創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(68)『かぶと虫の図版100選』テキスト(13)


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1970年3月20日フォルクスワーゲン・ビートルに関する2冊目の編著書の新書版『かぶと虫の図版100選』をブレーン・ブックスから上梓しました。そのテキスト部分の転載です。

〔不恰好〕じゃないランブラーと〔不恰好〕なVWの比較

ランブラーの名が出たついでだから、そういった意味で愉快な広告を紹介しておこう。
1968年10月25日の『ライフ』誌に、写真のようなランブラーの広告が出た。背後には1000台はいると思われるVWを並べて「アメリカン・モータースのランブラー---この国に入ってくる外車勢に対抗した唯一の国産車」と見出しでうたっている。



本文を読んでみると、現在450万台の輸入車が走っているが、燃費の点からいっても、丈夫さの点からいっても、ランブラーなら十分に競争しうると主張し、
「ただ一つの欠点をあげれば〔不恰好〕じゃないということでしようね」
と結んでいる。
この〔不恰好〕という言葉がさしているのは、明らかにかぶと虫である。VWは、自ら進んで自分のことを〔不恰好〕と広告しているからである。その代表例を一つあげよう。『ライフ』誌の1969年8月8日号に載ったものである。
だった1行、「不恰好ですが、運んでってくれますよね」
「ugly」を〔不恰好〕と訳したのでは、適切でないかもしれない。直訳するなら〔醜悪〕である。
いうまでもなく、この1行の言外の意味は、「VWもけっこう不恰好ですが、アポロ着陸船も格好がいいとはいえませんよね。でも、どちらも確実に目的地へ私たちを運んでくれますよね」といったところ。
この広告は、アポロ11号に関連した広告の中では、最高のできだった。


「不恰好ですが、運んでってくれますよね




It's ugly, but it gets you there.


ところで、なぜランブラーが輸入車の代表としてVWを選んだか---というと、昨日の日記に輸入台数をあげておいたように、VWが米国における輸入車の半数以上ょ占めているかにらであるし、デトロイト流の車のあり方とは対照的だからである。
たとえば、山崎清氏はその著『GM』(中公新書)で『フォーチュン』からの次のような一節を引用しておられる。
「1964年のムスタングは、外面の鉄板を除けば基本的にはファルコンと少しも変わらなかった。---ムスタングの場合と同様、マベリックについても、フォードはなんら技術的新機軸をつけ加えていないるこの車の主要機械部分は、ファルコントムスタングで間にあうであろう」
これこそ、デトロイト流のやり方の一典型である。


chuukyuu付記】アポロ11号の月着陸の日の夕刊1面に、ぼくもこんな広告を創りました。当時、銀行は大蔵省の指導で、新聞広告は最大全3段までと規制されていたのです。で、どうしても1ページ広告をやってみたかったのです。

読売新聞1969年7月21日夕刊


>>(14)に続く。