[息抜きタイム](679)1965年の発言[今年の広告ビジョン?](4)
西尾 調査の話が出ましたが、向さんもあまり調査がお好きでない立場
だし、ぼくもそうだけれども、この間こういう話を聞いたのです。
朝日新聞だとか毎日新聞だとか掲載紙のリーダシップ・サーベイを前後
何十回かやって大体結論が出てきた。
そこにクリエーティブな要素による優位差が出るかどうかというと、い
まのところでは出てないんですって。
向 同じような商品で、同業、同一品種で高低はでていますよ。
これはうまい広告をしているなと思っても注目率の低い
ただ、全体的に見て、これはうまい広告と思っても、ものがあるのです。
そういえば、銀行でやってみたのですけれども、注目率の低いものはあり
ます。定期預金の広告はどんなにうまくやってもだめでした。
ところが住宅預金、貸付信託、家、と書くと下手なものであってもぐっと
注目率が上がる。
うのですが、どうですか。車にもそういうものがありますよ。
やはり大衆が求めているものがテーマとなっているものは圧倒的に高い。
西尾 リーダシップというものでわれわれの能力をはかるのか、一方
では、メール・オーダーの結果で、Aの広告とBの広告とでは倍からの差が
出てくる。
過去の例にはいくらもあることです。
ところが現在のリーダシップ・サーベイでは4倍という差はでない。
これは何だということで、考え込んじゃったのです。
価値ということと広告を読むこととは違うのかという気もしますね。
われわれのやっているクリエーテイブな作業は、調査の結果ではほとんど
差が出ないものなのか。
この辺も今年は考えてみたいと思っています。
向 報告書を見ると、スペースの大きさというもので大体ある注目率の
平均値が出ているということですね。
西尾 リーダーシップ・サーベイというのは新聞社のセールス・プロモーション
ですかね(笑)。
それにぼくたちが巧妙に幻惑されているのかな。
広告と販売にまた帰るけれども、広告による販売と、調査の人たちがやってい
るリーダシップ・サーべイや注目率というものは、相関関係があるのかどうか
ということです。
向 調査はきらいだといったけれど、コピーテストの結果というものを、
ほんとうに信用していないのです。
もっと信じられるくらいに調査の技術そのものが進歩していいと思う。
その時になれば信じます。
また実際には、もし信用できるものがあるなら欲しいわけです。
ぼくがいう調査とは、コピーテストで例えば字の大きさがこれくらい大き
かったから効果があったとか、これはこういう色だったから好まれたとか、
そんなことじゃないのです。
ブルーが悪くて赤がよかったかというと、だれか次に紫でやったら赤と全
然違った数値が出てくる。
それがクリエーテイブというものだから、表現そのものを幾つかくらべて、
これがいい、こっちが悪いということに対して価値とか意義とかはまだち
ょっと疑問なのです。
ただ発想を起こす以前のものとしては、これがわれわれの仕事の土台になる
わけです。
これが現実と違っていたものでデーターを与えられたのでは、それから先に
どんな花を咲かせてもだめだ。
その意味では十分な調査をしてほしい。調査技術の発展が望ましいというこ
とです。
クリエーティビティとは何か
西尾 いま向さんはクリエーティブとおっしゃったが、日本ではクリエー
ティビティという言葉が流行っている。
そのクリエーティビティというものは何なのか、最近わからなくなっちゃ
った。
みんな勝手に使って、創造だ、創造だというけれども、ぼくはいっぺんは
っきりさせておかなければいかんなあと思うのです。
みんな雰囲気ではなんとなくわかっているのです。
パブリシティにのるものがクリエーティビティだとか---。
クリエーティビティといい出したアメリカの人たちは、何かいわなければし
ょうがなかったのだろうけれども、一つの新しい流行だと思います。
10年前のADCはクリエーティブという言葉は言ってない。
だからアメリカでもこの6年くらい前からです。
ビジュアル・コミュニケーション・コンファレンスの議題に上がったのは第3
回目のときでしょう、そのちょっと前からあの言葉が出てきたわけです。
クリエーティビティと称している人たちも非常にポピュラーに使っています
けれども厳密に区別してこれはクリエーティビティだ、これはそうじゃない
と区別して使った文献などを読んでみても、元来広告を創る上にいろいろな
ルールがあるわけです、さっきの赤を使っていいのだ、青を使ってはいけな
いのだという赤青の問題があるでしょう、それを破った人のことを---クリエ
イティビティがあるといっているのじゃないかという気がする。
向 そうですよ。
こうしてはいけない、ああしてはいけない、というがんじがらめのルー
ルがあるが、そのルールの中に入らないことですよ。
逆にいえば新しいルールを創るのかもしれない。
西尾 そのつくったルールにも従わない。
向 だからクリエーティビティというのはクリティックがあるかない
かということ、つまり批判するということ、在来のものを批判し、それ
が正しいものか、そうじゃないものかの判断をして、その上にまた自分
がより新しいものを積み上げることであって、クリティックのないもの
はクリエイティビィティじゃないと思う。
クリエーティビティとクリエーティブというのはちょっと使い方が違う
と思うのです。
クリエイティビティというのは一つの傾向だと思うのです。
広告では、われわれがクリエーティブなことをやる使命を持っているこ
とは間違いないと思う。
しかしクリエィティビティという言葉には風土感というものがあります。
いまから6、7年前にアメリカで、コピーはこうやったらという定型を破っ
てきた連中があった。
例えば女、赤ん坊は注目率が高いとか、動物がいれば高いとかいう約束事
を破ってきた連中がいて、それからクリエイティビティという傾向のもの
が出てきたと思うのですが、どうですか。
(つづく)
【予告】
3連休明けの22日(火)からは、『シーモア・クワスト作品集』(1973刊 アイデア別冊)から代表作品を順次紹介。
氏は、〔プッシュピンスタジオ〕の創設者の一人。↓は、氏がこの作品集のために寄せた表紙。
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