創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(767)『アメリカのユダヤ人』を読む(22)

 

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ユダヤ人自身の国 昨日のつづき



アメリカの移民グループは「出身国」を持っていることによって受け入れられて
きた({どこから来たか?」と訊かれてもユダヤ人は「出身国」をはっきり答えられない)
ユダヤアメリカ人の対イスラエル感情は、アイルランド自由国に対するアイル
ランド系アメリカ人の感情やシシリー島に対するイタリア系アメリカ人の感情と
同種のものだと信ずる人々にこの社会学的事実が引用される。
彼らは最近まで、「故郷」のない移民グループはユダヤ人だけで、これが反ユダ
ヤ主義とアメリカでのユダヤ人の不安感の原因であって、イスラエルが建国され
アメリカのユダヤ人が他民族と同様「国」を持つようになった瞬間から、異教
徒間での立場や自信は改良され始めたと言う。
 

 この理論は真実味が濃いのにすぐさま第二の説明をつけ加えて弱めてしまう。
彼らは言う、反ユダヤ論者は何世紀もユダヤ人は臆病で戦うガッツのある者はい
ないと言明してきた、と。
今日のユダヤ人はイスラエルを建国してこのきまり文句が誤りであることを世界
に示している。
その証拠に最も好戦的でないユダヤアメリカ人でさえ、反ユダヤ論者に対する
イスラエル軍の武勇談――例えばルイジアナ選出の某議員が泥酔して空港に降り、
イスラエル兵に「ユダ公」と言ってしまって、銃でこずかれて飛行機に戻され、
入国を認められなかったといった話に夢中になる。
イスラエルの宗教的活動になぜか無関心ではいられない大多数のユダヤアメリ
カ人は、イスラエルの経済成長や工業力、砂漠を工場や都市化するすごい力に胸
をおどらせる。
ユダヤアメリカ人をひきつけているのはイスラエルの力でありガッツである。
要するに「異教徒にわれわれの力を見せてくれる」ということである。


 この奇妙な感情はアイルランド人が自由国に感じる感情やイタリア人のシシリ
ー島に対する感情とは別ものである。
軍事力ゆえに自国を愛すシシリー人もいないし、経済力拡張ゆえに自由国を讃え
アイルランド人もいなかった。
彼らが故郷に抱く感情は望郷の念だけだが、アメリカのユダヤ人のイスラエル
の感情には別のものがある。
自分がユダヤ人であることを喜んでいないという恐れが心の底にあるがゆえにイ
スラエルを愛するのである。
イスラエルを自分の身代わりの延長としてみている。
無敵で鉄面皮の英雄であることを確認することで、ユダヤ人は独力では得られな
い勇気や強さをどうにか入手している。
ユダヤ人が臆病でないことを世界に示そうとしているだけでなく、自分をも納得
させようとしているのである。


 強い魔力もある――虎の血を飲みその皮をまとうことで虎の性格をわがものに
することができると信じる未開人の迷信である。
論理とか事実の問題ではない。
何年か前、ユダヤ教協議会のバーガー・ラビとの討論でニューヨーク選出セラー議
員はこう宣言した。
イスラエルユダヤ人が戦えることを証明してくれた」。
ラビは、何千人ものユダヤアメリカ人が第二次大戦で戦った時にそれが証明され
なかったというのはどういうことなのかと言った。
論理的にも事実から言ってもラビのほうが正しい。
だが魔力はセラーのほうにある。
虎の血を飲む土人は勇気と強さをわがものにできるのである――そしてイスラエル
建国の直接の結果として、ユダヤアメリカ人にも同様のことが何度も起こった。


