創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(67)『かぶと虫の図版100選』テキスト(12)


<<『かぶと虫の図版100選』目次


1970年3月20日フォルクスワーゲン・ビートルに関する2冊目の編著書の新書版『かぶと虫の図版100選』をブレーン・ブックスから上梓しました。そのテキスト部分の転載です。

マーケットは、それぞれ自己流の哲学を持った消費者に支えられている

VWビートルのキャンペーンを立ち上げたクリエイターたちの中の2人---ジュリアン・ケーニグ氏(コピー担当)とジョージ・ロイス氏(アートディレクター)は、1960年にDDBを辞めてPKL(ハパート・ケーニグ・ロイス)社を設立しました。
VWビートルにおける名声が及んだのでしよう、プジョーが早速に、クライアントとして名乗りをあげました。
で、2人がやったことは、自分たちも一役買ったVWの不朽の名作---「小さいことが理想 Think small」にちょっと手をいれて、
「最初は小さいほうがいいと思ったんでしょうが----今は、もうちょっと大きいほうが---とお思いでしょう」という見出しの、VWのバロティ広告でした。

レーサーが自分自身が樹立した記録に挑戦しつづけなければならないみたいに、クリエイティブ・ピープルも、自己の栄光の幻影と戦いつづけなければならないのですね。
DDBへ戻る。
DDB時代のケーニグ氏は、「小さいことが理想 Think small」という、たった2語で、デトロイト流の車についての通念に一撃を加えた---と書いた。
その一撃がどのように強烈であったかを、次の数字が物語る。

1959年    84,677台  
1960年   112,027台
1961年   148,340台
1962年   167,019台
1963年   209,797台
1964年   251,806台
1965年   288,583台
1966年   296,624台 
1967年   314,343台
1968年   423,008台(注:かぶと虫のみ)

この数字は、米国におけるVWビートル(かぶと虫)のみの年別販売台数である。
DDBによるVWキャンペーンが年央すぎから始まった1959年には、その年に米国で売れた全乗用車中でわずか1%強しかしめていなかったかぶと虫が、8年後の1967年には3%強にまで繁殖していたのである。
しかも、もっと注目すべきは、1960年の数字である。この年は、いわゆるデトロイトのコンパクト・カーが輸入車に対して猛威を振るった年である。
たとえば、ルノーの実績を見ると、その猛威ぶりがうかがえる。 

1959年    92,000台  
1960年    57,000台
1961年    42,000台
1962年    31,000台

ジョン・B・レイ著『アメリカの自動車』(岩崎玄・奥村雄二郎;小川出版)によると、デトロイトの乗用車プレステイジ理論による、けばけばしい成金趣味は1955年に峠を越すべきであったという。
「目覚めは、自動車生産が1955年の絶頂からすべり落ち、国民経済が1957〜58年の景気後退期に落ち込んだ時にやってきた」
人びとが車を買う時に正札をよく見、維持費のことも考えるべきだと思い知った。アメリカン・モータースのランブラーは1960年には50万台近い生産台数を示してそのことを証明したという。
同様の事態が、フォードのマベリック、アメリカン・モータースのホーネットを引き合いに出してささやかれている。
そうかもしれない。
しかし、ぼくは、簡単には同意できない。マーケットはそれほど単純ではないし、使消費者の好みも画一的ではない。多様なマーケットがあり、それぞれが自己流の哲学(人生観)を持った消費者にささえられている。
VWの広告がいう「小さいこと」を理想しとするグループもあれば、大きいことをよしとする多数の人びともいるのである。
要するに、広告とは、その広告が主唱する考え方に、どれだけの賛成者を得るかが問題である。しかし、その考え方は、広告者のドクマではなく、マーケットの中に健在あるいは潜在しているものの発見であり、凝縮であり、結晶化であり、効果的な提示でしかない。


>>(13)に続く。