創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(97)いわゆる「DDBルック」を語る(7)

     前DDBクリエイティブ・マネジメント・スーパバイザー ポーラ・グリーン
     (1969年退社 グリーン・ドロマッチ社をDDBの隣のビルに設立)


『MC』誌1969年6月号の記事、ご当人の了解をとって拙編DDBドキュメント』 (誠文堂新光社 ブレーンブックス 1970.11.10)に翻訳・掲載したものです。


<<いわゆる「DDBルック」を語る(1)

他人の立場に立って見られる能力


問い「それはおもに、その問題がどんなものであれ、それに自分を合わせて行く能力、だれに向かって話しているか、自分がいいたいのはなんなのかを知ることができる能力ですね」


グリーン「それから(社会事業化家の言葉を使うのは嫌なのですが)自分を自分の問題に『関連させる』能力ですね。言い換えれば、自分を移し替え『もし、わたしがあの婦人だったら---』と考える能力です」


問い「それは根本的な感情移入ですね」


グリーン「そうです---。いわば人の立場になってみる---というのです」


問い「そしてどのように話しかれられたいか---ですね?」


グリーン「そのとおりです。
わたしは、たいてい、自分のコピーを大声で読みあげることにしています。それが印刷されて、セールスマンの役割を演ずるという時、尻込みしないで平気で自分の言葉が話せるのを聞くことができなければなりませんもの。もし尻込みしたとなっては!」


問い「あなたはかなりの量の修正・編集など平気でこなしてしまうほうですか? 自分にはきびしいほうですか?」


グリーン「自分に対してとてもきびしいほうです。わたしが書いたかどうか人が知ろうが知るまいがかまいません。
わたしにとって大切なのは、私がそれを誇りにできるということなのです。
そしてどんなものであれ、自分が気に入ったり、満足できるものならば、それは誇りにできるものなのです。自が決定的な決勝点をかせぎ出したといえるかどうか---。
自分のつくった広告に自分がいい反応をし、また印刷されたのを見て、恥かしくなく感じたのにもかかわらず、そしてあれほど一所懸命にやったのに、たった一つ、あー、こんな言葉入れなければよかったと思うような下品な言葉を見つけた時といったら---テクニックに走るワナに落ちないようにと祈らんばかりになりますね。
わたしはかつて、そういったコピーをつくってしまったことが一回ありました。その広告を見るたびに胃袋になにらかひどいものがひっかかったように感じました。それは、”as"の代わりに、”like" を使ってしまったのです。あのコピーは大好きでしたけど、その広告で目に入るものといったら、その一言だけなのです。スタイリスティックになってしまった場合、あとで悔やむことが多いですね」


>>(8)に続く


エイビスがたるんでいたら、
こうしてください。


でも、私たちだってそのままにはしてかきませんよ。私たちは、またあなたら来ていただくよう、反省します。
エイビスはレンタカー業界では2位にすぎません。余分なお客さまなんか持ってません。
私たちはあなたのチュャージ・カード(月末払い特典つき)が1枚だけですむようにと、すでに汗を流して働いています。
私たちの車は、可能なかぎり、上乗のコンディションを保っています。けれども、近いうちに、私たちの車の走行上限を36,000kmと決めることになるでしょう。軽快なフォードのスーパー・トルクでもね。
この業界には、そんなセッカチ屋はいないのですが---。
もちろん、私たちにも、たるんでいるところとがないわけではありません。で、もし、あなたが、そんな点をお見つけになつてしまって、私たちの車をお使いになるのを止めておしまいになったとしても、私たちはあなたを責めるわけにはまいりません。
そんなときには、どうぞ、おっしゃってくださいますよう。
ご遠慮なく。
私たちは、きっと、ちょっぴり泣きはしますが、その後は前にもましてしっかりやると思います。


(カードの写真の下には「私たちにお慈悲を垂れ給うな」)





エイビスのオフィスは、
モスクワにはありません。
でも、やってみようととしているところです。


私たちは、モスクワの中心地、バジル宮殿とトーム廟との間にいい場所を見つけたんです。いま、運輸大臣からの「Da(O.K)」を待っているところです。
世界中のほとんどの都市には店をだしましたから、もうソ連に開店してもいいところでしょう?
もし、ここに店を開く権利がとれたら、喜んでフォードをお貸しします。あるいは、ジルでも、ボルガでも、モスクビッチでも結構。
灰皿は空っぽ、ガソリンは満タン、そして受付係の女の子も、親しみをこめた微笑を送るでしょう(ここ、米国のエイビスと同じく)。
電話一本でO.Kです。ヨーロッパ、カリビ海地方、北アフリカ、極東でのエイビスが今やっているように。
こういったことは、もう何年来もやってきているのです。
ロシヤ人は、「俺たちが発明した」とでも言うでしょうがね。


(これは、ソ連邦崩壊前の冷戦時代に---『ライフ』誌に掲載されたもの)


これまでにアーカイブしたエイビス・キャンペーン
[DDBの広告]エイビス(01) (02) (03) (04) (05) (06) (07)


>>(8)に続く