 この迷信的感情はユダヤ教協議会に対するユダヤ人共同体の反応をみればはっき
りする。
全く実力のないこの組織は最近、会員が数千人に減少し説教ラビもいず、20年前
に加入した会衆を統制する力すら失っている。
イスラエル支持派を二重忠誠と非難することもやめてしまい、その活動は「シオニ
スト陰謀団」についての数冊の小冊子を出すとか、ユダヤアメリカ人の「イスラ
エルびいきのヒステリー」とたまに紹介されるだけである。
体制派はずっと昔にこの哀れな老協議会を哀れみのため息とともに許してしまった
のだろうと人は思う。
 実際、協議会がアラプ連合を強力に支援したり何百万ドルもの基金があったり何
十人もの上院議員を味方にしていたら、体制派の姿勢はもっと猛烈なものになって
いただろう。
ニューヨーク・ラビ会は最近、協議会の悪性のうそを叩くために20ページの小冊
子を発行した(注4)
協議会は巨大なPR機関を通してこの小冊子に激しい反論をつけて全会員に配布し
た。
体制派の人にこの協議会と協議会執行委員を辞職した。
ハーカー・ラビのことをたずねると、返答が法外であったりヒステリカルであった
り反応はさまざまである。
協議会会員は反ユダヤ、自己嫌悪のユダヤ人、裏切り者呼ばわりされ、長身で疲れ
切った男バーガー・ラビ――要領を得ない聖職からくるフラストレーションで疲れ
切ったのだろう――は、異常性格者、妄想狂、精神分裂症呼ばわりされる。
「彼はアメリカのラビの間で好ましくない人物として通っています。ほかでは雇っ
てくれないから、協議会から出るに出られなかったのです」と仲間の一人が語った。


 心の広さと言論の自由に対する信念を誇りにしている人々のこの悪意を説明する
ために、協議会の「無節操な手段」がとりあげられる。
しかし真の理由は協議会の反シオニスト的立場にあると私は思う。
こうした協議会の立場を誇張しすぎるユダヤアメリカ人があまりにも多いこと自
体が批判側も協議会の反ユダヤ的見解に近いことを暗示しているのではないだろう
か? 
勇敢で前向きの姿勢のイスラエルの存在が彼らの臆病さ、ユダヤ人でなければよか
ったという恥ずかしい願望に不安を抱かせるのである。
だからイスラエル攻撃者は彼らの内なる抗弁、自己欺満を攻撃しているにほかなら
ないのだから憎むのも当然だろう。



 こういったことは若い世代のアメリカのユダヤ人にはほとんど関係がないように
思われる。
彼らは親よりもはるかにこの社会でくつろいでいるし、恐れなければならないもの
も少ない。
だから彼らがイスラエルに感情的連帯感を持っているとは思えない。
1967年5月末まではこういう考えが正しいとされることが多かった。
ユダヤ人がかなりの率をしめる大学の活動家グループは、イスラエルに無関心なだ
けでなく敵意さえ抱いていた。
彼らは公にアメリ新左翼(1960年以降、人種平等、軍備撤廃、不干渉主義を唱える)の見解を
とっており、イスラエルブルジョア資本主義者の道具であり、ナセルは虐げられ
た最少数派の独立への切望を代表しているとしていた。
ニューヨーク市大の学生新聞は長い間、イスラエル人の講演者やイスラエル問題を
扱ったヒレルの行事についての論説を拒んできた――ほとんどの編集委員ユダヤ
系が占めているにもかかわらず……である。
ユダヤアメリカ人の奇妙な反イスラエル的な同盟には共和党に投票するドイツ系
ユダヤ人富豪、左翼の若者、真正正統派ラビなど、不思議の国のアリス的なところ
がある。
ユダヤアメリカ人だけは!」と言いたいわけである。


 しかし若いユダヤ人の大半を占める非過激派の間でもイスラエルはまず論議され
ないようである。
ウィルクスバールの10代のユダヤ人対象のユダヤ人委員会の調査では、ユダヤ教
ユダヤ的生活について大半の者がもっと学びたいと答えたが、イスラエルについ
ての希望はほとんどなかった(注5)


 こうした結果に疑いをさしはさんだ専門家にも出会ったことがない。
ユダヤ人アピールのフリードマン・ラビはこう言った。
若い人たちに私だちと同じようにイスラエルのことを思えといっても無理ですよ。
彼らにはイスラェルは戦いとるべきものでもないし、胸が高鳴る新しい試みでもあ
りません。彼らに言わせれば、もう1000年以上も続いてきたことなのです」


 ところが1967年に六日戦争が始まった時、多くの若いユダヤアメリカ人が
驚くべき反応をみせた。
大学のヒレル委員のもとに、前線で戦っている兵士に代わってイスラエルで軍属の
仕事をしたいという学生が殺到したのである。
六日戦争が勃発した時、1万人の志願学生がイスラエル大使館に登録された(注6)
アメリカのユダヤ人機関はイスラエル従軍志願の若者の応援に忙殺された。
観測者は、強い宗教観やシオニズム所有者はこれらの若者の3分の1とみている。
あとはコミットはしているがユダヤ教に熱心でない家庭出身者と公民権運動者やベ
トナム反戦運動者が半々であった。
新左翼過激派が公的にアラブ支持にまわったので、ユダヤ人青年グループからの反
論も多かった。
「この運動のユダヤ人青年はイスラエルに2つの視点を持っています。非ユダヤ
左翼のほうがユダヤ人左翼以上にイスラエルを非難したがります」とその一人が私
に話してくれた。


