リッチ・グリーン社


ナバスキーの分類にしたがうと、「科学派」には、オグルビーのほか、エピクロスに見立てられたテッド・ベイツ代理店と、経験主義に支えられて膨張を続けたインターパブリック・グループがあげられています。
テッド・ベイツ社のフォスター社長が1966年10月に開かれた全米広告連盟の南部地区会議で使った比喩は、注目していいでしょう。
それは「DDBがマジソン街のアテネなら、ベイツはスパルタである」という言葉で、さらに続けて「市場占拠率を高める戦いにおいて、広告主がいま6%の占拠率をにぎっているとする。そして、さらに1%加えた7%に占拠率をあげるよう特命が出たとする。 6%の地点の彼にとって、7%は敵であり、94%の市場は未確保である。こういった状況下において、シャープな言葉や写真を練りあげるよりも、予算を投じる前に入手できるすべてのものを入手して、計画を立てたほうがよい」と言っています。
つまり、ベイツは、証明できない定理は無意味であるという理論的実証哲学派と同じ原理を用いているのです。
仮説を立て、それを実験によって証明してみせるという科学的アプローチと名づけられたこのやり方は、ここ数世紀の間に広がったものです。
これに対して、アート派に属するとナパスキーが見なしている代理店は、カール・アリー社、ウェルズ・リッチ・グリーン社、サンフランシスコのフリーマン&ゴーセイジ社などですが、特に米国広告界きっての美人社長メリー・ウェルズ女史(写真)の「DDBの哲学が、ある時期必要であったように、私たちの哲学もこれからは絶対に必要であると思う」という言葉は気になります。
先述したように、良い広告で製品の差別化を強調するというバーンバック氏の考え出したアイデアに対する挑戦とも思えるこの言葉は、「私たちは、競合している製品と同じ製品を扱うほうが好きだ。それが私たちの最も得意とするところなのだ」と続きます。
同じ製品を広告で差別化しようというのでしょうか? そうだとしますと、それは単なる雄弁術に終わってしまいます。しかし、同代理店が成功させたプラニフ航空の例をみると、彼らは差別化のために17,543ヶ所に及ぶ改良点を指示しました。その中には、機内の装飾からスチュワーデスの制服まで含まれていました。
また、ベンソン&ヘッジズ100の場合は、10cmという超ロングサイズの紙巻タバコを初めから与えられています。この代理店を訪ねたとき、創立者のひとりであるディック・リッチに「100mmというアイデアはこの社のものか?」と尋ねたら、「そうじゃない」と答えられたのを覚えています。
アメリカン・モータースの場合は、同社の副社長のひとりが「広告の力によって販売が伸びた」と記者発表していますが、それが雄弁術によるものかどうか、私は知りません。
ところで、同じ「アート派代理店」の中でもニュアンスの違いがあるようです。ナバスキーの所説を読むようにすすめてくれたデルハンティ・カーニット&ゲラ一社のシェパード・カーニット社長に、「あなたの代理店は『アート派』にはいると言ってもいいですか?」と質問したとき、氏はこう答えました。
「率直にいって、ナバスキー氏は、ああいうふうに分類するにはナイーブであると私は思っているのです。まあ、
広い意味で分類しようというのなら、 私たちは『アート派』に属しているといえましょうね。しかし、同時に、私たちは科学的な基準をも適用していると思います。とはいえ、いわゆる基準といわれて、大代理店で用いられているものは、だれにとっても毒にも薬にもならないしろものであると私は思います。
そう、私たちは、科学的なやり方を私たちの企画やストラテジーに適用していますよ。そしてもちろん、私たちの仕事はバーンバック氏がいわれたように絶対に科学ではないと思います。氏は---DDBは直観的ではあるが、その直観は知識に基づいていると言っておられますね。私たちの社の直観的なクリエイティブな判断は、たいへん健全な、その製品に対する知識、競争相手に対する知識、マーケティング地位に対する知識、そしてマーケティングの目標に対する知識---そういった知識に基づいているとだけいえばもう説明を要しないでしょう」

こうした違いは、それぞれの広告代理店の経営陣の広告というものに対する考え方の違いとなり、同時に具体化された広告原稿の差となって現われることは、いうまでもありません。


