創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-39 一緒に仕事をしたことが最良の勉強法

すぐれた仲間の存在は刺激と同時に教育的意味も持っているようです。パーカー夫人は、彼女が入社した創業間もないころのDDBについて、
「私は、とても幸運だったのです。私がDDBにはいった当時は、バーンバックさんとロビンソン夫人とゲイジさんが主要なキャンペーンを担当しており、コンセプトも彼らがつくっていました。それを私は、そばで見ていられたのです。
私たちは、小さなアカウントや業界広告紙、カタログなんかを担当していました。
私にとってスリリングだったのは、バーンバックさんとロビンソンさんがつくったヘッドラインに私がボディー・コピーをつけたことです。それから、ゲイジさんと組んでコピーを書かされるようになりましたが、これもとてもスリルのある経験でした。ですから、手を取って教えてもらったというんじゃなくって、いつも一緒に仕事ができたということが幸運だったんです。いつもそばであの人たちがやっているのをながめることもできた...これは、私にとってはすばらしい勉強でした。現在のDDBでは、若い人にとって、そういうチャンスはもうありません」