 事情を知ったユダヤ人体制派は満足している。
ハーツバーグ・ラビは公式見解をコメンタリー誌に送った(注7)
その中でユダヤ人宗教教育は若者に自己認識強化の点で予想以上の好結果をもたらし
ているようだと言っている。



 歴史の脚注のほうが本筋よりもずっと劇的で感動的なこともある。
 シオニストは、ユダヤアメリカ人に「ユダヤ人の国」を説明する闘争の先頭に立
った。
その影響はきわめて重大である。
だが闘争に勝って建国され、ユダヤ人アピールの金の流れが邪魔されなくなると、ア
メリカのシオニストは脚注になってしまった。


 もちろん彼らはそうとは考えまいし、外観だけはいまだに力と影響力を持ちあわせ
ているようにみえる。
シオニズムの世界の中心であるユダヤ人機関のピルはニューヨークのパーク街にある。
シオニズムの文化部であるハーツル財団は、ユダヤ人関係刊行物の分野ではコメンタ
リー誌と並ぶ月刊誌ミッドストリームを発行している。
イスラエルを強調しすぎなければ、もっとすばらしい雑誌になるだろう。
ハーツル財団は講演会や音楽会の定期的スポンサーにもなり、イスラエル関係書を出
し、資料や講演者を全国的に派遣している。
ユダヤ人機関のニューヨーク本部にはアメリカのほとんどのシオニスト・グループの連
絡者がいて、青年グループでも成人グループでも集会を開けるようになっている。


 シオニスト・グループは依然として数が多く、脱宗教的なものから超世俗的なものま
での各段階がある。
それぞれが定期的に集会し、公報、学校、全国集会、青年部、夏季キャンプを持ち宴
会も開いている。
力のある政治家を講演者に仕立てるグループもある。アメリカのシオニストの友好組
織「シオンの子」は58周年記念晩餐会にボブ・ケネディ上院議員をゲストに迎えた。
ケネディイスラエル賛同の談話をぶち、バンドはイスラエル・フォーク・ダンスとダ
ニー・ボーイを奏でた。


 しかしもう少し実情を見てみないと真実はつかめない。
統計をみればわかる。
イスラエル建国前の1948年にはシオニオスト機構会員は28万人以上いた。
1938年から10年でここまでふくれあがったのである。
だがイスラエルが建国されると4分の3が退会してしまった。
今日では10万人にまで戻ったと言っているが、客観的な観測筋は信じていない。
会員数が減ったことにより同機構に資金問題が生じた。
熱心なイスラエル支持派のユダヤ人アピールや地方連合体からばかりでなく「非
シオニスト」ベースでも資金が得られなくなってしまった。
同機構トルクジナー会長が「1セント得るにも非常な努力を要する」と告白して
いる。


 ハーツル財団の講演会に出席したことのある人は、こうした現状を知っても驚
きもしない。
冷房つきの現代的な建物だし、講演会場も大きく講演者にも世界的有名人が多い。
アメリカに支部の多いことで群を抜いている世界シオニスト機構もこのようなこ
とには大金をつぎこむ。
だがハーツル財団の催しには誂りの強い英語でしゃべったりイディッシュ語であ
いさつや冗談を交わす年長の紳士が100人も集まればいいとこである。


 青年グループも活躍ぶりは一見騒々しいが、実情は似たようなものである。
ユダヤ人機関の青年コーディネーター、アブラハム・シェンカーは、全国に散在す
る12の青年シオニスト・グループには計3万5,000人の会員がいると推定して
いる。
青年シオニスト・グループの弱点は、シオニストよりもっと直接的な公民権やベトナ
反戦などの国内問題に走る者が多いことである。
宗教派シオニストに属する若者にはこうした傾向は少ない。
彼らの対イスラエル感情は正統派へのコミットメントで強化されているからである。
ニューヨーカー誌のハロルド・アイザックスによると、イスラエルに定着したアメ
リカのユダヤ人のほとんどが正統派的環境で育った者であるという。
だが、これらの若者の中にも士気阻喪の兆侯がみられる(注8)


