創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(4)オーバックスの広告(1)

DDBの創業時、バーンバックさんは、グレイ広告代理店でのオーバックスの広告をいっしょにつくっていたデザイナーのポール・ランド氏でなくロバート・ゲイジ氏をなぜ選んだかは、[第1部 DDBの誕生]の…、「考える友人…ポール・ランド」「選ばれたのは、ゲイジだった
で解説しました。↑クリック


ここでは、そのわけを、もっと視覚的に納得いただきましょう。


「オーバックスの服を着て街を行けば…」
というヘッドラインに、ランド氏がやったデザインは、ポンチ絵みたいなイラストレーションでした。


師・亀倉雄策さんが編んだ『ポール・ランド作品集』は不勉強で未見ですが、このオーバックスの広告をみて、思い出したのは、亀倉さんが昭和30年前後に毎月手がけていらっしゃった、いまはないゼネラル電機のハウスオーガン(電気店向けPR誌)の表紙でした。その後の骨太の作品(東京オリンピック・ポスタなど)からは想像もできない、ポール・ランドの影響の強い…つまり、オーバックス風のとぼけた味わいのイラストレーションだったのです。


「お高い値段にふりまわされないで」のヘッドラインで、シマウマの胴もどきに切られた写真で手綱をとっている女性。




   
バーンバックさんといっしょに会社を移ったボブ・ゲイジ氏がDDBでつくったのは、


「驚いても、目は財布よりも大きくはなりません」(1954年)
同じ写真を細工しても、人目をひきつける視覚処理(語呂合わせでなく)。


「木曜日にはオーバックスでご覧になれます」(1959年)

このころ、パリ・コレの衣服を廉価で提供するシステムが完成していたのです。
その秘密は、パリ・コレの衣服を現地で買い付け、ニューヨーク港の税関では、輸入手続でなく、一時持ち出し扱いでさっさと型紙をとって現品を返し、そのままカナダで半値以下で売ってしまうという賢いシステム。


写真は、オーバックス・チーム。
左からアートディレクターのバージェロン氏、ロビンソン夫人の後継コピーライターのミズ・プロタス、バーンバックさん、ゲイジ氏


「こんなの、いかが?」


上は若いパージェロン氏による鮮烈なハイ・ファッション訴求。
日を置き、つづいて同シリーズを、もう数点ご披露します。


>>オーバックスの広告(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)