創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-23 たった10分間で解決する

パーカー夫人は続けます。
「しかし、これだけではありません。
バーンバックさんに会いたいと思って、彼の居所を探してみると、アートディレクターの部屋で腰をおろしてクリエイティブ・チームの連中と会っている時なぞがあります。
また、ひまな時には、クリエイティブ部門の各部屋に顔を出して、あの仕事はどうだなどとか、この仕事はどうなったかなど、聞き歩いていることもあります。
あの人は、だれがどの仕事を担当しているか正確に知っています。
全部のお得意のすべての原稿のコピーを一語一句覚えています。
つい最近も、6か月前のお得意との打ち合わせで、出席者が発言したことを、バーンバックさんが一語一句正確に覚えていたので、驚きました。

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02-24 あるペア・チームの実況報告(1)

そうした珍妙な見学をするかわりに、パーカー夫人が私に話してくれた次の事例のほうが、よっぽど臨場感をもってペア・チームの会話を伝えてくれます。
それは、オーシャン・スプレーOcean Spray Cranberries, Inc.)のクランベリー・ジュースのテレビ・コマーシャルをつくった時のエピソードです。
「それは『オーシャン・スプレーのクランベリー・ジュースはどんな味か』というテーマを表現化する仕事でした。
絵のほうは、男の人が、このジュースはどんな味かと尋ねられて、それに答えようとしているってところ。
この男の人が、もっと飲みたい。
そこで、こういうわけだからもっと飲みたいんだ…と理由を述べようとする…まあ、そんなふうにつくろうとしました。
ところが、この商品には問題がありました。
というのは、その当時、このジュースの名は、ほとんど知られていませんでした。ユニークな味を持ったジュースでしたが、どんなにユニークな味かということを知っている人は、ごく少なかったんです。

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03-24 ビジュアルなセンスを持ったライター

数多くのコピーライターを採用してきたロビンソン夫人は、能力のチェックをどうやったかについて、
「創立当初しばらくは、能力を見て判断するのは困難だったのです。
というのは、才能あるライターであっても、それを実際に表してみせるチャンスがほとんどなかったからです。
今とは違ってましたから。
創造性を追求し尊重する代理店が、今はたくさんあります。
ですから、とてもエキサイティングな広告がつくれるライターなら、すぐに職を見つけることも、高い給料を得ることも可能です。
当時、私が採用時にしなければならなかったことは、言外の意味を読み取ることでした。

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