 会員減少だけが士気阻喪の原因ではない。
アメリカのシオニスト魂の底にある自己矛盾のほうがもっと重要な原因である。
アメリカのシオニズムの根源は東欧ゲットーにあり、彼らの輝ける目標はユダ
ヤ人の国での先駆者的生活だった。
これら初期シオニストにとってアメリカは一時停車駅に過ぎなかった。
イスラエルが用意されるまでのアメリカは、自由な政治的雰囲気ゆえに途中下
車駅としてふさわしかった。
自分やわが子がシオニストの夢とはなんの関係もないアメリカに愛着を感じる
ようになるとは思ってもいなかった。
ところがそうなってしまったのである。
アメリカのシオエニストの多くは、シオニスト活動を熱心に追求しつつ、途中
下車駅に根を下ろしていることに気づかなかった。
その必要もなかった。
彼らはアメリカで生計をたて、わが子を養育でき、内なる葛藤なしに、自分た
ちの力の及ばないところにある栄光の目標に向かって懸命に努力すればよかっ
た。


 そんな時にイスラエルが建国された。
アリヤは可能になった。
ユダヤ人離散はもう終わりである。
あとはアメリカを出てイスラエルに行けばいい。
ここで初めてアメリカのシオニストは自分の心の亀裂に気づいたのである。
彼らは同邦の母国建国のために戦ってきた。
それが実現したがそこへは行きたくない。シオユストで
ありたいが、アメリカ人でもありたかったのである。
 この混乱した感情はアメリカのシオニスト運動とシオニスト各人に多大の影響
を与えた。
まず、神のお召しに忠実に、イスラエルヘ行く者が現われた。
だが、少なかった。
アメリカの青年シオニスト・グループは、最後にはキブツに落ちつくという構えを
とっているが、実践する者はほとんどいない。実践者は、アイザックスが指摘した
ようにいまだに自己矛盾に打ち勝てないでいる。イスラエルで数年過ごしていても
アメリカ市民権を捨てない者が多い。


 アメリカにとどまることを選んだ連中はロ実を考えなければならなかった。
アメリカヘの愛着を彼らのアリヤに対する信念にあわせる方法を考えなければなら
なかった。
こんなふうな理屈をこねた。
すべてのユダヤ人はイスラエルヘ行くべきである、このシオユズムの最終目標を否
定も妥協もしない、しかしアメリカ在住ユダヤ人でこの目標を喜んで認める者は少
ない、何百万というユダヤ人がアメリカに残りたいと願う以上、それを変えるよう
に説得し、彼らの前に常にイスラエルの中心性を維持し、もっと世俗的なレベルで
神のお召しに従った人々を救う金を献金するという熱心なシオニストがいるに違い
ない、「自分もいつかはイスラエルヘ行く、ここにいる必要がなくなったらね、だ
からそんなことは気にかけないでくれ」とある若いシオニストが私に告げた。
こんな理屈をこねることでアメリカ在住のシオニストは、アメリカにいることは堕
落ではなく犠牲的行為だと自分を納得させることができるのである。


 しかしこの理屈は一つの仮説を基にしている。
たいていのユダヤアメリカ人はシオニストに「アメリカで十分に幸福でたしかな
生活を送ることができるのに、なぜイスラエルヘ行かなければならないのだ?」と
聞く。
シオニストの答えはただ一つ、われわれは自分を欺いている、アメリカやその他の
ユダヤ人離散の地でたしかな生活が営めるはずがない……というのである。
この信念を正当化するために、シオニスト反ユダヤ主義の強烈な復興を信じこも
うとやっきになっている。
多くのアメリカのユダヤ人には、反ユダヤ主義の復興は劣等感から出た悪夢である
が、シオニストにはこの悪夢も一つの手段なのである。


 ユダヤ教協議会は反ユダヤ主義の兆候がアメリカにあることを認めたがらないの
に、シオニストはこれ以外のことを認めたがらない。
友好的になればなるほどシオニストは、爆発が近いと思う。
異教徒の世界からの友好的な序曲は友好的でない序曲よりも不吉と考える。
実業界や芸術界や学界でユダヤアメリカ人の活躍の場が多くなっていることにつ
いての意見をあるシオニスト指導者に求めてみた。
慇懃無礼な微笑と「今日アメリカで起こっていることは20年代にドイツで起こっ
たことと同じです。実業界や芸術界や学界でもずば抜けてすぐれたユダヤ人がいっ
ぱいいました。その彼らに何が起こりましたか!」という返事が返ってきた。


