創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(78)『かぶと虫の図版100選』テキスト(23)


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1970年3月20日フォルクスワーゲン・ビートルに関する2冊目の編著書の新書版『かぶと虫の図版100選』をブレーン・ブックスから上梓しました。そのテキスト部分の転載です。

VWの広告を引き継いだのは人生上で最も恐るべき経験だった(つづき)

(注:『かぶと虫の図版100選』へ戻る)
ヘルムート・クローン氏からアート・ディレクティングを引き継いだレン・シローイッツ副社長の次の言葉から類推しても同じ結論に達します。
「4年ほど前、バーンバック氏がぼくのところへきていいました。『レン。私は君に対する非常に重大な決定を下したところだ。
これは、私がだれかに与えることのできる最も重要な決定の一つだ』。
ぼくは、それをDDBと新たに契約した大きなアカウントに関することだと考えました。願ってもないことが始まりつつあると考えました。
ぼくは、キャンペーンを組織し、今までに決して行われることのなかったような新しいアイデアに基づくブランドをつくり出すことになるだろうと考えだけです。
バーンバック氏はつづけました。『レン。君にヘルムート・クローンから、VWのキャンペーンを引き継いでもらいたいのだ』
皆さんもご存じのように、ヘルムートはVWの導灯でした。
それは、広告業界の内外で最も論議されたキャンペーンでした。
どんなカクテル・パーティでも、人びとがVWの広告について話しているのを聞くことができました。
そして、それは、話に聞くさえ感動的な事柄でした。
ぼくが、ぼく自身がそれを受け継がなくてはならないと知る瞬間までは。
ぼくは、このキャンペーンの名声を継続させなければならなくなったのです。
これは、ぽくの経歴の中で、最も恐るべき経験でした」(1967年 チューリヒの講演)

【訳文】
緑色のフェンダーは、'58年型のもの、
青いボンネットは、'59年型のもの、
ベージュのフェンダーは、'64年型のもの、
ターコイズのドアは、'62年型のもの、
VWの部品のほとんどの部品は、何年型のものでも交換可能、
いつでも手に入ります。


aet director: Len Sirowitz
copywreiter: David Reider


>>(24)に続く。