プラグマチスト.「ビジネス派」


BBDOのチャールズ・ブロワー会長は、メリー・ウェルズ女史が考え出し、成功させた、ブラニフ航空のための奇抜なアイデア---飛行横の胴体を7色に塗りわけたのを評して、「そんな余分な塗装は、飛行機の速度をおとすという噂を聞いたことがありますがね」と、 とぼけてみせました。
ブロワー会長に限らず、コロンブスの卵的やっかみ根性の男は米国広告界にも多いとみえてサンケイ・アド・マンスリー誌(1967年8・9月号)が紹介している「独創性に批判の声」(タンズ・レビュー誌)によると,「高度に独創的な広告キャンペーンに多額の金を注ぎこみ、一般の注目を集め、広告業界でもかっさいを博し、それでいて売上げが一向に伸びなかった実例は、ラインゴールド・ビールからクェーカー・オーツまで、少なくない」そうです。
私には、 「ラインゴールド・ビールからクェーカー・オーツまで」の意味がよくわかりません.ラインゴールド・ビールといえば、ニューヨークでいちばんよく売れているビールで、ベストセラーの理由が工場でも販売店でもどうしてもわからず、「どうしてなのか、私たちにもわかりません。きっと、何かあるんでしょう」とやって「かっさいを博した」キャンペーンです。
このキャンべ-ンが始まってしばらくしてから『プリンターズ・インク』誌がビール商報を載せました。その記事によると、ラインゴールド・ビールは出荷量が前年よりも伸びていないとあったのです。
そのことを、DDBのー担当の準コピー・チーフのローゼンフェルド氏に問いただしたところ、苦笑しながら 「その記事を書いた某調査会社の男がきたとき、そっけなく扱ったんでね。実際と違うんだよ」と答えました。
『ダンズ・レビュー』誌が資料を『プリンターズ・インク』誌から得たとすれば、ずいぶんひどい独断ということになります。
「独創的な広告のおかげでひどい目にあった企業のなかには、ゼネラル・ミルズ社もある。同社のベティ・クロッカー印のライスの広告は、昨年来広告業界の重要な賞をとったほどの、「味のある」ものだったが、現実の市場では完敗を喫し、この広告に切り替えたあと、ほどなくゼネラル・ミルズ社は広告を中止したばかりでなく、製品まで廃止してしまう破目に追い込まれてしまった」という個所にいたっては、文字どおり噴飯ものです。ゼネラル・ミルズ社の極東支配人が私に話してくれたのでは、「製品が悪くて中止した」と1965年にはすでに打ち明けてくれていましたし。1966年秋に来日した担当のDDBのコピー・スーパパイザーのパーカー副社長に尋ねてみたところ< 「あれはDDBにとっても不幸な事件のひとつだった。製品が悪かったので、広告が成功すればするほど早く大衆がそのことに気づいた」と話してくれました。 「広告を中止したばかりでなく、製品まで廃止してしまう破目」ではなく、その逆で、「製品を廃止せざるをえなかったから広告が中止された」のです。


こうした中傷は、おおむね「ビジネス派」代理店側から流されている場合が多いようです。とにかく、「ビジネス派」の典型と目されるブロワー会長は、「広告はプロフェシ・ヨナルであるとか芸術形式であるとかいわれているが、そのどちらも、私は大きな偽りであると思う。広告は、レンガ積みのような生業である。人はレンガを積んで大聖堂を作ることができると思うんだろうが、実際には熟練した職人がレンガをつくっているのである。私たちの理論はこうである。製品が違うように、キャンペーンもそれぞれの製品に合わせてつくるべきだ」
つまり、言うところは、創造哲学など持たないで、その都度主義でいこう---というのです。ナバスキーは、ブロワー会長をジョン・デューイと並べて、プラグマティストと呼んで「彼らは、いかなる形而上学的構成にも固執しない、生命を過程---この場合はマーケティング・プロセス---だと見ている」と評しています。
J・W・トンプソン社のダン・シーモア社長もブロワー氏と同じ立場をとっていて「私たちは、型や主義を信じてない」と言い、「広告は、依頼主次第である」と主張しています。


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私の見方は、多分に傾向的かもしれません。けれど私はいまや、「広告とは---」と教科書ふうに一括してしまうやり方についていけなくなっています。
広告に対する考え方は、いろいろあっていいし、現にあるわけです。どの考え方が大衆に支持されるかは、いますぐには結論が出せないでしょう。
そう考えたとき、DDB、PKLとアート派代理店の両巨峰に続いて、同じ山系に属する山頂の一つ一つを踏破し記録した本書も、ある意味を持つものと思います。


1968年6月9日 西尾忠久


【私事】この6月9日は、chuukyuuの38回目の誕生日でした。


chuukyuuアナウンス】明日からは、お約束のジャック・ティンカー&パートナーズ社を転載します。


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【参照】『メリー・ウェルズ物語』