 アメリカのシオニストの不安定な地位はイスラエルによってさらに悪化している。
連中なんかいないほうがいいと感じているイスラエル人が多い。
偉大ではあるが外交家ではないベン・グリオン(元首相)は躊躇なくこの感情を表
現した(政治から足を洗うまでの彼は、刺激的な声明でアメリカのシオニストを時
々激怒させた)。「私に言わせれば、シオニストとはイスラエルに住みついている
人のことです」と1951年のある晩餐会で述べた。


 私が会ったシオニストはたいていグリオンの意見を否定して自分の理屈を入念に
擁護したが、私の印象ではほとんどが自分自身を納得させ得ていないように思えた。
彼の心の底には罪悪感が残っていて、いろんな形で顔を出す。
時には絶望的な反アメリカ主義になり、この国とこの国の一部である自分自身へ容
赦のない非難をロにすることも多い。
正統派の社会学者リープマンの言葉にこの種の考えがよく表われている。
「満足のいく仕事がみつかるまではイスラエルに行くことはできないと自分に言い
聞かせています。でもどうしても後ろめたい感じがします。本当は私にはアメリ
プロテスタント的要素があまりにも多すぎるのです」


 シオニストの反アメリカ主義は罪悪感が原因だろうが、反イスラエル感情のほう
はもっと深遠なものが原因となっている。
というのはイスラエル自体に幻滅を感じているようなところがあるからである。
あるシオニスト指導者がニューヨーク・タイムズ紙の書籍欄(日曜版付録)に初めて
建国後のイスラエルを訪れた時のいたたまれない感情について書いていた。
まさかとは思いながらもエルサレムの通りをイザヤが歩いていると期待していたが、
案に相違してラナ・ターナーの最新映画が上映されているのを目にしたというのであ
る。
「夢と現実の不一致」が彼を深い苦悩に陥れた(注10)


 ほとんどのシオニストにとってシオニズムは夢であった。
その一人が書いているようにシオニズムは感傷であって信条ではなかったのである。
ユダヤ人であることの不利な立場をシオユズムは「肯定的な超越哲学」に変えた。
そんなシオニズムにとって、流浪なしのシオニズムなどがろうはずもない。
これは神から課せられた特権と義務という神妙な考えで、神を信じないシオニスト
にもそれは感じられている。
流浪が終われば神秘も終わる。
希望にすべてをかけていたら希望がかなえられた時にはどうすればいいのか? 
生きる糧をほかに得なければならないだろうか?


 だがアメリカのシオニストを弱い偽善者だと片づけてしまうのは公平ではない。
彼のジレンマはもっと深い意味を持ち苦悶に満ちたものである。
現実となったすべての夢がそうであるように、堕落しながら現実と化したものを見
守る夢人の孤独とともに生きていかなければならない。
シオニズムと呼んだ輝ける理想が現実的なシオニズム、政治的なシオニズム、PR
シオニズムと化してしまったのを彼は目のあたりにした。
ユダヤアメリカ人仲間は理解してくれない。
イスラエルユダヤ人仲間は蔑みの目で見る。
彼こそ現代の真の悲劇である。
  * 特記していない限り、会員数、調達資金、支出などに関す
  る数字は、当該シオニスト団体から提供されたものである。


注1.  "jewish Communal Services: Programs and Finances,"The Council of jewish Federations and Welfare Funds, june, 1966.
2.  Marshall Sklare and Marc Vosk, The Riveton Study :How Jews Look at Themselves   conducted by AJC in 1952.
3. Harlold Isaacs, "Americans in Israel" The Newyoker, August 27, 1966, and September 3,
1966.
4.  A Factual Study :The American Council for Judaism, published by the New York Board of Rabbis, june 1963.
5. he Jewish Teenagers-of Wilkes-Barre, a study madein 1965 by AJC.
6. Arthur Hertzberg, "Israel and American Jewry", Commentary. August, 1967.
7. Ibid.
8. Harold Isaacs, op. cit.
9. Ibid.
10. Arthur Hertzberg, in a review of The View from Masada by Ronald Sanders, in Book Week, Deceber 25, 1966.


この項、完。次回は、6月25(土),26日(日)、「地方人と世界人」の項の予定。