創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(269)ダヴィッド・オグルビー氏とのインタヴュー(3)

こんなアーカイブを思いつかせたのは、たった1冊の新書だった。梅田望夫さん『ウェブ進化論---本当の大衆化はこれから始まる』(ちくま新書 2006.2.1 初刷)を読み、いま、[黄金の10年---Golden Decade]の〔ロングテール〕をつくっておかなければという、焦燥に駆られた。同書には「原稿料は無限に安くなる」ともあった。それに耐える訓練もしておこう---(広告のクリエイティブ・フィーのことではない。こちらはもっと上がるべきだ。世の多くの駄文のことである)。四散させていた[黄金の10年]の資料をかき集めて、当時の若者たちをふるいたたせたものの正体を明らかにし、明日のクリエイティブ・バワーの発露に資さねば---と。きょうのボランティア入力志願者はコピーライター歴2年の浅利奨吾さん。精神的に得たものが、とてつもなく大きかったはず。

参照クリエイティブな広告の黄金の10年]←クリック


>>ダヴィッド・オグルビー氏のインタヴュー 目次


 そのコピーがよすぎたためか、悪すぎたためか、どちらだと思いますか?
オグルビー クライアントが自分の会社にふさわしくないと思ったからです。それはたぶん正しいでしょう。私は判断できません。自分で書いたものは、だれも判断できないものです。
ところで私は、自分で書いたコピーを、だれか少なくとも一人以上の人に十分見てもらわないうちはクライアントへだしたことはありません。
たとえば、ご存じでしょうが、ロールス・ロイスのあのコピーを書いたときは、26通りのヘッドラインをつくって、6人ほどのライターにどれがいいか選ばせました。それから約3,500語のコピーを書き、3、4人のライターに見せて、モタモタした部分、意味不明瞭の部分をカットしました。
現在では、多くのライターたちの仕事に判断を下さなければなりませんが、ヘッドラインを1つしかもってこないときには、いらいらします。なぜ1ダースも2ダースも見せないのだろうと思います。とにかく、私は自分の作品の質は判断できないし、だれにもできなでしょう。自分のコピーのよし悪しが、よくわかると思っている人も少なくありませんが、私はわかりません。

参照ロールス・ロイスの広告クリック
 あなたは優れたコピーについてはっきりした考え方をもって、調査からコピーにはいったわけですが、その後、考え方は変わりましたか?
オグルビー 変わりました。私の優れたコピーについての考え方は、大部分が調査から導きだされたもので、個人的なものではありません。それで、いつも調査の進歩に遅れまいと務めています。ときどき新しい事実が見つかるからです。たとえば10年前のギャラップ調査では、テレビのCMをハッとさせるような仕掛けではじめずに、まずセールスからはじめるほうがいいとされていました。もっともだと思われる証明があったので、それを信じその通りにやってきたわけです。しかし、最近の調査によると、最初にハッとさせる仕掛けでまず聴視者の注目をひくほうが、効果があることがわかりました。この点でも私の考えは変わったわけです。しかし印刷媒体の場合、どうしたら優れた広告がつくれるかについては、ほとんど変わっていません。
とにかく、印刷媒体の広告は40年も調査が行われているので、多くの事がわかっていますが、テレビの調査は8年ばかりなのでわからないことが多いわけです。
 コピーライターとして、だれの影響を受けましたか?
オグルビー 他の人の仕事を見ていると、影響を受けるものです。
私の場合、最初はロッサー・リーブスでした。
私が1937年にはじめて米国へきたとき、広告のことをあまり知らなかったのです。しかし興味はありました。すぐれた広告はハイブローで気取った、文学的なものだと信じていました。当時はブラケット・サンプル・ハマートで若手のコピーライターだったロッサーに会ったわけです。彼は彼で、デュアン・ジョーンズやフランク・ハマートの影響を受けていました。この2人は、ともともロード&トーマスでクロード・ホプキンスの部下だった人です。
ロッサーは、彼が働いている代理店でみごとに実行されていた広告哲学を、私にくわしく説明してくれました。それから私は、ヤング&ルビカムやケニヨン&エックハートのような、注目率順位を重視する代理店に関心をもち、その影響も受けました。もちろんこれは広告の2つの流派で、私は両方から学んだことを調和させるのに、長いあいだかかりました。
最近ではDDBのとくにプリントの仕事です。私には新鮮に見えました。他から得たのではなく、いわば独自の流派を創造したのだと思います。たいへん強い印象を受けました。私は100歳まで生きても、フォルクスワーゲンのようなキャンペーンを書けないでしょう。すばらしい広告であり、新しい扉を開いたものだと思います。

(ここでドアのベルが鳴ったので話は中断。小包みが届いたのである。しばらくのあいだオグルビーは居間のドアのそばに立って、たちこめたパイプの煙と炉の火のかすかな匂いを外にだした。それからドアを閉め椅子にもどって、痛い背中をいたわりながら腰をおろした)

私は、はっきりとした創造哲学をもっています。
大部分、調査にもとづいたものです。はっきり定義されすぎているかもしれません。窮屈すぎるかもしれません。そのうち、だれか若い人が私のオフィスにやってきて、「あなたの『96の創造ルール』は馬鹿げています。そんなものは、時代遅れの調査結果にもとづいたものです。ここに新しい調査にもとづいた96の新ルールがあります。古いのは窓から捨てたらどうです。もうあなたは過去の人です。私は新しいドグマ、新しい理論を書きました。私は未来の予言者です」 こんなことが起きればいいと、いつも思っています。起きるのではないかと思いますよ。小さな事がらについては、私たちの代理店内ですでに起きつつあります。
これは幸運なことです。ときには私にとって頭痛のタネですが、代理店にとってはいいことです。
つづく